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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

粉物最強遺伝子

『お盆』も過ぎ、少しずつ朝晩は過ごしやすくなってきてますが、もうそろそろ学校でも『夏休み』が終わりを告げようとしています。

 

 

 

 

今年の『夏』はどうでしたか?

 

 

 

 

3年ぶりの規制の無い『夏』となり、さまざまなレジャーを楽しんだ方も多いと思います。

 

 

 

 

個人的にはやっぱり『夏』=『祭』となっており、自宅で「お祭ごっこ」を2回ほどして、楽しみました。

 

 

 

 

 

『祭』で欠かせないのが『屋台』。

 

 

 

 

そして『屋台』と言えば、『たこ焼き』や『お好み焼き』など味の濃いソースを使った軽食のイメージです。

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そんな『たこ焼き』ですが、『大阪』のソウルフードと言ったイメージ。

 

 

 

 

 

それはそのはず、『たこ焼き』は『大阪発祥』の『郷土料理』だったんです。

 

 

 

 

そしてこの『たこ焼き』こそが、『粉物』の『最強遺伝子』だったんです。

 

 

 

 

と言うのも、『昭和』の初期に現在の『大阪市西成区』で、『ラジオ焼き』を『明石焼き』風に創作したのがきっかけとなっているんです。

 

 

 

 

『ラジオ焼き』と言うのは、見た目は『たこ焼き』ですが、中身が醤油ベースや味噌ベースで漬けた『牛すじ』や『こんにゃく』などが入っている、『明治時代』から『大正時代』にかけて子供を中心に大人気を誇った『粉物』の「おやつ」になります。

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(上記は『ぐるなび』より引用。)

 

 

 

 

この時にはすでにボール型で提供されているのがわかりますね。

 

 

 

 

当時まだまだ高級品であった『ラジオ』からあやかって、この名前になったとされています。

 

 

 

 

そして、『ラジオ焼き』のもとは『ちょぼ焼き』と言う、ひとくちサイズの窪みが出来た鉄板に、水に小麦粉やうどん粉を溶いたものを流して焼いた「おやつ」になります。

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(上記は『元祖ちょぼ焼き本舗』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

その『ちょぼ焼き』も元々は、『もんじゃ焼き』から派生したもの。

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(上記は『おやつカンパニー』より引用。)

 

 

 

 

もんじゃ焼き』については『江戸時代』後期にはすでに存在しており、それがいわゆる『下町』の『おやつ』として定番になっていき、『明治時代』以降、『お好み焼き』や『ちょぼ焼き』、『ラジオ焼き』から『たこ焼き』へと進化して行くという歴史があります。

 

 

 

 

 

仮に『もんじゃ焼き』を父方としたなら、『たこ焼き』から見たら『曽祖父』に当たるみたいなものになります。

 

 

 

 

 

では、次に母方である『明石焼き』がどうして出来たかと言うと、これも『江戸時代』後期からの特産品に繋がります。

 

 

 

 

 

と言うのも、『明石焼き』の発祥の地は、『兵庫県明石市』になります。

 

 

 

 

そして、『江戸時代』後期から『大正時代』まで人気を誇った『明石市』の特産品と言えば、『明石玉』。

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(上記は『雑学の壺』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

これは、『かんざし』の装飾品として大変人気な物でした。

 

 

 

 

特に『大正時代』まではまだ、和装が多かった時代。

 

 

 

 

女性にとって、いかに綺麗なものを装飾する事は今も昔も変わらないんですね。

 

 

 

 

その『明石玉』を作る材料として、『卵』の『白身』を使うんです。

 

 

 

 

 

 

でも当時、『卵』は高級食品。

 

 

 

 

残った『黄身』をそのまま捨ててしまうのは勿体無いですよね。

 

 

 

 

 

そこで、『明石海峡』があり『海の特産品』である『タコ』と『黄身』、それに水や小麦粉で作ったものが『明石焼き』となったんです。

 

 

 

さらに、『明石玉』を作る鉄板を用いて、丸くした物が今良く見る『明石焼き』の型となっていったんですね。

 

 

 

それがのちに現在では、当たり前な丸い型をした『たこ焼き』に繋がっていくんですね。

 

 

 

 

 

こうしてみると、たかが『たこ焼き』ひとつ取ってみても、色んな歴史が繋がる『郷土料理』。

 

 

 

だからこそ、『祭』でも定番のメニューであり、人々にも愛されているんです。

 

 

 

 

『祭』=『政』=『まつり』。

 

 

 

 

『まつり』は人を熱くさせ、その年の『五穀豊穣』を祝うものです。

 

 

 

 

 

 

そして、今まさに『まつり』=『政』激動の時代へと突入している世界。

 

 

 

 

しっかりと考え、後世に伝えなければいけません。

 

 

 

 

普段、当たり前に食べている物もたくさんの歴史があるんですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百鬼夜行

『お盆休み』も終わりまだまだ残暑の季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

この時期になると台風も近づいたりとで、気温が上がったり下がったり、また『お盆』疲れで、体調を崩してしまう方が多いと思います。

 

 

 

 

 

そして、昔はそれが『妖怪』や『怨霊』の仕業だと信じられてきていました。

 

 

 

 

そんな『妖怪』や『怨霊』、そして『先祖』の供養のために始まったのがいわゆる『お盆』なんですが、1200年の歴史のある『京都』にはある都市伝説が存在しています。

 

 

 

 

それは『妖怪』や『怨霊』たちが市中を練り歩く『百鬼夜行』。

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(上記は『水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展』より引用。)

 

 

 

 

 

百鬼夜行』とは、『妖怪』や『怨霊』・『鬼』たちが文字通り群をなして、『京都市内』を練り歩き、それを見たものは死んでしまうという、伝承となりますが、その歴史は古く、『平安時代』にはすでにこの伝承はあったとされています。

 

 

 

 

 

当時の貴族たちはそれを恐れて、『百鬼夜行』の日の夜中は外に出歩くことも控えていたのだとか。

 

 

 

 

その伝承が未だに、『京都』では深く浸透しているんですね。

 

 

 

 

 

では、一体『百鬼夜行』の日はいつなのかと言うと、

1月・2月→子の日

3月・4月→午の日

5月・6月→巳の日

7月・8月→戌の日

9月・10月→未の日

11月・12月→辰の日

 

 

となります。

 

 

 

これに合わせると2022年の8月は『戌の日』となるので、1日・13日・25日となっています。

 

 

 

13日はまさに『お盆休み』の時期と重なっていますよね。

 

 

 

 

だから、『京都』では『お盆』の最後の日に『大文字の送り火』をやったりするんですね。

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(上記は『五山送り火Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

また、現在では『ハロウィン』にあわせて、『大将軍八神社』のほど近く、大将軍商店街で『一条百鬼夜行』と言うイベントが開催され、さまざま『妖怪』や『怨霊』・『鬼』などに扮して行進しています。

 

 

 

 

この『大将軍八神社』は『桓武天皇』が『平安京』に遷都した際に、『結界』として建立した、由緒ある『神社』ですが、それはまた今度にして、そんな場所でやっているのが1200年の歴史がある『京都』だからこそできる、『町おこし』ですね。

 

 

 

 

 

そんな『百鬼夜行』は『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』など『説話文学』の傑作とされる作品にも登場しますが、その『妖怪』たちの数は数多。

 

 

 

 

『雪女』や『鎌鼬』、『黒坊』や『ぬっぺっぽう』など、一度はどこかで聞いたことがあるような『妖怪』たち。

 

 

 

 

 

その『妖怪』たちを率いているのが、『妖怪の総大将』である『ぬらりひょん』なんです。

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(上記は『ゲゲゲの鬼太郎』より引用。)

 

 

 

 

ただし、これもいわゆる俗説であり過去の記述には『妖怪の総大将』と言うものは残って無く、『ゲゲゲの鬼太郎』などのアニメや漫画でそのイメージがついたと言う説があります。

 

 

 

 

 

しかも、実際の『ぬらりひょん』は特に悪さをするわけでは無くて、勝手に家の中に入って堂々と煙草やお茶を啜る、掴み所がない『妖怪』です。

 

 

 

 

 

そんな掴み所のない『妖怪』が『総大将』だからこそ、『妖怪』自体もどこか愛嬌のある、全てが「悪」ではない『妖怪』たちが多いのでしょうね。

 

 

 

 

でも、いくら全てが「悪」ではない『百鬼夜行』を見てしまったら死んでしまうと言う伝承があり、その不安は拭い切れません。

 

 

 

 

もし、万が一『百鬼夜行』を見てしまったら、この呪文を唱えて下さい。

 

 

 

「かたしはや   えかせせくりに

くめるさけ    てえひあしえひ

われえひにけり」

 

 

この呪文を唱えると害が無いと伝わっています。

 

 

 

 

意味は、「自分は酔っていて、手も足も酔っているものである。」となります。

 

 

 

 

酔っ払いには、『妖怪』たちですら近寄らないってことですね。

 

 

 

 

また、『藤原氏』を特に『藤原道長』を軸とした歴史書である『大鏡』には、『蘇我入鹿』を先頭に、『藤原氏』に恨みがある者たちの『怨霊』が列を為して、『京都市内』を徘徊していると言うことが記載されています。

 

 

 

 

これは、当時いかに『藤原氏』が『摂関家』として権力を持っていたかと言うことを後世に残すための歴史書となっています。

 

 

 

 

 

そんな『怨霊』ですら支配出来るぞ!と。

 

 

 

 

事実、『藤原道長』の子、『藤原頼通』が建立した『平等院鳳凰堂』には、『日本三大妖怪』を封印していると言う逸話も残っているくらいですからね。

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(上記は『KYOTO SIDE』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

そんな『百鬼夜行』ですが、次の8月戌の日は25日になります。

 

 

 

 

ちょうど1週間後となりますが、この日は『仏滅』。

 

 

 

 

何か縁起の悪い事が起こらないように気をつけなければ行けませんね。

 

 

 

 

何故なら、一番恐いのは『人間』だから…。

完全数

皆さんは数学の世界で『完全数』ということばがあるのをご存知でしょうか?

