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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

風神雷神

2020年11月4日から、2020年『東京オリンピック』の第4次発行が開始されました。

 

 

 

 

その記念硬貨の500円硬貨に『風神』『雷神』のデザインとなりました。

 

 

 

 

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率直にカッコイイ‼︎

 

 

 

でも、なんで『風神・雷神』なのだろうと思って色々と調べていくうちに、なるほど!

となりました。

 

 

 

 

実は『風神・雷神』の御利益がオリンピックの記念硬貨には最適だったんですね!

 

 

 

 

 

その御利益とは

①自然→台風などの自然災害から守る

 

 

 

②農業→雨をもたらし、農作物の成長

 

 

 

③勝負→正々堂々と勝利を掴む

 

 

 

④健康→悪疫などの病気・ケガから守る

 

 

 

 

⑤事業成功→新たな始まり

 

 

 

 

などとなっています。

 

 

 

 

 

 

さて、『風神・雷神』は災害や病気をもたらす悪神となっていますが、『風神』は鎌倉時代の『元寇』の際には、『伊勢神宮・外宮』の境内にある別宮の『風宮』に青い鬼神があらわれ、大きな風(神風)をおこし、救ったことから、それ以降は『日本』を救う神として信仰の対象となりました。

 

 

 

 

 

また、奈良県生駒郡にある『二十二社』のひとつで旧官幣大社の『龍田大社』では、毎年7月4日には『風神』を鎮めるための「風祭り」が行われています。

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ここで面白い話があり、疫病神としての『風神』は邪鬼であり、これが体内に入ったときに病気を引き起こすとして、ここから「かぜ→風邪」と書くようになったと言われています。

 

 

 

また、江戸時代の文献には、人を見たら黄色い息を吹きかけて、その息を浴びたものは病気になると言われており、これは中国大陸から飛んでくる「黄砂」のことで、まだ科学が発達していない時代にも、このような民間信仰として特に「西日本」では、当時の生活に関わっていました。

 

 

 

 

 

このように、自然現象の風を司る『風神』は雨と密接な関係をなしており、そこから雨をよぶ雷を司る『雷神』と対の関係となっていきました。

 

 

 

 

『雷神』は農作物の神として信仰があり、特に「稲妻(いなづま)=雷」は読んで字の如く、稲穂に大事な妻と書くほど大事な自然現象でした。

 

 

 

これは、夏から秋にかけて稲穂には大量の水が必要であり、この時期に雷が起こると雨をもたらしてくれ、田んぼが潤うことから、稲と雷を関連づけて、このように呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

また、学問の神様としても親しまれている『菅原道真』は死後、「天神様(雷の神様)」になったと伝わっており、よく子供ころに雷が鳴っているときに「ヘソを出していると取られるよ。」などで大人におどされたなんてこともあったと思います。

 

 

 

 

その「雷さま」から逃れるためには、蚊帳の中に逃げ込むか、くわばらと唱えなければいけないとなっています。

 

 

 

 

そして、このくわばらとはかつて『菅原道真』が亡霊(雷さま)となり、都に多大な被害をもたらした際に、もともと『菅原道真』の領地であった桑原の場所にだけは雷が落ちなかったという伝承からきています。

 

 

 

 

よく、災いなどをさけるときに「くわばら、くわばら」と口ずさむのはここから来てたんですね。

 

 

 

 

 

 

このように古来から『日本人』の生活と密接な関係を持って、民間信仰として親しまれてきた『風神・雷神』。

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そして、本来ならオリンピックイヤーであった2020年。

 

 

 

来年に延期したとは言え、『東京オリンピック』の記念硬貨のデザインになった『風神・雷神』の御利益で、疫病に打ち勝ち、正々堂々との勝負で勝利をもたらすと言う、まさに時代にあったぴったりのものだったんですね!

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明治神宮

2020年11月1日で『明治神宮』が鎮座100周年を迎え、「鎮座100年祭」が執り行われました。

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ただ、今年は新型コロナウィルスの感染拡大の予防のために、90周年の時よりも半分以下の招待客に抑えられ、祝詞のなかにも終息祈願が盛り込められるなど今までとは違う記念祭となりました。

 

 

 

 

明治神宮』は毎年、初詣では全国一参拝客で賑わう神社になりますが、この神社の御祭神を

ご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

その名の通り、第122代天皇明治天皇』とその皇后である『昭憲皇太后』を祀っている神社になります。

 

 

 

 

この地は江戸時代初期には『太閤さん』でも親しまれた『豊臣秀吉』の子飼いの武将で『賤ヶ岳の七人槍』のひとりであった「加藤清正」の別邸があった地です。

 

 

 

 

そのゆかりから現在、『明治神宮』のなかでも特に恋愛祈願などパワースポットとして有名になった『清正の井戸』と呼ばれるようになりました。

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その後、彦根藩「井伊家」の下屋敷となり明治になってから政府に買い取れ「御料地」となりましたが、『明治天皇』の崩御後に、2021年の大河ドラマの主人公・2024年からの新紙幣の一万円札の肖像にもなっている『渋沢栄一』らの支援により、『明治神宮(内苑・外苑)』が創建されました。

 

 

 

 

 

 

 

内苑の方は言わずとしれた『明治神宮』を中心に広大な林となっていますが、元は人工のものとなります。

 

 

 

これは50年後・100年後・200年後を見越して自然化を意図としたものとなっており、都心の中でも、植物界や昆虫界など普段では見れないようなものが生息しており、非常に学術的にも珍しい場所のひとつとなっています。

 

 

 

 

 

外苑の方は元は「青山練兵所」があった地で、『明治神宮・外苑』が建設されると「代々木」に移転しました。

 

 

 

 

さて、この「青山」と地名。

 

 

 

 

今では、都心のなかでも高級なお店などオシャレな街というイメージがありますが、実は徳川将軍に仕える重臣の「青山家」の下屋敷があった場所だったんです。

 

 

 

 

この「青山家」は江戸時代を通じて、譜代大名であり、「老中」なども務めていた系譜になります。

 

 

 

 

また、「青山通り」から「表参道」まで、ここも一等地として有名ですが、この「表参道」。

 

 

 

 

実は、『明治神宮』の「表参道」と言う意味なのです。

 

 

 

 

神社仏閣の参道の正面側に位置するのを「表参道」と呼びますが、もはや「表参道」という名称は、ここの地区のことをいうようなことが多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そして、『明治神宮・内苑』のすぐ近くにはJR山手線の原宿駅があります。

 

 

 

この駅には『皇室専用ホーム』と言う珍しいホームがあります。

 

ただ、2001年以降は利用されてはいないは残念ですが、このような存在価値のあるものは、いつまでも残っていってほしいですね。

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来年は2021年と『明治神宮』創建101年目と新たな門出になります。

 

 

 

現在、世界を騒がせている新型コロナウィルスもありますので密には、ならないように初詣など参拝したいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

 

 

 

 

 

 

 

 

十三夜

昨日は『中秋の名月』=『十五夜』と続き『十三夜』でした。

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この風習は『日本』独自の風習で、その始まりは諸説あるようですが、平安時代の第60代天皇である『醍醐天皇』が月見の宴を開催して和歌を楽しんだことが由来しているという説が、一般的になります。

 

 

 

