前回、祝詞の中でも最重要なひとつで半年に1回行われる『大祓詞』と言う、祭祀で用いられる祝詞があり、それに登場する『瀬織津姫』と言う水神の女神が最重要神であるとお伝えしました。
また、『伊勢神宮 内宮』の『正宮』の次に尊いものとされている『荒祭宮』の祭神が『瀬織津姫』となっており、『伊勢神宮』の公式由緒書きには『東の正宮を天照大御神、西の正宮を瀬織津姫』祀っていたとなっています。
そして、『ホツマツタエ』と言う江戸時代の文献には驚くべきことが記載されていました。
それが。
えっ?と思う方も多いと思います。
それもそのはず。
だって、『天照大御神』は女神でしょ?
女神と女神が結婚出来るわけないじゃん!と。
分かります。
でも、少し考えてみて下さい。
歴史書とは勝者が書き換え加えていくものです。
そして、この『古事記・日本書紀』にはなぜか『瀬織津姫』は一切登場してきません。
では、なぜ『古事記・日本書紀』でわざわざ最高神である『天照大御神』を男神から女神に書き換えたのか。
そして、『瀬織津姫』が登場しなかったのか。
それにはどうも、当時の権力者の背景が存在していると思います。
その背景とは…。
前回、『大祓詞』を朝廷に奉上し、その後の祭祀などの際に、この祝詞を読み上げるのは「中臣氏」が担当(独占)していたとお伝えしました。
『古事記』は神々の誕生から第33代天皇『推古天皇』までを、『日本書紀』は第41代天皇『持統天皇』までを扱っており、皇室の歴史を語る上で極めて大事な、そして『日本人』のイデオロギーともなっている最古の歴史書です。
実はこれ以前にも『天皇記』などのものが存在すていたのですが、あるクーデターによってそれ以前の歴史書のほとんどが焼失してしまいました。
そのクーデターと言うのは。
『乙巳の変(いっしのへん)』
もうお分かりですね!
あの『大化の改新』でそれまでの豪族中心の政治から『天皇』を中心とした政治改革のはじまりで、この改革により『日本』と言う国号・『天皇』と言う称号がはじまり、また『元号』もはじまったとされる日本史上最大の大革命です。
そしてこの改革の勝者側は『天智・天武天皇』と『中臣鎌足』など。
『古事記』『日本書紀』は『天智・天武天皇』の時代に編纂がはじまり、また『大祓詞』は「中臣氏」が担当していましたね。
明らかに、歴史が塗り替えられているのです。
『天智・天武天皇』『中臣鎌足(のちの藤原鎌足)』ら権力者の手によって。
あたからも正当性を示すかのように。
そして歴史書は『天武天皇』の皇后で史上3人目の女性天皇になった『持統天皇』と続き、その2人の子『文武天皇』の時代に完成しました。
この『持統天皇』こそが第一回『神宮式年遷宮』を開始した人物です。
そして、史上2人目の女性天皇は『天智・天武天皇』の母であり、『乙巳の変』をこの息子たちを指導した『皇極天皇(のちに斉明天皇)』なのです。
これで条件は整いましたね。
そうです。
皇祖神である『天照大御神』を女神としたことによって、女性天皇の地位の正当性とこの出来たばかりの政権の強さを歴史書に書き、塗り替えてしまったのです。
だからこそ、『古事記』や『日本書紀』には『瀬織津姫』を登場させることは出来なく、そのかわりに祭祀などで用いられる『大祓詞』の四柱の中でも最重要神として登場させたのです。
今までなぜ、『天照大御神』=『大日如来』=『イエス・キリスト』になっているのに、『天照大御神』だけが女神なのかが、これでようやく分かってきました。
『卑弥呼』=『日皇子(ひみこ)』
このように歴史は塗り替えられて、『瀬織津姫』は『古事記』『日本書紀』には一切登場しませんでしたが、そのかわりに『大祓詞』に最重要神として登場させ、また『伊勢神宮 内宮』の正宮に次ぐ尊い荒祭宮の祭神に祀ることによって、現在でも仲睦まじく、そして『日本人』の心の中に夫婦2人揃って存在しているのでは無いでしょうか。
もし、そうだとしたらやはり古代史には浪漫を感じてしまいますね!