 

 

 

 

完全数』とは、自分自身が自分自身を除く正の約数の和に等しくなる自然数のこととなっています。

 

 

 

 

と言っても、いまいち分かりずらいのでもう少し簡単に説明すると、ある数字の約数を全て足した数字と、そのある数字が同じになる数字のことを言います。

 

 

 

 

例えば、2の約数は「1」と「2」になります。

 

 

 

これを足すと

1+2=3

 

 

 

だから『完全数』とは言わないのです。

 

 

 

 

3の時も同じく、3の約数は「1」と「3」になります。

 

 

 

これを足しても

1+3=4となるのでこれも『完全数』とは言いません。

 

 

 

 

では、1番始めの『完全数』とはどの数字かというと、その数字というのが…。

 

 

 

 

 

『6』

 

 

 

 

6の約数は「1」「2」「3」になります。

 

 

 

これを足すと

1+2+3=6になります。

 

 

 

 

このように、その数字の約数を全て足して、その数字と同じ値になる数字を『完全数』と言います。

 

 

 

 

また、最後の約数の数字を2倍にしたら、その数字と値が同じになるという性質も持ち合わせています。

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では、他にはあとどのくらいあるのかと言うと

最初の3つは、『28』・『496』・『8128』となっています。

 

 

 

 

28=1+2+4+7+14

 

 

496= 1 + 2 + 4 + 8 + 16 + 31 + 62 + 124 + 248

 

 

8128= 1 + 2 + 4 + 8 + 16 + 32 + 64 + 127 + 254 + 508 + 1016 + 2032 + 4064

 

 

 

 

となります。

 

 

 

 

さて、『完全数』とはもともと『ピタゴラス』が名付けた数字にその名前が、由来しているとなっていますが、その証拠となる文献は見つかっておらず、ただの武勇伝的なものでした。

 

 

 

 

また『中世』の『聖書』の研究者の中には「『6』と言う数字は、神が世界を最初に創り出した6日間(『天地創造』)である。『28』と言う数字は、月の公転周期であり、これら2つの数字は、地上と天界における神の完全性を象徴している。」と述べています。

 

 

 

 

 

このように、不思議な公式で当てはまる『完全数』。

 

 

 

 

現在では、その数字は51個まで発見されており、今でもその研究は常にすすめられています。

 

 

 

 

完全数』が発見されてから2500年以上、未だにその数字を求めて熱心に研究しているんですね。

 

 

 

 

さて、数学の中での『完全数』は『6』や『28』などですが、世界で最も読まれている本ではそうでは無く、『7』となっています。

 

 

 

 

 

その本とは『聖書』であり、その中の記述では先程言った、『天地創造』が6日間であり翌日の7日目を『祝福日(安息日)』としたとなっています。

 

 

 

 

だから『7』と言う数字は『神』を表し、完成したと言う数字で最も重要な数字になっているんです、

 

 

 

 

そんな所から1週間は7日間となったり、『ラッキー7』は『7・7・7』となったんです。

 

 

 

 

ちなみに言うと『3』も『三位一体の神』を表していることから、『7』が3つ並んで『ラッキー7』になるんですね。

 

 

 

 

 

また、『仏教』においても『7』と言う数字は特別な数字で、『釈迦』が産まれてすぐ7歩、歩き『天上天下唯我独尊』としゃべったという逸話もあるくらいです。

 

 

 

 

『日本』には『七福神』という7人の『神様』を揃えて、縁起物としたりとやはり『7』という数字には特別な神秘的な数字となっています。

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(上記は『七福神』『歌川国芳』作 より引用。)

 

 

 

 

 

そして、現実的な数字の世界では『完全数』である『6』は、『聖書』の世界では『完全数』である『7』=『神』に届かない数字、『不完全数』として扱われているのです。

 

 

 

 

その最たるものが『聖書』の『ヨハネの黙示録』に書かれた数字。

 

 

 

 

『6・6・6』

 

 

 

 

『獣(悪魔)の数字』と呼ばれています。

 

 

 

この現実的には『完全数』であり、『聖書』では『不完全数』である数字、『6』をアルファベットに掛けて、全ての数字を足すと驚くべきものが浮かび上がってくるのです。

 

 

 

A    B   C   D   E   F   G   H   I   J    K    L    M    N

1    2    3   4    5   6    7   8    9  10 11  12   13  14

 

 

O   P   Q    R   S   T    U    V   W    X    Y    Z

15 16  17  18  19 20  21  22   23  24   25   26

 

 

 

例えば、現代ではほぼ全ての人が1日として触らない日はないコンピュータ。

 

 

 

 

これをアルファベットにすると、『Computer』となります。

 

 

 

 

そしてこの単語に数字をつけ加えると、

C   o   m   p    u     t     e   r

3+15+13+16+21+20+5+18=111

 

111×6=666

 

 

となるんです。

 

 

 

 

また、都市伝説では有名な『ビルゲイツ』。

 

 

 

 

彼は『日本』のある場所に壮大な敷地の別荘を建てました。

 

 

 

 

その敷地面積は約6600㎡。

 

 

 

 

そしてその場所というのが『日本』でも有数の避暑地である『軽井沢』。

 

 

 

 

これをアルファベットにして、数字を付け加えていくと、

K    A   R   I    Z  A   W  A

11+1+18+9+26+1+23+1=111

 

111×6=666

 

となります。

 

 

 

さらに現在、政府が推進している新型コロナのワ○チン。

 

 

 

この呼び方は『ドイツ語』から来ており、英語だと『vaccination』となります。

 

 

 

そして、これも同じように数字を当てはめていくと、

V    a  c  c   i   n   a    t    i     o    n

22+1+3+3+9+14+1+20+9+15+14=111 

 

111×6=666

 

 

 

となります。

 

 

 

そして、もうひとつ政府が推進しているものがあります。

 

 

 

 

それが…。

 

 

 

マイナンバー』

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(上記は『地方公共団体情報システム機構』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

これをアルファベットに当てはめていくと、

M    y    N    u    m   b  e   r

13+25+14+21+13+2+5+18=111

 

111×6=666

 

 

となるんです。

 

 

 

たまたまですがね。

 

 

 

このように、数学の世界での『完全数』と信仰するものによって少しニュアンスの違ってくる『完全数』。

 

 

 

 

どちらも本当の『完全数』となっており、その人によっての受け取り方もさまざまです。

 

 

 

 

何が正解というのはその人自身が決めるものなので、一概に正解を出すことはできませんが、ひとつだけ分かっていることは、さまざまな分野で『完全数』があると言うこと。

 

 

 

 

これを、踏まえて生活していくと、また新たな発見ができるかも知れません。

 

 

 

そういえば、『Google』のアプリの『Chrome』は『6・6・6』が隠されており、その名前の由来も『完全数』からとっていたなぁ。

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(上記は『Google ChromeWikipediaより引用。)

 

 

 

そして、その親会社の社名は『アルファベット』。

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(上記は『Alphabet Inc.』Wikipediaより引用。)

 

 

 

石高

2022年の大河ドラマもいよいよ『源頼朝』の義兄弟が全ていなくなり、佳境に入り始めています。

 

 

 

 

さて、時代劇でよく「◯◯万石の大名」と聞きますが一体どのくらいの量かご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

今回は、『石高制』が確立された『江戸時代』の単位でとすることにします。

 

 

 

 

 

まず『一石』と言うのは「1000合」になります。

 

 

『一石』=「1000合」

 

「1合」=「150g」

 

と言う事は、kg数に計算すると

『一石』=1000(合)×150(g)=150(kg)となるんです。

 

 

 

 

よく、米の単位で聞く『一俵』と言うのは「60kg」。

 

 

 

150(kg)÷60(kg)=2.5(俵)

 

 

となります。

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(上記は『小学館の総合通販サイトPAL-SHOP』より引用。)

 

 

 

 

そして良く見るお米屋さんなどにある紙袋のは30kg、と言うことはあの量は「半俵」と言うことですね。

 

 

 

 

ちなみに、『一石』とは大人1人が1年間、食べる米の量となります。

 

 

 

 

 

そして、『一石』の価値は時代によってその価値は変動しますが、基本的には『一石』=『1両』と言われています。

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(上記は『日本コイン古銭情報館』より引用。)

 

 

 

 

 

『1両』と言うのは現在の価値にすると、これも時代によって変動はありますが、基本的には『1両』=『10万円』。

 

 

 

 

と言う事は、

『一石』=『1両』=『10万円』

になります。

 

 

 

 

さて、『江戸時代』の武士の給料は現金ではなく、米で支払われていました。

 

 

 

 

その『石高』数は各藩によってさまざま。

 

 

 

 

 

余談ですが、いわゆる『城持ち大名』と言うのはおおむね『3万石』以上の『大名』のことを指しています。

 

 

 

 

それ以下の『大名』はお城を持てなかったって事ですね。

 

 

 

 

 

そんな中でも有名なのが『加賀藩』。

 

 

 

 

『加賀百万石』と言うのはあまりにも有名ですよね。

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毎年6月上旬には『加賀百万石』にちなんだ祭の『金沢百万石まつり』も開催され、数十万人の来場者を迎える大きな祭になります。

 

 

 

 

幕末期の『文久3年』に幕府の『大目付』が全国、各藩の『石高』を調べたところ堂々の第一位は圧倒的な差を開いて、やはり『加賀藩』の120万石。

 

 

 

 

 

唯一100万石を超えている藩が『前田利家』を祖としている『加賀藩』だけなんです。

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(上記は『加賀前田家』家紋 『加賀梅鉢』より引用。)

 

 

 

 

 

 

他にも聞いた事がある藩が上位20位までを占めています。

 

 

 

 

 

この当時、約270藩が存在していた所から見てもかなりの力を持っていた藩だったと言う事が分かります。

 

 

 

 

 

では『文久3年』の全国ランキングトップ10は言うと…。

 

 

 

 

 

 

堂々の第1位は、

加賀藩』→120万石  

 初代藩主『前田利長』→父は『五大老』の『前田利家

 

 

 

 

第2位は、

薩摩藩』→72万8000石

 初代藩主『島津家久』→父は『鬼島津』と畏れられた『島津義弘

 

 

 

 

第3位は、

陸奥藩』→62万石

 初代藩主『伊達政宗』→『独眼竜』として有名

 