また、月の美しさのなかでも、『十五夜』の次に美しいとされており、平安時代からつづく我が国の伝統的な風習のひとつにもなっています。

 

 

 

 

十五夜』と『十三夜』はどちらも月見をして楽しむものですが、どちらか一方しか見ていないと『片見月(かたみつき)』などと言われて、縁起の悪いものとされてきました。

 

 

 

 

 

逆に両方ともを見ると縁起の良いものとされていて、『十五夜』の方を「前の月」、『十三夜』の方を「後(のち)の月」と言い、2つ合わせて『二夜(ふたよ)の月』と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

ちょうど『十五夜』の時期あたりは台風や秋雨前線で雨も多くなかなか見ることできないですよね。

 

 

 

それに対して、『十三夜』の時期にはそれも落ちいついてきて秋晴れが多いことから、両方の月を見ることで縁起の良いものとなり、さらに中々見ることができない『十五夜』のほうが、より聴き慣れた風習として、現在まで伝わっているのだと思います。

 

 

 

 

 

また、『十五夜』の時期あたりが芋の収穫時期であることから、別名を「芋名月」と言われています。

 

 

 

 

それに対して、『十三夜』の時期は栗や豆の収穫時期であることから、別名を「栗名月」や「豆名月」とよばれて、収穫に感謝しお供えします。

 

 

 

 

うちの子供の学校の給食では、昨日は「栗ごはんの枝豆入り」が出ていたそうで、美味しかったからおかわりしたなんて言っていました。

 

 

 

 

やはり、旬のものを頂くというのが一番なんですね。

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さて、10月31日は『ハロウィン』になりますが、46年ぶりの『ハロウィン』の日に満月になります。

 

 

 

また、一年の中で一番小さく見える満月で『ブルームーン』とも呼ばれています。

 

 

 

 

満月の夜は「出産」が多かったりと、不思議なことが起きやすいと言われていますが、さらにこの日は『大安』という吉日にも重なっています。

 

 

 

 

また、翌日の2020年11月1日は一年で数回しかない最も良い吉日とされている『天赦日』で、さらに日曜日となっているので、神社仏閣に参拝して良い気をいただきたいですね!

 

 

 

 

神社仏閣は特に朝に参拝するの良いと言われていますが、この時期の少し肌寒い澄み切ったまだ汚れのない朝に参拝し、一日の良いスタートを切るのも良いと思います。

 

 

 

 

参道などがあれば、好きなお店に立ち寄り、食事や一服をするのも良いかもしれませんね!

 

土用 辰の日

皆さんはこの題名にもある『土用 辰の日』と言うのがあるのをご存知でしょうか?

 

 

一般的で有名な『土用 丑の日』は夏バテ予防にと『鰻』を食べる習慣が広く広まっていますよね。

 

 

実はこの『土用 丑の日』は『立秋』まえの18日〜19日前の『丑の日』のことを指しています。

 

 

 

 

 

と言うことは、他の季節にもあるんじゃないかと思ったんです。

 

 

 

 

 

そしたら、案の定ありました!

 

 

 

 

しかも、『立秋』前は『丑の日』ですが、季節によって違っていたんですね。

 

 

 

 

立春』まえの『土用』→『未の日』

 

 

 

立夏』まえの『土用』→『戌の日』

 

 

 

 

立秋』まえの『土用』→『丑の日』

 

 

 

 

立冬』まえの『土用』→『辰の日』

 

 

 

となります。

 

 

 

 

 

明治時代以前は『太陰暦』を使用していたので、現代とは少し違っているので分かりにくいですが、江戸時代までは

 

 

『春』→1月・2月・3月

 

 

 

『夏』→4月・5月・6月

 

 

 

『秋』→7月・8月・9月

 

 

 

『冬』→10月・11月・12月

 

 

 

 

となっていましたから、『立秋』まえの『土用』がちょうど8月前後となっていることをみるとこの時期の『土用』が『丑の日』になることが分かります。

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さて、『立秋』まえの『土用』は『丑の日』でしたが、この日は『う』がつく食べ物や『黒いもの』を食べると良いとされています。

 

 

 

 

『う』がつく食べ物では「うなぎ」はもちろんのこと、「うどん」や「梅干し」や「瓜」また、「牛肉」など。

 

 

また、『黒いもの』としては「シジミ」や「昆布」「黒豆」が良いと言われています。

 

 

 

実際、この時期は夏真っ只中であり、「夏バテ」や汗も大量にかく季節なので、スタミナ源として、「うなぎ」や「牛肉」、「梅干し」を食べるにはピッタリです。

 

 

 

 

さらに、夏はビールなどお酒もすすむのでそんな時は「シジミ汁」を飲んだり、からだを冷やすために「瓜」などを食べると言うのは理にかなっているんですね。

 

 

 

 

『土用』の日に食べると良いのがそれぞれ季節によって違って違うわけですが、それがこちらになります。

 

 

 

①   『春土用 未の日』→『ひ』のつく食べ物や、『赤い食べ物』。

 

 

 

②   『夏土用 戌の日』→『い』のつく食べ物や、『白い食べ物』。

 

 

 

 

③    『秋土用 丑の日』→『う』のつく食べ物や、『黒い食べ物』。

 

 

 

 

④    『冬土用 辰の日』→『た』のつく食べ物や、『青い食べ物』。

 

 

 

 

 

2020年10月28日はちょうど『土用 辰の日』に当たります。

 

 

 

 

この日に『た』のつく食べ物や『青い食べ物』を食べると良いとされていますが、『青い食べ物』って一体何?

 

 

 

 

と思われる方もいらっしゃると思いますが、それは『青魚』などになります。

 

 

 

 

例えば「さんま」や「さば」、「イワシ」などですね。

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また、『た』のつく食べ物として「大根・玉ねぎ・大豆」などがあり、まさに「さんま」の塩焼きにおろし醤油は旬としてもぴったりの食べ物なんですね!

 

 

 

 

 

 

「さんま」といえば、落語など噺に登場する』「目黒のさんま祭り」が有名ですが、今年は新型コロナウィルスの影響で中止してしまいました。

 

 

 

 

 

この「目黒のさんま祭り」は目黒商店街で毎年無料で焼きさんまを配布していますが、『目黒不動尊 瀧泉寺』のお膝元になります。

 

 

 

 

江戸時代、江戸の守護神として『五行思想』をもとに5色の不動尊を置きました。

 

 

 

 

そして、『土用の日』には季節によって違った色の食べ物が良いと先程、伝えてました。

 

 

 

その色とは『赤・白・黒・青』そしてもうひとつ。

 

 

『金(黄)』

 

 

 

『金(黄)』=土。

 

 

 

ここから『土用』と言うことばが生まれ、この土が四季の間に入り割り当てられました。

 

 

 

『春(赤)→土用(金・黄)→夏(白)→土用(金・黄)→秋(黒)→土用(金・黄)→冬(青)→土用(金・黄)→春』

 

 

 

 

のようなサイクルに。

 

 

 

 

 

 

また、『土用』のさいごの日が『節分』となっています。

 

 

 

 

今でこそ、2月3日が『節分』として習慣づいていますが、以前は各季節ごとに感謝の意を込めて祝っていました。

 

 

 

 

今でも春の『節分』では、たくさんの神社仏閣で『豆まき』をして、賑わっていますよね。

 

 

 

 

なかでも有名な『成田山 新勝寺』では多くの参拝客で毎年賑わっています。

 

 

 

 

そして、この寺院の本尊は『不動尊』であり、また参道では「うなぎ」が有名です。

 

 

 

 

 

そうした意味でも『土用の日』とは大切な風習なもので、次の『土用の辰の日』には、旬で脂ののった「さんま」や「さば」などを食べ、さらに殺菌効果がある「大根」や「玉ねぎ」、タンパク質豊富な「大豆」を食べ、『冬』に向けて備えていきたいものです。

 

 

 

 

「さんまの塩焼き」におろし醤油を肴に、美味い酒を飲みたいものですね!

