ここ最近、朝夕が急に冷え込み昼間でも10°台前半の気温もちらほらと出てきている、『日本列島』ですが、なにか急に「鍋」や「ラーメン」など、温かいものが食べたくなってくる季節になりました。
こと個人的には無類の「ラーメン」好きなので、無性に食べたくなる季節を迎えて、コロナ渦からあまり、外食を避けている手前、若干のストレスすら感じている今日この頃です。
さて、この「ラーメン」。
はじめて日本人で食べたと言う通説がある人物をご存知でしょうか?
ドラマの中では全国各地に旅に出て、助さん・角さんなどとともに旅先で悪代官などを成敗するという物語になっています。
「この紋所が目に入らぬかぁ!さきの副将軍、水戸光圀公であられるぞ!」
お決まりのあの台詞。
誰しもが頭下げていますが、このドラマが放送していた時代はまだ小さかったので、いまいちよくわかっていませんでした。
この「さきの副将軍」とは、実は「前(さき)の副将軍」と言う意味だったんですね。
前の副将軍であり、隠居した身であるから「御隠居」と呼ばれていたんです。
「徳川光圀」は実際には日本全国を周ったと言う史実はないですが、それでも「日光」や「鎌倉」、「金沢八景」などには訪れていて、さらにお付きの2人は『東海道中膝栗毛』の「弥次さん・喜多さん」がモデルになっていると言われいますので、少なからず、自らの足で色々なところを訪れていたのだろうと思います。
また、「徳川光圀」はかなりのグルメ家であったとして、チーズや餃子などもはじめて日本人で口にした人物です。
そして、『副将軍』と呼ばれた理由は『徳川御三家』の中で、唯一「参勤交代」を行わない藩で将軍を支えていたことから、そう称されるようになりました。
「徳川光圀」は大の学問、特に歴史好きで『大日本史』と言う歴史書を編纂し始め、光圀の死後も200年以上かけて初代天皇である『神武天皇』から第100代天皇『後小松天皇』までを編纂し、江戸時代を通して「水戸藩」の最大の事業となりました。
その結果として「水戸藩」に『尊皇』と言う考えが植え付けられ、幕末になると『尊皇攘夷運動』の先駆けとして、強い影響力を与えて行きました。
また、『日本三名園』のひとつでもある『偕楽園』は9代藩主「徳川斉昭」が藩士と領民のために静養地として建築し、春には見事なまでの『梅』が咲き誇ります。
2019年までは「徳川斉昭」が領民と偕(とも)に楽しむための園庭として、無料で見学できましたが、茨城県民以外は有料となってしまったのが、少し残念ですね。
ただ、一年を通して四季折々の花が咲いていますので、是非一度は訪れてみたいものです。
さて、これからドンドンと寒さの厳しい季節となりますので、くれぐれも健康には気をつけていきたいですね。
私個人的には地元で一番好きだったラーメン屋が先月末で閉店してしまい、寂しさと恋しさの感情の中で揺れています💦
もう一度、食べたかったなぁ。