 

 

 

第4位は、

尾張藩』→61万9500石

 初代藩主『徳川義直』→『御三家 筆頭』

 

 

 

 

第5位は、

紀伊藩』→55万5500石

 初代藩主『徳川頼宣』→『江戸幕府 中興の祖』である『徳川吉宗』を輩出

 

 

 

 

第6位は、

肥後藩』→54万石

 初代藩主『細川忠輿』→妻は『明智光秀』の娘『細川ガラシャ

 

 

 

 

第7位は、

『越前藩』→47万3000石

 初代藩主『黒田長政』→父は『豊臣秀吉』の側近中の側近『黒田官兵衛

 

 

 

 

第8位は、

『安芸藩』→42万6000石

 初代藩主『浅野長政』→『豊臣政権』時、『五奉行 筆頭』

 

 

 

 

第9位は、

長州藩』→36万石

 初代藩主『毛利輝元』→『五大老』のひとり、『関ヶ原の戦い』時は西軍の総大将

 

 

 

 

第10位は、

肥前藩』→35万7000石

 初代藩主『鍋島勝茂

 

 

 

 

ちなみに第11位が、

水戸藩』→35万石

 初代藩主『徳川頼房』→子は時代劇でお馴染み『水戸黄門』こと『徳川光圀

 

 

 

 

 

となっています。

 

 

 

 

 

こうしてみると、そのほとんどが『幕末』・『明治維新』後にも名を連なり活躍している藩ばかりというのが分かりますね。

 

 

 

 

 

そして、現在の価値に直すと

第1位 『加賀藩』→約1000億円

 

 

第2位 『薩摩藩』→728億円

 

 

第3位『陸奥藩』→620億円

 

 

第4位『尾張藩』→619億5000万円

 

 

 

第5位『紀伊藩』→555億円

 

 

 

第6位『肥後藩』→540億円

 

 

 

第7位『筑前藩』→473億円

 

 

 

第8位『安芸藩』→426億円

 

 

 

第9位『長州藩』→360億円

 

 

 

 

第10位『肥前藩』→357億円

 

 

 

 

ちなみに第111位の『水戸藩』→350億円

 

 

 

 

となります。

 

 

 

 

これをきいてもやはり、『加賀百万石』は伊達じゃないということがわかりますね。

 

 

 

 

 

さて、では『江戸幕府(将軍家)』は一体どれだけの『石高』があったのだろうか。

 

 

 

 

答えは『江戸幕府(将軍家)』は…。

 

 

 

 

約420万石。

 

 

 

 

 

現在の価値に換算すると、なんと4200億円にもなるのです。

 

 

 

 

圧倒的な、まさに『格の違い』を見せつける数字となります。

 

 

 

 

だから未だに『徳川埋蔵金』などの都市伝説があるんでしょうね。

 

 

 

 

 

ちょうど、今の時期は世間では『御盆休み』。

 

 

 

 

機会があれば、こういった視点からの『お城巡り』を楽しんでみてはいかがですか?

南蛮

皆さんは『南蛮』と言えば何を想像しますか?

 

 

 

 

 

学校の教科書や一般的には『南蛮貿易』。

 

 

 

 

 

そして、『キリスト教』の普及のために宣教師が来日し、さらには『火縄銃(種子島)』が広まり、それまでの戦術が一気に変わるきっかけとなりました。

 

 

 

 

南蛮貿易』→『キリスト教』の宣教師・『火縄銃』が一般的な歴史の知識となっていると思います。

 

 

 

 

 

キリスト教』の宣教師と言えば、必ず歴史の教科書にも出て来る『イエズス会』の『フランシスコ・ザビエル』。

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(上記は『イエズス会』紋章より引用。)

 

 

 

 

イエズス会』の会員数は現在、『カトリック教会』の中の『男子修道会』では最大規模のものとなっています。

 

 

 

 

実際、現在の『ローマ教皇』である『フランシスコ教皇』は『イエズス会』史上初の『教皇』となり、自身の紋章にも『イエズス会』の紋章が描かれています。

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(上記は『フランシスコ教皇』の紋章より引用。)

 

 

 

 

 

また、近年では大統領暗殺など、さまざまな『陰謀』の黒幕であると言う都市伝説のイメージがつきまとい、『イエズス会員』を表す『Jesuit』が『陰謀論者・策略家』などと訳されています。

 

 

 

 

実際、『陰謀論』で有名な『イルミナティ』の創設者、『アダム・ヴァイスハウプト』は『イエズス会員』であったと言うのは都市伝説界隈では有名な話となります。

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(上記は『イルミナティ』紋章より引用。)

 

 

 

 

 

イエズス会』の創設者の一人で、『日本』にも深い関わりがあった『フランシスコ・ザビエル』もこのような形になるとは思わなかったでしょうね。

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(上記は『フランシスコ・ザビエル肖像画より引用。)

 

 

 

 

そんな『フランシスコ・ザビエル』ですが、『日本人』の印象について、

「今まで見てきた国民の中で最高であり、『日本人』よりも優れた異教徒は見つけられないでしょう。

一般的には、『日本人』は善良な心を持ち悪意が無く、何よりも『名誉』を重んじています。」

と高評価をしています。

 

 

 

 

この場合の『名誉』とは、『武士』でも『農民』でも、貧しくてもそうでなくても、その事を『不名誉』とは思わずに、むしろ『名誉』であるとして生活をしている事を言っています。

 

 

 

 

 

また、『信仰心』についても、

「洗礼を受けなければ、地獄に堕ちる。」と言う、『フランシスコ・ザビエル』に対して、『日本人』のそのほとんどが、

「あなたの『神様』はずいぶんと無慈悲だし、無能では無いか。『全能の神』と言うのであれば、全ての人を救ってくれても良いのでないか?」と言ったと言います。

 

 

 

 

当時、『他力本願』の『一向宗(『浄土真宗』』)が全国的に広まっていた時代。

 

 

 

 

フランシスコ・ザビエル』はその返答に応える事ができなかったとし、

「『日本人』は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、『日本』での布教は不可能であろう。」

と、本国の『ポルトガル』に手紙を送っています。

 

 

 

 

 

そうした『日本人』の独特な感性に胸を打たれた『フランシスコ・ザビエル』は、

「日本人は、予の魂の歓びなり!」

と述べており、このことばは『西洋(『キリスト教圏内』)で広く知れ渡っていきました。

 

 

 

 

これが後に、『ペリー総督』が艦隊を率いて『日本』に開国をさせるよう決意した原因となったのです。

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(上記は『マシュー・ペリーWikipediaより引用。)

 

 

 

 

余談ですが、『ペリー総督』は『フリーメイソン』の会員であり、『イエズス会』同様、『陰謀論』の元凶、そして『アメリカ』自体もその『秘密結社』が建国したとも言われています。

 

 

 

 

 

『戦国時代』の終焉、『明治維新』のきっかけと共に時代の変換期をどちらも携わっている所を見ると、歴史の面白さをより一層深めることができますね。

 

 

 

 

 

 

だいぶ話はそれてしまいましたが、『南蛮』とは『スペイン』や『ポルトガル』及び『東南アジア』の文物や人物のこと。

 

 

 

 

 

そして、『南蛮人』が貿易と一緒に持ち込んだものを『南蛮◯◯』と呼ばれています。

 

 

 

 

 

この『南蛮』から持って来られた食材を使い作った料理がいま現在でも、そのまま使われているんです。

 

 

 

 

 

『南蛮』から持って来られた食べ物とは例えば、唐辛子・長ネギ。

 

 

 

 

 

 

「南蛮味噌」は唐辛子に味噌やその他の調味料で出来ているし、「鴨南蛮」や「カレー南蛮」は長ネギを使用しています。

 

 

 

 

なかでも「チキン南蛮」は食欲旺盛な男子には大人気の食べ物。

 

 

 

 

 

これも元は食材に唐辛子と酢をつけたものである「南蛮漬け」が発祥で、戦後それを鶏肉を用いて小麦粉とたまごで揚げたものになります。

 

 

 

特徴的なのが、揚げた鶏肉の上にタルタルソースや地域によってはオーロラソースかけて食べます。

 

 

 

 

他に『日本』の郷土料理で、こういった料理は中々見かけないですよね。

 

 

 

 

だから、2007年には農林水産省による農山漁村の郷土料理百選の「御当地人気料理特選」にも選定されているんですよ!

 

 

 

 

このように、『南蛮』から入ってきたものを独自のアレンジを加えて郷土料理にしてしまう『日本』。

 

 

 

 

 

さすがは『島国』ですね。

 

 

 

 

他にもたくさん『南蛮』発祥のものがあります。

 

 

 

 

そういったものをたくさん取り入れて、この夏を乗りきって行きましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二の丑

2022年も8月を過ぎ、暦の上ではあっという間に『立秋』になろうとしています。

 

 

 

 

その直前の18日と、12日に一回やってくる『丑の日』が重なった日のことを『土用の丑の日』と言います。

 

 

 

 

 

数年な一回、その周期が2回ある年があり、その2回目のことを『二の丑』と言います。

 

 

 

 

 

ってことは年に2回、『鰻』を食べられる年って事ですね。

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個人的には『二の丑』と言う『大義名分』を掲げて、『鰻』を頂こうと思いますが、実は『土用の丑の日(一の丑・二の丑共に)』は『鰻』かだけでないことをご存知ですか?