 

 

 

水戸光圀

ここ最近、朝夕が急に冷え込み昼間でも10°台前半の気温もちらほらと出てきている、『日本列島』ですが、なにか急に「鍋」や「ラーメン」など、温かいものが食べたくなってくる季節になりました。

 

 

 

こと個人的には無類の「ラーメン」好きなので、無性に食べたくなる季節を迎えて、コロナ渦からあまり、外食を避けている手前、若干のストレスすら感じている今日この頃です。

 

 

 

 

さて、この「ラーメン」。

 

 

 

はじめて日本人で食べたと言う通説がある人物をご存知でしょうか?

 

 

 

 

それは、あの『水戸黄門』でもお馴染みの『徳川光圀』です。

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ドラマの中では全国各地に旅に出て、助さん・角さんなどとともに旅先で悪代官などを成敗するという物語になっています。

 

 

 

「この紋所が目に入らぬかぁ!さきの副将軍、水戸光圀公であられるぞ!」

 

 

 

 

お決まりのあの台詞。

 

 

 

誰しもが頭下げていますが、このドラマが放送していた時代はまだ小さかったので、いまいちよくわかっていませんでした。

 

 

 

この「さきの副将軍」とは、実は「前(さき)の副将軍」と言う意味だったんですね。

 

 

 

 

前の副将軍であり、隠居した身であるから「御隠居」と呼ばれていたんです。

 

 

 

 

徳川光圀」は実際には日本全国を周ったと言う史実はないですが、それでも「日光」や「鎌倉」、「金沢八景」などには訪れていて、さらにお付きの2人は『東海道中膝栗毛』の「弥次さん・喜多さん」がモデルになっていると言われいますので、少なからず、自らの足で色々なところを訪れていたのだろうと思います。

 

 

 

 

 

また、「徳川光圀」はかなりのグルメ家であったとして、チーズや餃子などもはじめて日本人で口にした人物です。

 

 

 

 

そして、『副将軍』と呼ばれた理由は『徳川御三家』の中で、唯一「参勤交代」を行わない藩で将軍を支えていたことから、そう称されるようになりました。

 

 

 

徳川光圀」は大の学問、特に歴史好きで『大日本史』と言う歴史書を編纂し始め、光圀の死後も200年以上かけて初代天皇である『神武天皇』から第100代天皇後小松天皇』までを編纂し、江戸時代を通して「水戸藩」の最大の事業となりました。

 

 

 

 

その結果として「水戸藩」に『尊皇』と言う考えが植え付けられ、幕末になると『尊皇攘夷運動』の先駆けとして、強い影響力を与えて行きました。

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また、『日本三名園』のひとつでもある『偕楽園』は9代藩主「徳川斉昭」が藩士と領民のために静養地として建築し、春には見事なまでの『梅』が咲き誇ります。

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2019年までは「徳川斉昭」が領民と偕(とも)に楽しむための園庭として、無料で見学できましたが、茨城県民以外は有料となってしまったのが、少し残念ですね。

 

 

 

ただ、一年を通して四季折々の花が咲いていますので、是非一度は訪れてみたいものです。

 

 

 

 

さて、これからドンドンと寒さの厳しい季節となりますので、くれぐれも健康には気をつけていきたいですね。

 

 

 

 

私個人的には地元で一番好きだったラーメン屋が先月末で閉店してしまい、寂しさと恋しさの感情の中で揺れています💦

 

 

 

 

もう一度、食べたかったなぁ。

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10月31日

2020年10月31日は欧米、特に『アメリカ合衆国』ではこの日にビックイベントが毎年開催されています。

 

 

 

そのビックイベントとは。

 

 

 

『ハロウィン』🎃

 

 

 

 

このイベントはもとは年中行事の一部で翌日の11月1日から冬の季節(闇の季節)に入ること(夏=光の季節)の魔除けとして、ハロウィンの代表的なもののひとつである、『ジャック・オー・ランタン』という、怖い顔や、少しとぼけたような顔にくり抜いた大きなカボチャ家の外(玄関)に置き、悪い霊から家族や家業を守るために飾られるようになっていきました。

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また、闇の季節に向かい外には悪霊(モンスター)達がうろついている様を表して、アメリカの若者がそれを真似して、仮装するようになり

広く広まったといわれています。

 

 

 

 

だから、『trick・or・treat(トリック・オア・トリート)』なんですね!

 

 

 

『お菓子をくれないと、悪戯しちゃうぞ!』

 

 

 

 

なんとも微笑ましいアメリカっぽい文化です!

 

 

 

 

さて、ここで数日前にアメリカ大統領がいま、世界を揺るがしている新型コロナウィルスに感染したという報道がありました。

 

 

 

 

一部では「トランプ大統領は、魔女の呪いによって感染した!」と言う都市伝説がささやかれているのです。

 

 

 

 

なんでも、『魔女』の力が一番強くなるのは9月の満月の夜(アメリカでは『ハーベスト・ムーン(収穫の月)』という愛称で呼ばれています。)なんだと。

 

 

 

 

そして、その次の満月は『ハンターズ・ムーン』と呼ばれいて、その意味からも「狩猟の月」となります。

 

 

 

 

 

この『ハンターズ・ムーン』。

 

 

 

2020 年は10月30日で『ハロウィン』の前日に当たります。

 

 

 

また、その3日後には『アメリカ大統領選挙』が控えており、反トランプ派の『魔女』たちが各地で集まり、一斉に呪いをかけて、追い討ちをかけるなんてことがささやかれています。

 

 

 

 

非科学的ではありますが、こういったアメリカの都市伝説も、アメリカっぽいですよね。

 

 

 

 

 

さて、話は我が国『日本』になり、実はこの日は何の日かご存知でしょうか?

 

 

 

 

実は『大正天皇』の誕生日を祝う祝日に大正時代はなっており、『天節祭』と呼ばれていました。

 

 

 

 

もとは『大正天皇』の誕生日である8月31日でしたが、夏では式典をするには暑過ぎて不都合であるとして、涼しくなった2ヶ月後の10月31日になりました。

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ。

 

 

 

この日『安倍晴明』が亡くなったとされている日でもあります。

 

 

 

 

安倍晴明』とは『陰陽道』を使い、『天皇(朝廷)』を鬼や災いから守護する神職で、映画などでは式神を使って、鬼を退治していましたよね。

 

 

 

 

さて、では現在。

 

 

 

この2つが重なって社会現象になっているものの映画が本日より始まります。

 

 

 

 

それが。

 

 

 

 

鬼滅の刃

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このアニメ(漫画)の舞台設定は大正時代に鬼化となってしまった妹を人間に戻しかたを探すために、主人公が仲間と鬼を倒していく物語です。

 

 

 

 

何か今の現実社会とも似ている気がしますね。

 

 

 

 

新型コロナと言う鬼と闘う我々と。

 

 

 

 

様々な研究者達の努力によってワクチンが徐々に開発されてきました。

 

 

 

日本では2021年年末までには国民全員をワクチン接種させると掲げています。

 

 

 

 

 

未だに積極的には人との接触はなかなか出来ませんが、『ハロウィン』の日は身近な人たちだけとは、楽しみたいですよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『瀬織津姫』

前回、祝詞の中でも最重要なひとつで半年に1回行われる『大祓詞』と言う、祭祀で用いられる祝詞があり、それに登場する『瀬織津姫』と言う水神の女神が最重要神であるとお伝えしました。

 

 

 

また、『伊勢神宮 内宮』の『正宮』の次に尊いものとされている『荒祭宮』の祭神が『瀬織津姫』となっており、『伊勢神宮』の公式由緒書きには『東の正宮を天照大御神、西の正宮を瀬織津姫』祀っていたとなっています。

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そして、『ホツマツタエ』と言う江戸時代の文献には驚くべきことが記載されていました。

 

 

 

 

 

それが。

 

 

 

 

瀬織津姫は、天照大御神の皇后である』

 

 

 

 

 

 

えっ?と思う方も多いと思います。

 

 

 

 

それもそのはず。

 

 

 

 

だって、『天照大御神』は女神でしょ?

女神と女神が結婚出来るわけないじゃん!と。

 

 

 

 

分かります。

 

 

 

 

でも、少し考えてみて下さい。

 

 

 

史書とは勝者が書き換え加えていくものです。

 

 

 

それの最たる古書が『古事記日本書紀』になっていますよね。

 

 

 

 

 

そして、この『古事記日本書紀』にはなぜか『瀬織津姫』は一切登場してきません。

 

 

 

 

では、なぜ『古事記日本書紀』でわざわざ最高神である『天照大御神』を男神から女神に書き換えたのか。

 

 

そして、『瀬織津姫』が登場しなかったのか。

 

 

 

それにはどうも、当時の権力者の背景が存在していると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その背景とは…。

 

 

 

 

前回、『大祓詞』を朝廷に奉上し、その後の祭祀などの際に、この祝詞を読み上げるのは「中臣氏」が担当(独占)していたとお伝えしました。

 

 

 

 

古事記』は神々の誕生から第33代天皇推古天皇』までを、『日本書紀』は第41代天皇持統天皇』までを扱っており、皇室の歴史を語る上で極めて大事な、そして『日本人』のイデオロギーともなっている最古の歴史書です。

 

 

 

 

実はこれ以前にも『天皇記』などのものが存在すていたのですが、あるクーデターによってそれ以前の歴史書のほとんどが焼失してしまいました。

 

 

 

そのクーデターと言うのは。

 

 

 

 

乙巳の変(いっしのへん)』

 

 

 

 

 

 

 

もうお分かりですね!

 

 

 

 

あの『大化の改新』でそれまでの豪族中心の政治から『天皇』を中心とした政治改革のはじまりで、この改革により『日本』と言う国号・『天皇』と言う称号がはじまり、また『元号』もはじまったとされる日本史上最大の大革命です。

 

 

 

 

 

そしてこの改革の勝者側は『天智・天武天皇』と『中臣鎌足』など。

 

 

 

 

古事記』『日本書紀』は『天智・天武天皇』の時代に編纂がはじまり、また『大祓詞』は「中臣氏」が担当していましたね。

 

 

 

 

明らかに、歴史が塗り替えられているのです。

 

 

 

 

 

『天智・天武天皇』『中臣鎌足(のちの藤原鎌足)』ら権力者の手によって。

 

 

 

 

あたからも正当性を示すかのように。

 

 

 

 

 

 

そして歴史書は『天武天皇』の皇后で史上3人目の女性天皇になった『持統天皇』と続き、その2人の子『文武天皇』の時代に完成しました。

 

 

 

 

この『持統天皇』こそが第一回『神宮式年遷宮』を開始した人物です。

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古事記』は史上1人目の女性天皇である『推古天皇』まで。

日本書紀』は史上3人目の女性天皇の『持統天皇』まで。

そして、史上2人目の女性天皇は『天智・天武天皇』の母であり、『乙巳の変』をこの息子たちを指導した『皇極天皇(のちに斉明天皇)』なのです。

 

 

 

 

 

これで条件は整いましたね。

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

皇祖神である『天照大御神』を女神としたことによって、女性天皇の地位の正当性とこの出来たばかりの政権の強さを歴史書に書き、塗り替えてしまったのです。

 

 

 

 

 

だからこそ、『古事記』や『日本書紀』には『瀬織津姫』を登場させることは出来なく、そのかわりに祭祀などで用いられる『大祓詞』の四柱の中でも最重要神として登場させたのです。

 

 

 

 

 

今までなぜ、『天照大御神』=『大日如来』=『イエス・キリスト』になっているのに、『天照大御神』だけが女神なのかが、これでようやく分かってきました。

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卑弥呼』=『日皇子(ひみこ)』

 

 

 

 

このように歴史は塗り替えられて、『瀬織津姫』は『古事記』『日本書紀』には一切登場しませんでしたが、そのかわりに『大祓詞』に最重要神として登場させ、また『伊勢神宮 内宮』の正宮に次ぐ尊い荒祭宮の祭神に祀ることによって、現在でも仲睦まじく、そして『日本人』の心の中に夫婦2人揃って存在しているのでは無いでしょうか。

 

 

 

 

もし、そうだとしたらやはり古代史には浪漫を感じてしまいますね!

 

 

 

 

 

 

『戌の日 祝詞』

皆さんは20年前まで10月10日が何の日だったか、覚えてますか?

 

 

『体育の日』です。

 

 

 

気象的に言うと、10月10日は晴れの日の確立が多いと言われている日で全く雨が降らなかった日が63%と半分を超えてるわけですが、そうは聞いてもすごい高い確率とまではいきませんよね。

 

 

 

 

さて、2020年の10月10日は『戌の日』になります。

 

 

 

『戌の日』とは妊婦さんが妊娠5ヶ月あたりに腹帯をまいて、無事安全に出産出来るようにと、神社仏閣で『祝詞』で祈祷してもらう風習になります。

 

 

 

なぜ、『戌』かと言うと、犬は比較的安産で、たくさんの仔犬を産むことから、「安産の守神」として親しまれてきました。

 

 

 

 

また、『戌の日』に『祝詞』で祈祷してもらうことを『帯祝い』といい、その際に用いられる腹帯のことを『岩田帯』といいます。

 

 

 

昔は妊婦の実家から贈られることが一般的ではありましたが、現在では多種多様なかたちで、揃えているようになりました。

 

 

 

 

さて、話は変わりますが神社仏閣での祈祷を授かる言葉を『祝詞』と言います。

 

 

 

 

前回、『ひふみ祝詞』と言うのもお伝えしましたが、日本人には色々な節目節目で神社仏閣にいき、『祝詞』によって祈祷して頂くという風習があります。

 

 

 

 

その中でも最も重要な『祝詞』のひとつに『大祓詞(おおはらえのことば)と言うのがあります。

 

 

 

 

これは現在でも毎年、半年に1回(6月と12月)の最後の日に、罪などを祓うために唱えられる『祝詞』で、元々は6月と12月は異なる『祝詞』を唱えていました。

 

 

 

しかし、いつのまにか6月のだけが残り、現在では『6月晦大祓』をもとにしたものが用いられています。

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そして、この「大祓詞」は「中臣氏」が朝廷に奉上し、担当(独占)していました。

「中臣氏」はその後も代々『伊勢神宮』などの神事や祭祀職を務めていきます。

 

 

 

また、この文の成立も『天智・天武天皇』の時代に成立したが、『文武天皇』のときに、文が短かかったために、新文を定めたと言う説があります。

 

 

 

 

さて、この『大祓詞』ではこの『祝詞』に出てくる四柱を『祓戸大神(はらえどおおかみ)』とよび、この四柱によって罪などが消えるとなっています。

 

 

 

 

そして、この四柱のうち最重要の神である女神をご存知でしょうか?