 

 

 

 

 

 

『う』が付く夏バテに効果のある食べ物なら何でも良いんです。

 

 

 

 

 

 

例えば、『うどん』。

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(上記は『丸亀製麺』の「かけうどん」より引用。)

 

 

 

 

 

『うどん』は、食欲が無い時でも「ツルッと」食べられ、消化も良い食べ物。

 

 

 

 

そして何より色んなバリエーションが出来ると言うのも魅力的ですね。

 

 

 

 

 

他にも、夏バテに効果のある『う』の付く食べ物は、『梅干し』や『ウリ科』の食べ物が定番です。

 

 

 

 

 

『梅干し』には疲労回復・夏バテ防止、消化吸収の促進などの効果があり、最近の研究では、食中毒を引き起こす『ピロリ菌』の抑制効果や、高血圧の抑制、脂肪燃焼効果などさまざま効果があることが分かっている食べ物です。

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(上記は『梅干し』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

また、『ウリ科』の野菜は『夏野菜』の定番ですが、その効果は茹だるような暑さの『夏』には絶大で、取り過ぎた余分な水分を、体内から取り除く効果や、体内の熱を下げる効果などがあります。

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(上記は『味の素』公式ホームページより「ゴーヤの天ぷら」から引用。)

 

 

 

 

 

と、ここまでは『丑の日(一の丑・二の丑)』に食べる『う』の食べ物の定番ですが、実は「牛肉」や「馬肉」もその中に含まれているんです。

 

 

 

 

どちらもスタミナがつきそうな栄養満天な食べ物ですよね。

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(上記は『ステーキのどん』より引用。)

 

 

 

 

 

 

その他にも『土用しじみ』・『土用餅』・『土用たまご』などがあります。

 

 

 

 

 

 

しじみ』は言わずと知れた肝機能に絶大な効果がある食べ物です。

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しじみの味噌汁』は二日酔いに効くとなんて話は有名中の有名ですよね。

 

 

 

 

ただ、その証拠と言うのはマウスにのみで、ヒトでの実証はされていないようですが…。

 

 

 

 

 

それでも、『日本』では遥か昔から重宝されており、実際に『聖地』とされている『神社』や『遺跡』周辺にはその『貝塚』が発掘されているんです。

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『土用餅』は、いわゆるあんころ餅をこの時期に食べる風習で、小豆は『無病息災』の縁起があることからも、『夏バテ』防止には最適です。

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また、小豆には疲労回復・肩こりや怠さ・高血圧防止にも効果があります。

 

 

 

 

疲れた時の甘いもの、まさに理に適った食べ物なんですね。

 

 

 

 

 

『土用たまご』はもはや言わずとも、良きかなと知れた『完全栄養食品』。

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その中でも『土用の丑の日』に産み落とされたたまごのことを『土用たまご』と言います。

 

 

 

 

 

その他には『土用の虫干し』・『丑湯』と言う風習があります。

 

 

 

 

 

『土用の虫干し』と言うのは、本来ならちょうど『梅雨明け』のこの時期。

 

 

 

 

ジメジメとした『梅雨』から『夏』に季節が変わり、この時期にクローゼットに閉まってある洋服などを風通しの良い日陰で干す風習になります。

 

 

 

 

 

洋服に限らず、梅干しや干物などもこの時期に干すと味が乗って良いとされています。

 

 

 

 

また、『丑湯』は『土用の丑』に桃の葉をお風呂に入れ、その薬草の効果で病気にならないとされています。

 

 

 

 

 

 

このように、『土用の丑』は『鰻』だけを食べると思いきや色々な風習があったと言う事が分かります。

 

 

 

 

 

そして、2022年は『二の丑』があります。

 

 

 

 

皆さんもよろしければ、こういった風習に則り過ごしてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校給食ランキング

小・中学校の『夏休み』が始まって早くも1週間が過ぎましたが、学校が休みで子供たちは嬉しい一方で、毎日の昼食の献立を何にするか悩んでいる親御さんも多いのではないでしょうか?

 

 

 

 

『夏休み』と言う長期の子供の休みに経済的・肉体的・精神的にも大きく負担のかかるこの時期。

 

 

 

 

 

少しでも負担を減らしたいですよね。

 

 

 

 

 

さて、そんな中で『全国学校給食協会』が発行している学校給食の業界誌、『月刊 学校給食』の調査で「1番人気の給食メニュー」を2021年7月に発表されました。

 

 

 

 

その対象となるのは、栄養教諭学校栄養職員・給食調理員になります。

 

 

 

 

 

その映えある第1位は…。

 

 

 

 

 

『カレーライス』

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(上記は『株式会社 明治』より引用。)

 

 

 

 

 

 

さすがと言った安定の第1位‼︎

 

 

 

 

 

これぞ、『Top of Top 』といいますか、学校給食と言ったらやはり、これですよね。

 

 

 

 

実際、栄養面としてもじゃがいもやにんじん、肉や玉ねぎなどさまざまな栄養素を含んでおり、まさに「栄養の宝箱やぁ〜!」なんです。

 

 

 

 

あの『日本人』初の『メジャーリーグ』殿堂入りを果たした「イチロー」さんですら、毎日『カレー』を食べて体を整えていたそうです。

 

 

 

 

 

そんな学校給食の『カレーライス』ですが、現在は『地場産物』といったその地域で採れた米や野菜・魚介類などを多く使うことが推奨されており、それによって『郷土愛』、しいては『日本』の食料自給率を高めること及び、『第4次食育推進基本計画』を目標としています。

 

 

 

 

 

また、ただ『カレーライス』と言っても『キーマカレー』だったり、ナンを使った『カレー』を学校給食としてだしたりして、国際的な『食文化』の教育の一環としての目的も含まれています。

 

 

 

 

 

ちなみに私の子供の小学校では毎月1回、各都道府県や外国の『郷土料理』が出されるそうですよ。

 

 

 

 

食べる事によって、地域の『食文化』を学校給食で学べるなんて、羨ましい限りですね。

 

 

 

 

 

次づいて第2位は…。

 

 

 

 

 

『揚げパン』

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(上記は『株式会社 明治』より引用。)

 

 

 

 

 

きな粉やココアの粉をまぶした砂糖たっぷりの甘〜い『揚げパン』。

 

 

 

 

こちらも、学校給食のメニューとしては頷けるメニューです。

 

 

 

 

 

と言うか、学校給食以外で食べた事が無いかも…。

 

 

 

 

 

と言うくらい、学校給食の代表的な『揚げパン』。

 

 

 

 

実は最近では、カロリー量の多さと栄養面からあまり出される回数が少ないのだとか…。

 

 

 

 

 

だから尚さら、『揚げパン』が献立に入っている時はテンションが上がりそうですね。

 

 

 

 

 

 

さて、次は堂々の第3位。

 

 

 

 

これも大人も子供も、ご飯のおかずにもおつまみにも合う最強の料理。

 

 

 

 

 

『から揚げ』

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(上記は『株式会社 明治』より引用。)

 

 

 

 

 

うーん、納得の第3位‼︎

 

 

 

 

 

もはや、語らずとも『日本国民』のほぼみんなが好きな料理ですよね。

 

 

 

 

 

個人的に私も大好きな料理です。

 

 

 

 

 

『から揚げ』と言っても、味付けがにんにくだったり、生姜だったり、醤油だったり塩だったりと、さまざまなバリエーションのあるこの料理。

 

 

 

 

 

ここから『味』と言うのを『食』を通して学び、この『食文化』が各家庭に引き継がれていくんですね。

 

 

 

 

そのきっかけとなるに過ぎないんです、学校給食と言うのは。

 

 

 

 

 

 

こうしてみると、普段から家庭やレストランで当たり前のように見かける料理が2種類も入っていたり、甘くて美味しい最近ではあまり見かける回数の少なくなってきた料理などがトップ3を独占しています。

 

 

 

 

 

なるべくしてなっていると言うような料理ばかりですね。

 

 

 

 

 

ちなみに『冷凍みかん』や『ソフト麺』も上位にランクインしていました。

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(上記は『株式会社 SN食品研究所』公式ホームページより引用。)

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(上記は『ニッポン放送NEWS ONLINE より引用。)

 

 

 

 

ただ、この個人的にはこの2つは馴染みがあまり無いんだよなぁ〜。

 

 

 

 

 

とにもかくにも、学校給食は『食文化』としても成長する過程でも、大事な教育の一環のひとつです。

 

 

 

 

子供たちの中には『夏休み』明けになると痩せて帰ってくる子も多いそうです。

 

 

 

 

2019年の『厚生労働省』が行う『国民生活基礎調査』によると、なんと『日本』では17歳未満の子供が『貧困』にあたる割合が13.5%もあると言う事実が分かりました。

 

 

 

 

これは7人に1人が『貧困』状態であると言うこと。

 

 

 

 

考えられない数値です。

 

 

 

 

その背景にはさまざまな要素がありますが、何よりも子供のうちはしっかりと食べ、栄養をつけなければいけません。

 

 

 

 

だから『食育』と言う観点からみても、学校給食って大事なんですね。

 

 

 

 

皆さんも、是非もう一度世の中のことを考えて、子供や仲間たちと一緒に学校給食のことについて語ってみては如何でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紀尾井坂

茹だる様な暑さで、外に出るのも嫌になってくる今日この頃。

 

 

 

 

特に『山手』から内側の『都心』に住んでいる方は大変だと思います。

 

 

 

 

と言うのも、『東京都』で『山手』より内側と言うのは、地形的に見て、めちゃめちゃ坂が多い土地となっています。

 

 

 

 

 

『東京都』を含む関東平野は古くても約160万年前もはるか昔は、海の中にありました。

 

 

 

 

それを証拠に約160万年前の『クジラ』の化石が、『東京都』の西部、『昭島市』で見つかっているんですよ。

 

 

 

 

 

その後、火山の噴火や山の隆起・沈降を繰り返しさらに、多摩川東京湾の波などで浸食で凸凹な地形になって、いまのような坂や谷が多い地域になっていったんです。

 

 

 

 

 

そんな坂や谷が多い『東京都』。

 

 

 

 

特に起伏の激しい、23区ではなんと坂が900ヶ所以上も存在しており、中でも『港区』・『新宿区』・『文京区』などいわゆる『山手』にそれが集中しています。

 

 

 

 

 

逆に隅田川や荒川などがあるいわゆる『下町』の方は比較的少ない数になっています。

 

 

 

 

 

中でも有名な坂は『九段坂』や『神楽坂』、そして最近ではアイドルグループの『乃木坂』・『欅坂』・『櫻坂』・『日向坂』になりますが、もう一つ『日本』で当時の歴史をひっくり返すような事件があった坂があります。

 

 

 

 

 

それが『紀尾井坂』。

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では『紀尾井坂』で一体何が起きたかと言うと、『大久保利通』がこの地で殺害されたのです。(実際には『紀尾井坂』ではなく、紀尾井町清水谷。)