 

 

 

 

その女神とは。

 

 

 

瀬織津姫(せおりつひめ)』

 

 

 

 

 

この女神は水神として、また『七福神』の一柱である『弁財天』と同一神となっている神様です。

 

 

 

 

そして、驚くことに『伊勢神宮 内宮』の第一の別宮である『荒祭宮』の祭神の別名が『瀬織津姫』と記されているのです。

 

 

 

 

さらに、本来は常に東の正宮を『天照大御神』・西の正宮を『瀬織津姫』を祀っていたと『伊勢神宮』の公式の由緒書きには書かれています。

 

 

 

荒祭宮』とは『正宮』の次に尊いとされている宮ですよね。

 

 

 

 

また『ホツマツタエ』にはとんでもないことが記されています。

 

 

 

 

それが。

 

 

 

天照大御神の皇后』

 

 

 

えっ?

 

 

 

 

と思う方も多いと思いますが、そう書かれているのです。

 

 

 

ただ、『ホツマツタエ』の文献は江戸時代前には存在されておらず、偽書と言われているのが定説になっていますが、もしそうであれば今なお研究材料としてたくさんの学者たちが読み漁ることがあるんでしょうか。

 

 

 

 

まさに、浪漫ですね!

 

 

 

さて、次回はもう少し個人的な考察を含めて『瀬織津姫』についてお伝えしていこうと思います。

 

 

 

やはり、古代史・神社はワクワクしますね!

 

 

 

 

 

 

2024年 新紙幣発行予定

前回はちょうど、『中秋の名月』ということで話が変わってしまいましたが、今回はまた我が国、『日本』の新紙幣にまつわるお話をしていきたいと思います。

 

 

 

前々回の記事では、2024年の肖像となる人物たちをざっと紹介しましたが、実はこの3名が選ばれたのには、ある強力な祓いがかけられているという都市伝説があるのです。

 

 

 

 

その祓いとは…。

 

 

 

『ひふみ祝詞

 

 

 

これは、神道の世界での祝詞(神に祈ることば)の中でも、非常に浄化の力が強いとされている祝詞になっていて、何度も口にすることで心身を清めると言われていることばです。

 

 

 

では、この『ひふみ祝詞』がどこにあるのか。

 

 

 

肖像となった人物の名前に含まれていたんです。

 

 

 

 

渋沢栄一→「一(1)」

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津田梅子→「津(ツーから2)」

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北里柴三郎→「三(3)」

 

 

 

そして、昔の数の数え方は「ひ・ふ・み・よ…。」と数えていました。

 

 

 

 

また、『ひふみ祝詞』自体が濁音や半濁音を含まない、清数しか使われていない47文字で表されています。

 

 

 

 

 

そして、その効果は古くから使われているくらい絶大で別名「ひふみ神言」とも呼ばれており、唱えるだけで運気が上昇し、マイナスからプラスへと変換させ前向きにさせることが出来るようです。

 

 

 

 

そこでこの3名を新紙幣の肖像に採用し、常に『日本国民』に使用させ、国全体で知らない間に自然と『ひふみ祝詞』をことばにし、『日本』をマイナスからプラスへと変換させようとしているのです。

 

 

 

 

さらに面白いことに、新千円の裏側の図柄は「葛飾北斎」の『富嶽三十六景』のひとつ、『神奈川沖浪裏』になっています。

 

 

 

 

実はこの作品の手法は、上部の背景以外の波や富士山にいたるまで、コンパスと定規を使い、最も美しい比率とされり『黄金比』を用いた作品なのです。

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そして、この『黄金比』はあの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』も作品に使用しており、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』にも用いられています。

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また、上部の『黄金比』は螺旋状に表されていますが、実は『ひふみ祝詞』も文字で表すとき、螺旋状に表さすのです。

 

 

 

 

定規とコンパスによる作図で螺旋状に描く黄金比と、『ひふみ祝詞』を文字にしたとき、螺旋状に描く。

 

 

 

 

そして、定規とコンパス、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』、『黄金比』、『モナ・リザ』、『最後の晩餐』。

 

 

 

 

 

繋がってきましたね。

 

 

 

 

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2019年4月に新紙幣発行を6年後の2024年(令和6年)にスタートすると発表しました。

 

 

 

そして『ひふみ祝詞』を実は採用しており、その『ひ(一)・ふ(ニ)・み(三)』を足すと。

 

 

1+2+3=6

 

 

 

『6・6・6』

 

 

 

 

これは果たして偶然なのでしょうか、それとも必然なのでしょうか。

 

 

 

 

どちらにしても、このコロナ渦の時代。前向きになり生き進んで行かなければなりません。

そして、未来の子ども達のためにも明るい未来になるよう突き進んで行かなければ行けないと感じる日々です。

 

どーなら、明るい未来を作り楽しく生きたいですよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

中秋の名月

前回、新紙幣の肖像に選出された3名について、お伝えしましたが今回は本日が『中秋の名月』ということで、先にこちらのお話をお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

『秋の夜長に◯◯と…。』などとよく言われたり、『暑さ・寒さは彼岸まで。』と言われるようように、昼間でもだいぶ涼しくなり過ごしやすくなってきましたね。

 

 

 

また、夜から朝方は急に冷えてきたので、体調管理がむずかしい季節となってきました。

 

 

 

 

 

さて、本日は『中秋の名月』と呼ばれる昔からの風習で、月を見ながら(月見)宴をしたり、月明かりを楽しむなどをし、季節を感じる年中行事になります。

 

 

 

 

満月にススキ・ピラミッド状に置かれた白団子をご想像する方も多いのではないでしょうか。

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じゃあ、なぜ白団子なのか?って、不思議になる方もいると思いますが、実はこれ、『秋の収穫祭』を表現したものなのです。

 

 

 

 

いまとなっては、街中に夜になっても灯りがあるのは当然ですが、明治維新以前の特に農村部では灯りなんて、ほとんどありませんでした。

 

 

 

 

そうした中、月の灯りを頼りにして人々は夜の町を歩いていたわけです。

 

 

 

 

このことから、特に満月は強い光を放っていることを感謝すると共に、秋の農作物の収穫に感謝するという意味からなったものです。

 

 

 

 

 

また、白団子は新米の収穫を感謝し、そのお祝いのために臼で摺り、満月に似たててまん丸に丸めて、お供えしました。

 

 

 

 

そして、ススキはもうこの時期になると稲の収穫が終わってしまっているので、それに似たものの代用として、ススキが飾られるようになっていったんですね。

 

 

 

 

 

このほかにも、秋の農作物として芋(特に丸い形から里芋)や、豆をお供えすることから、『芋名月』や『豆名月』などと呼ばれることもあります。

 

 

 

 

個人的には里芋の小さなもので「きぬかつぎ」を醤油につけて食べるのがこの時期の楽しみとなっています。

 

 

 

 

さて、よく月見のことばで『三日月』や『十五夜』など聞くことがありますが、どのような事からなったかご存知ですか。

 

 

 

 

明治時代前までは『太陰太陽暦(旧暦)』を使用しており、「新月」になった日を朔日(ついたち)としていました。

 

 

 

 

そこから3日後の細い月を『三日月』・15日後の満月のことを『十五夜』と呼ぶようになったのです。

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また、旧暦での春夏秋冬は

 

春→1月・2月・3月

 

夏→4月・5月・6月

 

秋→7月・8月・9月

 

冬→10月・11月・12月

 

 

になっており、季節が約1月半のずれがあります。

 

 

この『秋』の8月15日辺りに季節的にも収穫祭になったことにより、『秋』の真ん中というところから『中秋』と呼ばれるようになりました。

 

 

 

ただ、この時期は今も昔も『日本列島』では台風や秋雨前線の影響で雨の降る日も多く中々、この日に満月を拝めることが出来なかったようです。

 

 

 

 

そういった意味でも特別な日として、今なお日本の年中行事として深く根強いているのでしょうね。

 

 

 

 

また余談ですが、2020年の『中秋の名月』は実は満月では無いんです。

と言うか、満月になるのが少ないみたいなのです。

というのも閏年や軌道などで少しずれていて、平均で0.8日ずれているんです。

 

 

 

そういったところから、満月は2020年10月2日になるんですね。

 

 

 

さて、何はともあれ本日2020年10月1日は『中秋の名月』です。

 

 

 

このような趣のある風習があることに感謝して、今夜は少しいつもと違う風情のある秋の夜長を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新紙幣

2019年(令和元年)に日本で新紙幣の発行が発表されました。

 

 

 

新紙幣の肖像には

 

1万円札→『渋沢栄一

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5千円札→『津田梅子』

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千円札→『北里柴三郎

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となります。

 

 

これは実に20年ぶりの変更になり、その前の変更も20年前ということからも、最上級の紙幣のことを「諭吉が…。」などと比喩され親しまれいたとうのが分かります。

 

 

 

 

 

なぜなら40年も1万円札であり続けていたんですからね。

 

 

 

 

さて、今回採用された3人ですが、なぜ採用されたかというと肖像画がハッキリと残っているなどといくつかの基準をクリアした上での採用となりました。

 

 

 

 

でも、あまり馴染みが無い方の方が多いですよね。

 

 

 

歴史の教科書でもあまり出てこないので、何をした人物かすら分からない方の方が多いと思います。

 

 

 

そこで簡単な紹介しますと、まず新1万円札の『渋沢栄一』は『日本資本主義の父』として、現在のみずほ銀行を創設など、さまざまな企業・学校の創設に尽力を注いだ人物です。

 

 

 

 

また、『日本赤十字社』の設立など社会貢献にも尽力した渋沢ですが、大蔵官僚時代に「紙幣寮」のトップに就任したさいに、「大久保利通」や「大隈重信」と予算編成で対立し、「井上馨」とともに退官してしまいました。

 

 

 

 

ここから、様々な企業や学校などの設立に尽力していくわけですが、ここでまさかの井上馨が登場してきましたね。

 

 

 

井上馨とはあの「長州ファィブ」の1人であり、内務卿などを務めた人物です。

 

 

 

 

その「長州ファィブ」のバックアップした人物は「トーマス・グラバー」。

 

 

 

そしてその「トーマス・グラバー」が勤めていた財閥とは。

 

 

 

 

 

ロスチャイルド財閥』

 

 

 

 

出てきましたね。

 

 

 

 

ここで、渋沢と『ロスチャイルド家』が繋がって来ました。

 

 

 

 

また、『日本赤十字社』はフリーメイソンのの傘下組織として都市伝説ありますが、実はそのような経緯から渡米した際にある人物と会合します。

 

 

 

 

そのある人物とは。

 

 

 

 

『ジョン・D・ロックフェラー』

 

 

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

あの世界を牛耳っていると言われている『ロスチャイルド財閥』と『ロックフェラー財閥』、双方と関わっているのです。

 

 

 

 

さらに、渋沢と『ジョン・D・ロックフェラー』は同じ学年でもあり、日本人で唯一会合した人物こそが「渋沢栄一」なのです。

 

 

 

 

 

 

次に新5千円札の『津田梅子』ですが、彼女は言うまでもなく、あの名門大学で有名な「津田塾大学」の創設者で、『女子教育の先駆者』として評価されている人物です。

 

 

彼女は6歳の時に『岩倉使節団』に随行して渡米し、キリスト教の洗礼を受けています。

 

 

 

 

岩倉使節団』…。

 

 

 

 

また繋がって来ていますね。

 

 

 

フリーメイソン

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また、彼女は『日本基督教女子青年会』(YWCA )を創設し、会長になっていますが、これもイルミナティの傘下となっているなどと都市伝説があります。

 

 

 

 

 

そして、最後の新千円札の『北里柴三郎』ですが、『日本の細菌学の父』として、ペスト菌の発見や破傷風の治療法の開発などに貢献し、また、「福澤諭吉」などの援助により、『伝染病研究所』の所長となりました。

 

 

 

 

この『伝染病研究所』に現・千円札の『野口英世』が就職しており、彼はのちに渡米し、『ロックフェラー医学研究所』の正社員となっています。

 

 

 

そうです。

また、繋がって来くわけです。

 

 

 

そして、現在の1万円札である『福澤諭吉』もフリーメイソンの会員だったという都市伝説があり、ここまで来ると偶然とは思えなくなりますね。

 

 

 

 

さて少し長くなってしまったので、次回はもう少しだけ深くお伝えしたいと思いますので、是非ご期待ください。

 

 

 

2020年 秋分の日

2020年の『秋分の日』は9月22日になります。

 

 

これは国立天文台が天文観測により、選出された日で、全世界共通の日となっており、世界各地の文明遺跡でこの『秋分の日』に特別なことが起こるような仕掛けがあるように建設されています。

 

 

 

 

例えば、メキシコにある『チチェン・イッツァ』と言う、マヤ文明期の遺跡で、世界遺産にも登録されている遺跡では『春分秋分の日』の日のみに現れるものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが『蛇』です。

 

 

 

この『蛇』とはマヤ文明では『ククルカン』と呼ばれる『最高神』であり、それが『春分秋分の日』のみに現れることから、『ククルカンの降臨』と呼ばれています。

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また、『イースター島』にある『モアイ像』』ですが、1000体近くあるこの像のうち、たったの7体だけが、『春分秋分の日』に沈む太陽を見つめて立っています。