 

 

 

 

 

大久保利通』と言うと、倒幕・維新に尽力した中でも特に尽くした3人のひとりで『維新の三傑』になります。

 

 

 

 

 

その中でも、特に『大久保利通』は初代『内務卿』、第3代、そして殺害された当時も第5代『内務卿』を務めていた人物です。

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(上記は『大久保利通Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

『内務卿』と言うのは、『明治時代』の『太政官』制度における、実質的『首相』。

 

 

 

 

 

『内閣』制度が開始される1885年(明治18年)12月22日までこの役職は続いています。

 

 

 

 

 

そんな、『明治時代』初期の現職トップオブザトップが暗殺されるなんて事件は、スタートしたばかりの近代『日本』に激震が走りました。

 

 

 

 

 

 

何か、現在の『日本』と似ていますねぇ。

 

 

 

 

 

 

さて、この坂は元は『江戸時代』に『紀州徳川家』・『尾張徳川家』、そして『彦根藩井伊家』の藩邸があった場所になります。

 

 

 

 

だから、その頭文字を取って『紀尾井坂』となったんです。

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(上記は『国際日本文化研究センター』より引用。)

 

 

 

 

 

上記の図の赤い部分がちょうど、『紀州徳川家』・『尾張徳川家』・『彦根藩井伊家』の藩邸があることがお分かりになると思います。

 

 

 

 

 

 

現在、この地はどうなっているかと言うと、

紀州徳川家』藩邸跡

 →清水谷公園・東京ガーデンテラス紀尾井町参議院宿舎など。

 

 

 

 

尾張徳川家』藩邸跡

 →上智大学

 

 

 

彦根藩井伊家』藩邸跡

 →ホテルニューオオタニ

 

 

 

 

となっています。

 

 

 

 

ちなみこれは全てが中屋敷となって上屋敷はと言うと、

紀州徳川家上屋敷跡→『赤坂御所』や『赤坂迎賓館』など。

 

 

 

尾張徳川家上屋敷跡→『防衛省』など。

 

 

 

彦根藩井伊家』上屋敷→『国会前庭』など。

 

 

 

 

となっています。

 

 

 

 

 

彦根藩井伊家』の上屋敷が『江戸城』の『桜田門』のすぐにあり、現住所が「東京都千代田区永田町1-1」になっていることをみると、いかに『彦根藩井伊家』が『江戸時代』を通して、重要な『譜代大名』であり、『明治維新』後も、それを現在も含めて重要な地と置いていると言うのが分かりますね。

 

 

 

 

 

なぜならそこには、『大日本帝国』時代の旧陸軍『参謀本部』跡があり、戦後『日本』の『三権分立』の象徴である、『三権分立の時計塔』があるから。

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(上記は『東京とりっぷ』より『三権分立の時計塔』 引用。)

 

 

 

 

 

 

このように、ひとつの坂を取ってみても、現在にも繋がる『日本』の歴史を見ることができる『紀尾井坂』。

 

 

 

 

 

『東京』には『日本』には、もっとさまざまな坂が存在し、そのひとつひとつが歴史に繋がる坂となっています。

 

 

 

 

 

 

東京観光も、少しちょっと斜め横の目線から見てみると、また違った光景が見えてくると思いますよ。

 

 

46

いよいよ7月も後半となり、『夏休み』に入りました。

 

 

 

 

今回もちょっと不思議な、偶然の『都市伝説』をお伝えしようかと思いますので、万が一気分を害してしまう様であれば、すぐに読むのをおやめください。

 

 

 

 

そして、決して特定の人物や団体を誹謗中傷を目的としたものでは無いと言うことを、改めてここでお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

さて、皆さんの周りにはさまざまな数字に溢れていると思います。

 

 

 

 

 

中でも、『日本』のメディアなどを通して近頃良く見る数字。

 

 

 

 

『46』。

 

 

 

 

 

アイドルの『坂道グループ』にはこの『46』という数字が付いていますよね。

 

 

 

 

 

実は、この『46』と言う数字には人にとって、とても深い繋がりのある数字なんです。

 

 

 

 

例えば、我々の住んでいるこの『地球』。

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(上記は『気象庁』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

『地球』が誕生してから約『46』億年が経過していると推定されています。

 

 

 

 

 

また、ヒトの『染色体』の数は、男女ともに22対の『常染色体』と1対の『性染色体』の計『46』本の『染色体』になります。

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(上記は『染色体』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

だから、ヒトはすんなりとこの数字を意味が分からなくても受け入れることが出来たんですね。

 

 

 

 

 

さて、ここからは偶然の産物。

 

 

 

 

 

たまたまなった『46』にまつわる都市伝説をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

と言うのも、『46』と言う数字の時に『日本』や『世界』を震撼させる事件や災害が起きているのです。

 

 

 

 

阪神・淡路大震災

 →1995年(平成7年)1月17日 5時46分

 

 

 

 

アメリ同時多発テロ

 →2001年(平成13年)9月11日 8時46分

 

 

 

東日本大震災

 →2011年(平成23年)3月11日 14時46分

 

 

 

 

 

ねっ、不思議とこの数字の時間にこの様な事件や災害が発生しているのです。

 

 

 

 

 

さて、2022年(令和4年)7月8日に、またもや『日本』や『世界』を震撼させる事件がおこってしまいました。

 

 

 

 

 

それは『安倍晋三元首相 襲撃事件』。

 

 

 

 

一国の元トップがあんな形で襲撃されるなんて、思ってもいない、まさに衝撃的な事件でした。

 

 

 

 

その日はほぼすべてのテレビ局が番組の内容を一部変更して、この事件についての報道をしていました。

 

 

 

 

そして、悲報を一斉報道した17時46分。

 

 

 

 

安倍晋三元首相』が亡くなったと言う速報がテロップに映し出されたのです。

 

 

 

 

 

17時46分にね…。

 

 

 

 

 

その後はご周知の通り、『全世界』で政治家や各界の著名人たちなどがその悲報にコメントをあげました。

 

 

 

 

そして、7月20日には『日本政府』は『国葬』を行う事で調整すると発表。

 

 

 

 

 

その日付というのが9月27日。

 

 

 

 

9+2+7=18

 

 

 

 

 

あれ?

 

 

 

 

 

たまたまかぁ。

 

 

 

 

 

この国葬は戦後、『吉田茂』元首相以来、55年ぶりのこととり、2人目となります。

 

 

 

 

 

 

『日本』では現職の首相や元首相が暗殺されるのは計7人目となってしまいましたが、そのどれもが痛々しい事件となっています。

 

 

 

 

 

そしてちょうど約100年前、正確には101年前にも、国民の目の前で痛々しい事件が『東京駅』でおきます。

 

 

 

 

 

その事件とは『原敬内閣総理大臣暗殺事件。

 

 

 

 

 

当時の現職首相になります。

 

 

 

 

現在、その現場と言うのは、『東京駅』丸の内南口券売機前に円の内部に6角形のかたちで残されています。

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(上記は『東京とりっぷ』より引用。)

 

 

 

 

 

さて、『原敬』首相が暗殺された日はというと、1923年(大正10年)11月4日になります。

 

 

 

 

19+23+1+1+4=46

 

 

 

 

 

そして、その約2年後には『明治時代』以降、最大の被害を出した大災害が『日本』を襲ってきます。

 

 

 

 

それが『関東大震災』。

 

 

 

 

その日付けと言うのが、1923年(大正12年)9月1日 11時58分。

 

 

 

 

 

12+9+1+11+5+8=46

 

 

 

 

 

そして、『原敬』暗殺事件からちょうど…。

 

 

 

 

666日目。

 

 

 

 

全て偶然のことなんですがね。

 

 

 

 

 

と、このように不思議と『46』と言う数字に関わっている我々、人類。

 

 

 

 

偶然なのか、それと必然なのかは分かりません。

 

 

 

 

 

ただ、こうした事実があることは確かです。

 

 

 

 

 

 

この全てが操られているかどうかは分かりませんが、こうした事実を踏まえ生活していくと、もしかしたら何かに巻き込まれた時、危険を回避出来るかも知れません。

 

 

 

 

知っているのと、知らないのでは全く違いますから…。

 

 

 

 

 

最後に現在の『アメリカ』大統領である、『ジョー・バイデン』氏。

 

 

 

 

彼は『ジョン・F・ケネディ』氏以来、『カトリック教』出身の2人目の大統領になります。

 

 

 

 

そして、彼が何代目の大統領かと言うと…。

 

 

 

 

 

『46』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸三大刑場

夏本番となり、茹だるような暑さの皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 

 

 

 

『日本人』は島国という特異な地形から『夏』は高温多湿の時期から、さまざまな方法でその暑さを乗り切るために工夫を凝らし生活してきました。

 

 

 

 

 

そんな中でも今回はいわゆる『心霊スポット』として、有名な『江戸三大処刑場』跡地についてご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

 

まず、1つ目は多分、『江戸時代』の中でもきっての有名な処刑場、『鈴ヶ森刑場』跡。

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(上記は『Googleマップ』より引用。)

 

 

 

 

ここは地図からも分かる様に、『江戸市中』の南の玄関口、『品川区南大井』に置かれた処刑場で、『東海道』沿いに設置されていました。

 

 

 

 

これは当時、『東海道』から入ってくる『浪人』たちの犯罪が多発したために、その警告の意味でこの地に設置されたとなっています。

 

 

 

 

ここで処刑された最も有名なのが、『八百屋お七』。

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(上記は『月岡芳年』作 『松竹梅湯嶋掛額(八百屋お七)』より引用。)

 

 

 

 

 

坂本冬美」が歌う、『夜桜お七』のモチーフとなった人物です。

 

 

 

 

この話は現在、さまざまな芸能・文学などの形で取り入れられている作品になりますが、それはそれは悲しい物語であり、また実際いた人物でもあります。

 

 

 

 

 

この物語は、5代将軍『徳川吉綱』の時代。

 

 

 

 

『天和の大火』によって、八百屋の娘であった『お七』と家族は『正仙院』と言う寺院に避難しました。

 

 

 

そこで出会った若者に恋い焦がれてしまい、もう一度火事になれば、再びこの若者に逢う事が出来ると考えます。

 