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そして、太陽が沈む方向とはすなわち『西』であり、実はこの『モアイ像』は、我が国『日本』の方角を見ていると言う都市伝説もあるくらいです。

 

 

 

 

不思議ですよねぇ。

 

 

 

 

地球のほぼ反対側の『日本』を見つめているなんて。

 

 

 

 

 

その『日本』では、『春分秋分の日』は『御彼岸』と呼ばれる仏教行事があり、宗派と問わず御先祖様の供養のために、お墓参りに行く方が多いとおもいます。

 

 

 

 

 

これも不思議な事に、『日本』に伝わった『仏教』では、『西』の方角に極楽浄土があるとなっており、これまた『西』を指しているんですね。

 

 

 

理由は『仏陀』がいらっしゃる、インドが西の方角に位置していると言うこともあり、そこに憧れを抱いていた為などと言われいます。

 

 

 

 

また、この『御彼岸』。

 

 

 

 

実は『日本』独自のものだったんです。

 

 

 

 

太陽神である『天照大御神』をはじめとした『神道』と『仏教』が融合して、いつしか『春分秋分の日』の昼と夜の長さが同じ日に、御先祖様を供養するという風習が生まれたのです。

 

 

 

 

 

『日、出ずる国』と言われている『日本』では太陽が東から昇り、西に沈み、そして最果てには『仏陀』のいた国があり、そこに御先祖様の霊を無事浄土の世界を目指せるように、供養する。

 

 

 

 

 

それが『御彼岸』なのです。

 

 

 

 

『日本人』の心には昔から先人たちを敬うような心があったんですね。

 

 

 

 

 

 

さらに、宮中祭祀でも『春分秋分の日』に歴代の天皇などを奉る祭祀が行われている大祭のひとつであり、『皇霊祭』として大切な祭祀にもなっています。

 

 

 

 

 

 

そして、『御彼岸』の日に食べられる「ぼたもち・おはぎ」。

 

 

 

 

春が「ぼたもち」・秋が「おはぎ」と決まっています。

 

 

 

 

実は、これはこの時期に咲く「牡丹」と「萩」に由来しているんです。

 

 

 

 

また、小豆は邪気を払う食べ物となっておらは、五穀豊穣・健康などを願い食べられてきました。

 

 

 

 

小豆は秋(8月〜9月)あたりに収穫されるので、「おはぎ」はまだ新しい小豆を使うという事から粒餡が多く、その逆に春の「ぼたもち」は収穫してから時間が経っているので、すりつぶして使うことから、こし餡が多くなっていったのです。

 

 

 

 

 

 

今では食べ安い方をと両方とも販売している方が多いですがね。

 

 

 

 

 

ただ、このように『日本』の歴史を少し知ると、また食べる時に面白いですよね。

 

 

 

 

 

2020年は『敬老の日』・『秋分の日』と続いた年でしたが、目上の方や御先祖様を敬うことを特に意識出来る年になったのではないでしょうか。

 

 

 

 

そして、それこそが『日本人の心』なんだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の食文化

 

皆さんは明治維新後まで、基本的には『肉』を食べることを禁止していたと言うのご存知でしょうか。

 

 

 

 

 

えっ?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、これは本当の話なんです。

 

 

 

 

と言いますのも、『飛鳥時代』に『仏教』が伝来して以来、この『仏教』の世界では「動物を殺生を禁じている」ところから、その影響が特に『朝廷』などの貴族階級を中心に、ドンドンと広まっていきました。

 

 

 

 

 

ただし、庶民にはまだそれほど『仏教』自体が浸透もせずに、意味も分からなかったと言う理由から、庶民たちには肉食は続いていました。

 

 

 

 

 

そのような経緯から、貴族の食文化と庶民の食文化が分かれていったのです。

 

 

 

 

また、宮中料理でも犬や牛や猿などいわゆる獣肉の代わりに鶏肉、魚貝類などを使用するように変化していきました。

 

 

 

 

この辺りから、現在の『和食』に通ずるものが少しずつ出来上がってきたんですね!

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その後、武士の時代(『鎌倉時代』)にはいり、『鎌倉新仏教』が庶民の間にも広まっていくと、特に『禅宗』の教えから、動物性を一切使わない『精進料理』が発展していきました。

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なかでも『鎌倉五山』第一位であり、『禅宗』の寺院で、『臨済宗 建長寺』の修行僧が作ったもの(建長汁)が、なまって「けんちん汁」と呼ばれてるようになったと言う説もあります。

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また、この『精進料理』が発展し、『懐石料理』とつながっていき、現在では祝いの席など特別な日の会食として食されるようになっていきます。

 

 

 

 

さて、冒頭でもお伝えしたように明治維新後までは、このような経緯で基本的には『肉』は食べられていませんでした。

 

 

 

 

じゃあ何故、明治維新後から食べられるようになったかと言うと、それは

 

 

 

 

神仏分離

 

 

 

 

これは、『天皇陛下』を頂点とした政治改革で、それ以前の『神仏習合』とは異なり、『神道』と『仏教』を完全に分けて『神社』と『寺院』をはっきりと区別させると言う改革になります。

 

 

 

 

そうすることによって、明治新政府は『神道国家化』をすすめ日本の『国教』にしようと考えていたのですが、『平安京』が出来てからも1500年以上、『神道』と『仏教』両方を重じてきた『日本人』には、受け入れてはもらえなく、この制度は廃止しました。

 

 

 

 

 

またこの時、西洋のものをドンドン取り入れようと言うことで大々的に庶民に人気を誇ったのが「牛鍋」。

 

 

 

これは現在のみんな大好き「すき焼き」のもととなる食べ物です。

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でも、いくらその時代、西洋のものを取り入れようとして、「肉」を食べでも良いとなったところで急に食べれことって出来ますか?

 

 

 

 

実は「肉」は江戸時代、『薬膳』というたてまえで食べられていたのです。

 

 

 

 

 

もちろんそのまま出す訳にもいかないので、イノシシの肉を花(牡丹)の形で提供したり、様々な工夫を凝らして食されていました。

 

 

 

 

イノシシの鍋は現在でも「ボタン鍋」と呼びますもんね。

 

 

 

 

これは花札から取った隠語で、他にはシカを「モミジ」と呼んでいました。

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また、このような獣肉を提供する店を『ももんじ屋(百獣屋)』と呼ばれており、そこで食べることを『薬喰い』と呼ばれていました。

 

 

 

 

ここで、面白い話がありまして。

 

 

 

 

時々、アジア諸国など世界ではイヌが食用になっているという話を聞きませんか?

 

 

 

酷いことをする、残酷だ、野蛮などと思われがちですが実は昔は日本人も当たり前のように食べていたのです。

 

 

 

 

じゃあ何故食べなくなったのか。

 

 

それはあるきっかけからです。

 

 

 

そのあるきっかけとは、

 

 

 

 

『小類憐みの令』

 

 

 

特にイヌを重んじた5代将軍・『徳川綱吉』が出したこの法令によって、日本人がイヌを食べるのをやめていったのです。

 

 

 

 

また、『徳川四天王』の『井伊直政』や『桜田門外の変』で有名な『井伊直弼』が藩主であった『彦根藩』は、毎年、将軍に滋養に効く薬として味噌漬けにした牛肉を献上していました。

 

 

 

これが「近江牛」が名産となるきっかけにもなるわけです。

 

 

 

 

 

こうして、日本の食文化ひとつをみても、日本の歴史とは面白いものですね!

 

 

 

 

このような事を頭の片隅に置きながら、食事をするともっと楽しい食事になると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重陽の節句

 

みなさんは、今回の題名にもある『重陽節句(ちょうようのせっく)』を含む『五節句』をご存知でしょうか?

 

 

 

 

これは奈良時代以前から続いているもので、平安時代初期あたりには定着していった、宮中の伝統行事の節会(せちえ)で、祝いの日として天皇を中心に行われていた年中行事になります。

 

 

 

 

その中でも、江戸時代にはいり、幕府が公的に行事として、そして祝日として定めた5つの日のことです。

 

 

 

 

それが

 

 

 

①『人日の節句(じんじつ)』

  

→1月7日で『七草の節句

 節句料理は『七草粥

 

 

 

②『上巳の節句(じょうし)』

 

→3月3日で『桃の節句』または『雛祭』

 節句料理は『菱餅』や『白酒』・また『甘酒』など

 

 

 

 

③『端午の節句

 

→5月5日で『菖蒲の節句

 節句料理は関東では『柏餅』・関西では『ちまき

 また、菖蒲と勝負がおなじ音から武家から庶民につたわっていき、『菖蒲湯』に入る風習が出来た

 

 

 

 

④ 『七夕の節句(しきせき)』

 →7月7日で『七夕(たなばた)』

 節句料理は『素麺(そうめん)』

 

 

 

⑤『重陽節句(ちょうよう)』

 →9月9日で『菊の節句

 節句料理は『菊酒(日本酒などに菊の花びらを浮かべた酒)』

 

 

 

になります。

 

 

 

 

そして、9月9日は一桁の奇数で一番大きいことが重なることから、なかでも良い吉日となっています。

 

 

 

 

また、『花札』の絵柄にも使われていることからお正月に家族揃ってやる方々も多いと思われ、この図柄も馴染みもあるものだと思います。

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(↑上記の図柄が『菊酒』)

 

 

 

 

 

 

そして、菊の花は『天皇陛下』をはじめとする『皇室』の方々の家紋にも使われており、花言葉は『高貴』。

 

 

 

 

また、春の桜に対して秋の菊と言うように一般的には『国花』となっています。

ただし、法的には定められているわけではありませんが…。

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また、話は少しズレますが2020年9月と言うのは『金運』でも、180年に一度の最強の財運金運の月となっています。

 

 

 

 

そのなかでも、特に酉の月(9月)の酉の日(3日・15日・27日)に酉の方角(西)を見ながら、酉の時刻(18時ごろ)に、鶏やたまごを食べると『金運アップ』がするそうなので、是非これを機にお試しください。

 

 

 

 

確かに、たまごは「完全栄養食」としても、その色からしても『金運アップ』につながりそうですね。

 

 

 

 

個人的には、「だし巻き」をつまみながら『菊酒』を嗜みたいと思います。

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話は戻りまして、『重陽節句』はさまざまな神社で限定の御朱印を頒布しており、中には郵送頒布している神社もありますので、気になるものが見つかりましたら、是非!

 

 

 

 

私は千葉県野田市の最古の神社である『櫻木神社』のを郵送頒布して頂きました。

 

 

 

 

ここで、不思議と「菊」と「桜」と「酉」が繋がってくるんですよね!

 

 

 

 

何か縁がある場所と感じながら、コロナ渦がおさまったら参拝してみたい神社をまた新たに発見できた喜びを感じた1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

泉岳寺

皆さんは東京都港区にある『泉岳寺(せんがくじ)』と言う寺院をご存知でしょうか?

 

 

 

歴史好きな方はこの名前を聞いただけで、ピン‼︎とくると思いますが。

 

 

 

そうです。

 

 

 

あの『赤穂浪士』の47人とその赤穂藩の藩主であった「浅野 長矩(あさのながのり)」(浅野 内匠頭 たくみのかみの方が認知度は高い。)の葬られいる墓がある寺院になります。

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この寺院は江戸府内の『曹洞宗』の寺院を管理・統括する『江戸三箇寺』のひとつになります。

 

 

 

以前、『芝切通し 時の鐘』の時にお伝えした『青松寺』も同じ『江戸三箇寺』になります。

 

https://www.totan0703.com/entry/2020/08/06/%E8%8A%9D%E5%88%87%E9%80%9A%E3%81%97_%E3%80%8E%E6%99%82%E3%81%AE%E9%90%98%E3%80%8F

 

 

 

 

 

さて、『泉岳寺』は江戸幕府・初代将軍である「徳川家康」がかつて人質となっていた、「海道一の弓取り」とも異名をもっていた「今川義元」の孫にあたる、「門庵宗関(もんあんそうせき)」という僧侶を招いた際に建立した寺院になります。

 

 

 

そして現在の警視庁付近の外桜田に建立したとなっており、この場所は『江戸城』から目と鼻のさき、すぐ近くということから、「今川義元」と言う人物が、人質時代の家康に対していかに手厚い処遇をしていたのかと、少し想像ができます。

 

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しかし、その後『寛永の大火』により焼失。

 

 

 

 

この大火は江戸開府以来はじめての大火になり、広大な範囲を焼失させてしまいます。

 

 

 

そして、この時の調査の結果、日本橋材木町の材木置き場に火がつき、さらなる延焼の手助けをしたとして、永代島(現在の江東区富岡辺り)に幕府は材木置き場として指定し、この地に集結させました。

 

 

 

 

その時に「木場」と呼ばれるようになりましたが、のちに本所に移転するように命じられ、ここにいた材木商人達が、自力で払い下げをし発展させていったおかげて、後の「深川木場」という地名が誕生しました。

 

 

 

また、それにともない永代島も「元木場」とよばれるようになったのです。

 

 

 

 

 

面白いのが『赤穂浪士』が「吉良上野介」を討ち入りし、現在の『泉岳寺』に首を掲げて戻る際に、永代島に掛かっていた「永代橋」を渡ったとなっていることかも、なにか運命を感じてしまいます。

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話はもどり、外桜田にあった『泉岳寺』が焼失した後に、3代将軍・家光の命により、毛利などの5大名が再建に尽力し、現在の港区高輪の地に置かれてるようになります。

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この時から浅野家と『泉岳寺』の関係が深くなり、のち『赤穂浪士』とともに埋葬され墓があるわけですが、もうひとつ面白い話があります。

 

 

 

 

それは『泉岳寺』は『青松寺』とともに曹洞宗の統括寺でしたが、学寮と呼ばれる僧侶たちの学問所でもありました。

 

 

のちにこの2寺院は現在の『駒沢大学』へと発展していくわけですが、明治時代に入り、現在の「六本木ヒルズ」付近に校舎を新設しました。

 

 

 

 

この「六本木ヒルズ」と言う場所は元々は『毛利家』の藩邸があり、この場所で吉良を討ち入りした『赤穂浪士』の10名が預けられ、切腹しました。

 

 

 

 

このように、不思議と『泉岳寺』を中心に繋がっている『浅野内匠頭』と『赤穂浪士』たち。

 

 

 

現在も主従関係を保ち眠っているのに、なんとも言えない浪漫を感じでしまいますね。