 

 

 

そして、自らの手で放火をしてしまいその罪で捕まってしまいます。

 

 

 

 

 

その時の火事は、小火程度の大した火事には至りませんでしたが、今も昔も放火は重罪に当たります。

 

 

 

 

その罪によって『火あぶりの刑』となり、それを見た『江戸』の民衆たちは同情したと言うものとなっています。

 

 

 

 

なんとも儚い娘の、そして哀れな描写を描いているこの作品ですが、それでも「悪いものは悪い!」と教訓にもなっている作品になっているんですね。

 

 

 

 

だからこそ、未だに人気な物語なんです。

 

 

 

 

 

次に、有名な『江戸』の処刑場として、現在の

荒川区南千住』に置かれた『小塚原刑場』跡。

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(上記は『Googleマップ』より引用。)

 

 

 

 

 

ここは『江戸市中』の北の玄関口として、『日光街道』沿いに設置された刑場です。

 

 

 

 

 

やはりこの地も『鈴ヶ森刑場』と同様、『日光街道』の最初の宿場町(『東海道』の最初の宿場町は『品川宿』)として、外から入ってくる浪人たちへの警告の意味として、この地に設置されたとなっています。

 

 

 

 

 

また、この近くの『千住大橋』は『江戸幕府』最初の大橋として、隅田川に架けられたものであり、この大橋以外は防衛上、隅田川に架ける橋は認めないとしていましたが、『明暦の大火』以後、交通上・安全上のためにいくつかの橋を架けるよう『江戸幕府』が認めました。

 

 

 

 

 

それだけ、重要な拠点だったと言うことですね。

 

 

 

 

そんな、『小塚原刑場』ですが『鈴ヶ森刑場』とは違い、刑死者を解剖したり、刀の試し斬りをしたり、また国の反勢力である『国事犯』を埋葬する場所となっていました。

 

 

 

 

あの『安政の大獄』で処刑された『吉田松陰』やかた『橋本左内』などもこの地に一時、埋葬されるというくらい、『江戸幕府』との繋がりが深かった場所です。

 

 

 

 

さらに、『杉田玄白』などで有名な『解体新書』の翻訳のために、この地の刑死者を使い、解剖しその正確さを調べていた場所となり、その結果のちに、その後の『日本』で西洋医学が大いに役立つものとなったのは言うのは、言うまでもありません。

 

 

 

 

 

ただ、通常の刑死者の埋葬は、申し訳程度に土をかけるなどで、『夏』になると周辺には悪臭が漂い、野犬やカラス、イタチなどがそれを食い散らし、まさにその光景は『地獄絵図』のようだったそうです。

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(上記は『地獄絵図』『西福寺 蔵』より引用。)

 

 

 

 

そんな経緯もあり、両国にある『本庄回向院』の住職の弟が、死者の埋葬と供養を行うために創建したお堂が、後の『南千住回向院』となります。

 

 

 

 

 

最後は『東京都八王子市』にある『大和田刑場』。

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ここも『江戸』の重要な街道である『甲州街道』沿いにあります。

 

 

 

 

そして、『甲州街道』から『江戸市中』に入る防衛ライン。

 

 

 

 

この地を防衛していたのが『八王子千人同心』ですが、そこから程近くの『浅川』の河原が『大和田刑場』になっていると言うのも、やはり『江戸幕府』は『甲州街道』から出入りする浪人、また多摩地域の人々にと警告する目的で設置されたというのが伺えます。

 

 

 

 

事実、『甲州街道』は将軍家に『有事の際』に甲府まで避難するための最終防衛ライン。

 

 

 

 

一番重要な街道とされているので、鉄砲隊や足軽など数多くの兵をここ、『八王子』に置きました。

 

 

 

 

現在の『八王子市千人町』はそんな守備を固める兵を集めた『八王子千人同心』から付いた地名となっています。

 

 

 

 

 

だから、『八王子市』周辺の多摩地区では、普段は農家として生計を立て暮らしているが、一度戦が起こるとすぐに戦闘態勢に慣れるよう日々訓練し、そのような地域の歴史的背景から、幕末に多摩地区出身の『新撰組』が登場したのでしょう。

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(上記は『新撰組Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

このように、『江戸市中』にとって全て重要な街道沿いにあった『江戸三大刑場』。

 

 

 

 

 

いかに、当時その警告としての意味をもち、『江戸市中』を護ってきていたかが、分かります。

 

 

 

さて、皆さんはこの3カ所の『刑場』、『刑場』以外に跡地が共通なものがあります。

 

 

 

それがなんだか分かりますか?

 

 

 

 

答えは、『江戸三大刑場』跡地が『三角形』になっていること。

 

 

 

 

そして『風水』で、『三角形』の土地を見てみると…。

 

 

 

 

 

『大凶相』

 

 

 

 

だったんです。

 

 

 

 

 

『風水』では「尖った所には殺気がある。」とされており、そう言った点を見ても、元『刑場』という場所には良い気が流れていないんですね。

 

 

 

 

 

だから余計に『心霊現象』など不可解な現象が起き、それが広まって『心霊スポット』になるんですね…。

 

 

 

 

 

今ではその面影は残っていなかったり、『跡地』という石碑すら無い場所もありますが、決して遊び半分で行かないことをオススメします。

 

 

 

もちろん、歴史的資料などで行く事は、良いと思いますが、それ以外の目的でむやみやたらと足を踏み入れては…。

 

 

 

 

何が起こっても知りませんよ。

 

 

 

 

自己責任でお願いします。

 

 

 

 

ただ、間違いなくこういう場所が過去に実際にあったんだと言うことと、それが主要な街道沿いにあったと言うこと、そしてその目的は『江戸幕府』を守るためということは忘れないでください。

 

 

 

 

そして、だからこそ『江戸幕府』は260年以上も続いたということも!

 

 

 

 

チャンプルー文化

2022年5月15日、『アメリカ』からの『沖縄返還』50周年を迎えました。

 

 

 

 

 

それに伴い、『財務省』は記念硬貨を発表するとして、壱万円硬貨と千円硬貨の2種類を発行すると発表。(現在は予約受付は終了だと思われます。)

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(上記は『財務省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

 

そんな『沖縄』ですが、歴史を振り返ると、昔から様々な文化が入り混じった、いわゆる『チャンプルー文化』だったと言うことが伺えます。

 

 

 

 

 

と言うのも、『沖縄県』の場所がちょうど『日本』と『中国』の間に位置しており、そんな中で『琉球王国』と言う、独自の国家が存在していました。

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(上記は『Googleマップ』より引用。)

 

 

 

 

 

『日本』においては『推古天皇』の時代にはすでに交流があったと『日本書紀』には記載されており、なんと『伊勢神宮』を始め、諸神社にも宝物を献上していたと言う記載もあります。

 

 

 

 

また、『中国』に対しても、『推古天皇』の次の代、『舒明天皇』の時代にはすでに『流求(りゅうきゅう)』と言う記載がされており、その後も、『遣唐使』など『日本(朝廷)』・『中国』の架け橋として、その存在と役目を担ってきました。

 

 

 

 

 

 

ここで面白い話があって、『琉球王国』の生史である『中山世鑑』など多くの書物には『保元の乱』で負けた『源為朝』が逃げ延びて、『沖縄』に着き、そこで出会った娘との間に出来たのが、『琉球王国』の初代王である『舜天』になったと伝わっています。

 

 

 

 

 

 

この『源為朝』と言うのは、『源頼朝』や『源義経』の叔父である人物です。

 

 

 

 

 

元々、『源氏』は『清和天皇』の子。

 

 

 

 

と言うことは、『琉球王国』の王族は『天皇』の子孫ということになるんですね!

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(上記は『琉球王国』国章 『左三つ巴』より引用。)

 

 

 

 

 

 

その後も『中国』では『明』や、『日本』では『室町幕府』・『豊臣政権』との交流を保ち、特に『明』や『清』には属国扱いで、朝貢をする形でその文化をたもっていました。

 

 

 

 

だから、『文化』的に『中国』に近い遺跡が数多く残っているんですね。

 

 

 

 

 

そして、『江戸幕府』になると、幕府の命で『薩摩藩』が『琉球王国』に侵攻。

 

 

 

 

 

ここから、『琉球王国』は『江戸幕府』・『清』共に、『冊封国(従属国)』となりながらも、独立国家としての体制を保ち、独自の文化を維持・発展させてきました。

 

 

 

 

 

この両方の国の文化を取り入れながら、独自の文化を維持・発展させていったのが『チャンプルー文化』。

 

 

 

 

 

『チャンプルー』とは、「チャンポン(ごちゃ混ぜ)」が訛った言葉で、そのような文化が発展していったのは、歴史的に見ればごく自然となり、それが今日まで続いてる文化というのは、大切に伝承していく必要があるんですね。

 

 

 

 

その『江戸時代』を通じて、『琉球王国』の国王が即位する毎に『謝恩使』を、『江戸幕府』将軍が就任する毎に、『慶賀使』を派遣することになっていきます。

 

 

 

 

その数はなんと『18』。

 

 

 

 

いかに、『琉球王国』が辛抱強いと言うのと、それだけ、『江戸時代』を通して、この地との交流が重要であったかと言うのが、この史実からも伺えます。

 

 

 

 

 

 

そんな『琉球王国』ですが、『江戸幕府』解体後、『明治政府』となったきっかけで、正式に『日本』の一部となりますが、このことを『琉球処分』と言います。

 

 

 

 

これは、聞こえも悪いようなイメージですが、ようは『琉球王国』と言う国家を解体させ、本格的に『日本』の一部として国を乗っ取り、『沖縄県』としたということです。

 

 

 

 

その理由は幾つかありますが、『日本』側はちゃんと『沖縄県』を自国の一部にすることによって、領土拡大、税徴収を増やす事が出来ると言うこと。

 

 

 

 

また、『琉球王国』側も、当時多額の負債を抱えていたために、その負債を『明治政府』が肩代わりしたことなどです。

 

 

 

 

 

また、当時大変貴重であった『砂糖』を手にすることが出来るなどで、『琉球王国』を『琉球藩』にし、『日本』に迎えいれたと言うのが、『明治政府』にとって、さまざまな思惑があったと言うのが伺えますね。

 

 

 

 

 

その後、『第二次世界大戦(太平洋戦争)』では、『日本』においては唯一の『本土戦』そして、対戦後には『アメリカ』に統治され、『アメリカ軍』の管理下に置かれることとなります。

 

 

 

 

これが世に言う『琉球政府』。

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(上記は『琉球政府Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

そして1969年、『佐藤栄作内閣総理大臣と、『ニクソン』大統領の『日米首脳会談』で、『沖縄返還』を約束。

 

 

 

 

1972年には、晴れて『沖縄県』が『日本復帰』を遂げました。

 

 

 

 

こうしてみるとつい50年前まで、常に支配されていたと言う歴史がある『沖縄県』。

 

 

 

 

 

でも、それが逆に独自の生み出し、今も尚その文化が行き続けているのです。

 

 

 

 

 

例えば、『琉球王国』の『宮廷料理』。

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(上記は『星野リゾート』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

どちらかと言うと、その見た目は『中国』の影響を受けていますが、味付けには『北海道』から取り寄せた昆布を出汁に使用しています。

 

 

 

 

 

また、『江戸時代』全国的に『日本』では食肉を禁止していまたが、『琉球王国』では栄養価の高い豚を色々な食材として料理されていました。

 

 

 

 

さらに、庶民の料理でも『中国』から伝わった、「医学的な治療も、日常の食事も、源は同じである。』と言う考えの『医食同源』と言う理念を持ち、『ぬちぐすい(命の薬)』として、生活に根付いています。

 

 

 

 

 

例えば、今では『沖縄料理』の定番中の定番、『ゴーヤチャンプルー』。

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(上記は『味の素』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

ゴーヤには夏不足がちなビタミンCが豊富に含まれており、野菜の中でもかなり多い方になります。

 

 

 

 

また、カリウムには余分なナトリウム(塩)を排出する効果があり、むくみ防止にもなります。

 

 

 

さらにはゴーヤの苦味で食欲増進と、暑い気候の『沖縄県』にはうってつけの食材だったんです。

 

 

 

 

それに、栄養価の高いたまごや豆腐を合わせれば『夏バテ』防止には最適な一品。

 

 

 

 

食材の力を組み合わせて、その土地土地にあった気候を乗り切る。

 

 

 

 

まさに、『沖縄県』ながらの料理ですね。

 

 

 

 

また、『沖縄県』では飲み会の締めに、ステーキを食べると言う習慣があります。

 

 

 

 

普通なら、お茶漬けとかラーメンが締めに食べるものとイメージですよね。

 

 

 

 

 

その背景には、『沖縄県』が『アメリカ軍』の統治下にあった時代に遡ります。

 

 

 

 

と言うのも、当時は領地は『アメリカ』だったので、輸入肉が安く手にました。

 

 

 

 

そうした中で当たり前に食べるようになった『沖縄県』の人たち。

 

 

 

 

さらに酸味のある「A1ソース」をレアかミディアムレアの状態のステーキにたっぷりとかけて、食らいつくのが定番なんですよ。

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(上記は『楽天市場』『39ショップ』より画像引用。)

 

 

 

 

 

個人的には、今ではこれがないと物足りないと思うくらい大好きな調味料のひとつとなりました。

 

 

 

 

最初に食べた時は衝撃的で、ステーキが勿体ないとも思ってましたがね。

 

 

 

 

また、『正月』にはほとんどの家庭で、『ケンタッキー』を食べるそうです。

 

 

 

 

いまでこそ、『正月』に『ケンタッキー』と言う家庭も増えつつあると思いますが、やはり定番と言えば『御節料理』ですよね。

 

 

 

 

でも、これが『沖縄県』では一般的なんです。

 

 

 

 

これも『アメリカ』の統治下にあった時代の影響が大きいでしょう。

 

 

 

 

 

アメリカ』の統治下にあった時代の影響で大きいのが、音楽や俳優などの芸能関係。

 

 

 

 

元々あった『沖縄三味線』や『エイサー』などにプラスして、『アメリカ』から入ってきた『ロック』や『ダンス』などか合わさり、ほかの県には無いくらい、数多くの『スーパースター』が登場しています。

 

 

 

 

 

このように、『チャンプルー文化』によって発展していった『沖縄県』とその人々。

 

 

 

 

この文化は永遠に守り続けなければ、いけないと改めて実感しますね!

日本の首都

7月15日は『首都圏』などを中心に『お盆』の時期が多く、お墓参りや家族と集まる家庭も多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

さて『首都圏』と言うだけあって、ほとんどの『日本国民』が「『日本の首都』はどこですか?」の質問に、「『東京都』です。』と即答すると思います。

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(上記は『Googleマップ』より引用。)

 

 

 

 

実際、学校でもそう習ったし、テレビや報道でも『首都 東京』と言っていますからね。

 

 

 

 

 

 

『東京都』には『国会(立法)』、『首相官邸』・『行政省庁(行政)』、『最高裁判所(司法)』の三権の最高機関が揃っていることからも、明らかに『日本の首都』は『東京都』となるに違い無いと思います。

 

 

 

 

 

 

もちろん、人口も大企業やメディアの本社も他の『道府県』に比べたら比べ物にならないくらい多いし、お金を発行する中央銀行である『日本銀行』の本社だって、『東京都』にあります。

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(上記は『日本銀行Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

 

さらには各国の『大使館』も常設されているのは『東京都』。

 

 

 

 

海外からの報道でも、『首都』は『東京都』と報道されています。

 

 

 

 

 

でも、これ実は『日本の法律』で『首都』が『東京都』だとは明記されていないんです。

 

 

 

 

だから、正確に言えば『東京都』は『日本の首都』では無かったのです。

 

 

 

 

 

ただ、事実上『東京都』となっているのは間違いないですがね。

 

 

 

 

 

では、一体『日本』の本当の『首都』はどこか?

 

 

 

 

 

それは『千年の都』と称される場所…。

 

 

 

 

 

 

『京都』

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(上記は『京都御所』 『宮内庁』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

と言うのも、『明治』に入り『天皇』はさまざまな場所に『行幸』しました。

 

 

 

 

その一環として、『東京(江戸)』に入り、そのまま『江戸城』だった所を『天皇』の仮の住まい(『皇居』)としただけだったのが、未だに続いているだけなんです。

 

 

 

 

 

 

 

その理由はさまざまですが、まず第一に『江戸城』開城の際に、無傷で開け渡されたこと。

 

 

 

 

 

ボロボロの状態では、『天皇』が住んだり政務を行う事が出来ないからです。

 

 

 

 

次に、『皇居』周辺には『大名屋敷』が立ち並んでいること。

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(上記は『江戸城下町』 『国立図書館』 蔵より引用。)

 

 

 

これをそのまま省庁などの政務機関にしてしまえば、無駄な経費がかからないためです。

 

 

 

 

 

そして、第三に『東京』に『皇居』を移し、政務を行うことによって、それまで『朝廷』にいた『公家』たちが動かす政務よりも、『薩長土肥』を中心とした、もとは武士の身分の彼らが政務を執り行い易かったことになります。

 

 

 

 

 

『京都』にそのままいたら、『藤原家』などを筆頭に『公家』に口を挟まれたり、『京都』に住む人々に睨まれたりしてしまいますからね。

 

 

 

 

 

それを嫌った『明治政府』は自分達のやりたいような政務を行うために、わざわざ『東京』に『天皇』を連れてきたのです。

 

 

 

 

 

敵の大将の本拠地であり、一番の戦利品である『江戸城』に『天皇』を住まわせ『皇居』に変え、自分達のやったことを、まるで『正当化』させるようにね。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、戦後まも無い時までは『法律』でも『首都』は『東京都』となっていましたが、その後その『法律』は撤廃。

 

 

 

 

 

だから、事実上の『首都』と言う名目で『東京都』が現在の『首都』になっているんです。

 

 

 

 

 

 

ここで参考までに、『天皇』をはじめとする『皇室』と共に、『国際儀礼』もしくは『世界標準公式マナー』と訳される『プロトコール』で最上位の方に立つ、『エリザベス女王』をはじめとする『ロイヤル・ファミリー』。

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(上記は『皇族』・『ロイヤル・ファミリー』紋章より引用。)

 

 

 

 

 

 

その『ロイヤル・ファミリー』が住むのは『イギリス』の『ロンドン』になりますが、実はここも国際上、国の『首都』ではありません。

 

 

 

 

 

と言うのも、『イギリス』の正式名称は『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』。

 

 

 

 

 

4つの国が集まった連合国家なんです。

 

 

 

 

 

その4つと言うのが、

イングランド

 

 

ウェールズ

 

 

スコットランド

 

 

 

北アイルランド

 

 

 

この4国から成るのが現在の『イギリス』です。

 

 

 

 

サッカーなどスポーツの国の代表では、それぞれの国で出場していますよね。

 

 

 

 

だから、それぞれ本来は違う国なんです。

 

 

 

 

中でも『イングランド』の首都が『ロイヤル・ファミリー』の住む『ロンドン』だったことから、この地を中心に発展していっただけなんです。

 

 

 

 

 

意外と勘違いしている方も多いと思いますが、お間違いなされないよう、お気をつけ下さいね。

 

 

 

 

 

 

ただ、このように『君主国家』では基本的に『王族』が住む場所が『首都』となっています。

 

 

 

 

 

だから『日本の首都』ってのは、他の国と比べて特異な性質をもっているんですね。

 

 

 

 

逆に『王族』のいない『共和国家』は分かりやすく明記している国が多いです。

 

 

 

 

例えば、『アメリカ合衆国』は『ワシントンD.C.』、『フランス共和国』は『パリ』、『ドイツ連邦共和国』は『ベルリン』、『イタリア共和国』は『ローマ』と。

 

 

 

 

 

こうして見ると、やはり歴史の長い『日本』だからこそ、このような事態になっていることが分かりますね。

 

 

 

 

 

「歴史を知ると地理を知り、地理を知ると社会全体が見えて来る。」

 

 

 

 

 

誰が言ったかは分かりませんが、この言葉がまさに『日本』そして、『世界』そのものだと感じます。

 

 

 

 

 

もっと、『日本』が好きになるきっかけになりますね。

 

 

 

 

 

これから夏休み!

 

 

 

 

是非、お子さんにもこんな雑学を教えてやってください!

 

 

 

 

きっと面白さが伝わりますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花火

本格的な『夏』となり、暑い日が続いてますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 

 

 

 

『夏』と言えば、夕涼みを楽しむ『花火』などが風物詩となります。

 

 

 

 

 

そして、中でも代表的な『花火』と言えば、『隅田川花火大会』が有名なのではないでしょうか。

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(上記は『名所江戸百景』 「歌川広重 作」より引用。)

 

 

 

 

 

その歴史は古く、江戸時代中期の享保18年に『徳川吉宗』の命で始まったとされています。

 

 

 

 

 

 

 

当初は隅田川の川開きの始まりの日に行われたこの行事。

 

 

 

 

茹だる様な暑さを少しでも涼しく過ごすために、屋台舟に乗って楽しむといった『江戸時代』の人々。

 

 

 

 

その川開きの最初の日に、当時、花火師『玉屋』・『鍵屋』が自身の宣伝のために大々的に『花火』を打ち上げたのが由来となっているんです。

 

 

 

 

冷房などが無い当時、いかにして暑い『夏』を過ごそうかと考えて始まったイベントだったんですね。

 

 

 

 

 

よく、『花火』が打ち上がる時の掛け声で「た〜まや〜、か〜ぎや〜!」と言うのは、交互に打ち上げ、その花火師たちの腕前を競ったことから来ているんですよ。

 

 

 

 

 

そんな『玉屋』・『鍵屋』ですが、もともとは7代目の『鍵屋』の番頭だった「玉屋市兵衛」という人物が暖簾分けをしたのが『玉屋』となりました。

 

 

 

 

 

だから、そもそもは同門同士の競い合いだったんですね。

 

 

 

 

 

 

そして、当時人気だった方が『玉屋』だった事から、先に「た〜まや〜」、後に「か〜ぎや〜」と言う掛け声が誕生していきました。

 

 

 

 

 

ただ、そんな人気を誇った『玉屋』もある時、半丁(約54.5㎡)ほどの街並みを焼失させる火事を起こしてしまい、そのせいで『江戸』の町から追放されてしまいます。

 

 

 

 

逆に『鍵屋』の方とは言うと、現存する『最古』の花火株式会社である『株式会社宗家花火鍵屋』として、今も尚その技術を伝承・教育などと行い、江戸川区で運営しています。

 

 

 

 

 

そんな隅田川で開催されていた『花火大会』。

 

 

 

 

 

その場所は『両国』で開催されており、ここは『国技』である『大相撲』の施設である『両国国技館』やそのきっかけとなった『両国回向院』など、『江戸時代』好きにはたまらないスポットが集結しています。

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(上記は『Googleマップ』より引用。)

 

 

 

 

 

ここで面白いのが『両国』にある『回向院』はもともと『明暦の大火』によって亡くなった死者のために建てられたのが始まりで、この大火をきっかけに、作られたのが『両国橋』や『永代橋』になります。

 

 

 

 

 

 

当時、『江戸城』防衛のために、隅田川には『千住大橋』しか掛けられていませんでした。

 

 

 

 

また当時は全て、木造建築になります。

 

 

 

 

そう言った条件の下、火事になると火が一気に広がり、ひとつしか無い橋を目当てに逃げ遅れた人々はなんと10万8000人。

 

 

 

 

なんとも悲惨な事件です。

 

 

 

 

『明暦の大火』は『江戸時代』最大の火災であり、これをきっかけに掛けられた橋を渡って武家屋敷や寺社などが移転。

 

 

 

 

それに伴い、隅田川の東側に民衆も移動するようになり、『深川』などが発展していきました。

 

 

 

 

『深川』にある『冨岡八幡宮』は『江戸三大祭』のひとつ『深川祭』として、『江戸幕府』の命により始まったこともあり、保護され370年以上も続く、由緒ある祭となっています。

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(上記は『冨岡八幡宮Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

 

 

大火災の復興によって、発展してきた『江戸の町』と『江戸の文化』。

 

 

 

 

 

 

それを肝に銘じて、守り続けることが、大事なんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

また『両国』とは『武蔵国』と『下総国』にまたがる橋が出来たことから、両方の国にまたがると言う意味で、この地名が付けられました。

 

 

 

 

そんな歴史があった場所で開かれた隅田川の『花火』。

 

 

 

 

徳川吉宗』の時代には『享保の大飢饉』もあり全国でたくさんの死者を出しました。

 

 

 

 

 

その死者の供養のために、隅田川で『花火大会』が始まったとされていますが、実は関係は無いようです。

 

 

 

それでも、その様な話が出ること自体、死者の供養ともなるし、またそれだけ食べ物はもちろん、楽しみにも飢えていたという分かります。

 

 

 

 

 

春には隅田川の『花見』が有名ですが、これも隅田川の開発のために、桜の木を植え、それを名所として命じたのも『徳川吉宗』です。

 

 

 

 

その理由は植えたばかりの桜の木の土を、観光客に歩かせ、踏ませて固くするため。

 

 

 

 

 

倹約家『徳川吉宗』ならではのアイディアですね。

 

 

 

 

 

そんな現在では『四季』を感じる代表的になった隅田川の『花火』と『花見』。

 

 

 

 

 

今年は中止と決定しましたが、来年こそは開催を期待したいですね。

 

 

 

 

 

どちらも『日本』の『風物詩』ですから。

新しい生活様式

2022年6月に『日本』では、観測史上最短の『梅雨明け』、『夏』を迎えました。

 

 

 

 

そして、何よりも急な気温の高さ。

 

 

 

 

本来であれば、『梅雨』の時期に少しずつ気温が上昇し、それにつれて体も慣れてくるはずの季節なのに、もうすでに40℃を超えている地区もあるくらいの『日本』。

 

 

 

 

 

さらにはコロナ禍によって『マスク』着用を任意ではありますが、義務づけられたりしてそれは『熱中症』になりますよ、と言った具合です。

 

 

 

 

 

そんな中、政府は『環境省』・『厚生労働省』を主体に『新しい生活様式』と言うものを発表しました。

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(上記は『環境省』・『厚生労働省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

その内容は、「屋外では人と人との距離を十分に保った上なら、熱中症を防ぐために、マスクをはずしましょう。」と言うもの。

 

 

 

 

 

さらに、マスク着用時には

①激しい運動を避ける。

 

 

 

②こまめに水分を補給する。(これは、喉が乾いていなくても)

 

 

 

③高温多湿の時は特に注意が必要です。

 

 

 

 

となっています。

 

 

 

 

今まで、あれだけ意識してマスク着用を心掛けていた生活から一変、この急激な暑さに対応するためにとの予防対策になります。

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(上記は『環境省』・『厚生労働省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

 

具体的な例としては、屋外では十分な距離(2m以上)を確保していれば、マスクの着用は必要が無いということや、家族でのお出掛けの際でも、家族間のみの接触であればマスク着用は必要は無いといったものです。

 

 

 

 

また、公園などでのウォーキングやランニング、サイクリングなどでもマスクは必要が無いとしています。

 

 

 

 

さらには、通勤通学の際でも屋外であれば、徒歩や自転車などで、人とすれ違う場合であってもマスク着用は必要無しとなりました。

 

 

 

 

そして、屋内についてもほとんど会話の無い、図書館や美術館などはマスク着用必要無しとする一方で、やはり買い物や電車の中などでは、マスク着用を推奨しています。

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(上記は『厚生労働省』ホームページより引用。)

 

 

 

 

どちらにしても、マスクの所持は必要と言うことですね。

 

 

 

 

 

 

こういった経緯から、『文部科学省』でも新たな動きを示しています。

 

 

 

 

 

例えば、基本的な感染対策としては引き継ぎ、継続はするものの、体育の授業や運動部活動の活動中、登下校の際には、熱中症対策を優先的に行い、児童生徒に対してマスクを外すように指導すること。

 

 

 

 

 

その上で、十分な距離を取ったり教室内でも換気を徹底するなどの、ガイドラインを踏まえた取組みを工夫して必要な対応をすることと指示が出されています。

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(上記は『文部科学省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

これに伴い、保育園や幼稚園の未就学児でも2歳未満の乳幼児は、継続してマスクの着用は推奨しない事となりました。

 

 

 

 

 

また、2歳以上の幼児についても、マスクの着用は一律では求めず、ケースバイケースで施設管理者の判断により、着用を求める可能性もあるとなりました。

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(上記は『文部科学省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

このように、大人も子供も熱中症対策をしっかりと取って生活をしていくことが必要と政府からも要請があります。

 

 

 

 

 

この他にも『厚生労働省』はさまざまな『新しい生活様式』について、実践例を挙げているので、ぜひ一度ご覧下さい。

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(上記は『厚生労働省』公式ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

ここで少しウソのような本当の話がありまして、平成17年(2005年)から『環境省』が、主体となり政府が推奨する『クールビズ』。

 

 

 

 

 

中でも代表的な「冷房時の室温28℃設定」。

 

 

 

 

 

環境省』は2005年から毎年、この温度を推奨してきましたが、実はこの温度設定、科学的根拠は全く無いそうです。

 

 

 

 

むしろ、なんとなくの目安として28℃という温度でスタートしたのが、独り歩きをし、このような事になったと、2017年に当時の『副法務大臣』が発言しています。

 

 

 

 

 

 

今まで、暑いのを我慢していたこの数年間はいったい、なんだったんでしょうね。

 

 

 

 

 

それよりも、熱中症になる方が人体にとって多大な影響があると言うことなのでしょう。

 

 

 

 

でも、私に限ってと思っている方も多いと思いますが、熱中症って本当にヤバイんです。

 

 

 

 

 

例えで言うなら、「熱中症は脳や内臓が、体内でゆで卵たまごになったようなもの。」と専門家はおっしゃいます。

 

 

 

 

生卵が一度、ゆで卵になってしまうともう二度と生の状態には戻りませんよね。

 

 

 

 

 

それと一緒で、熱中症の重度になってしまうと体内の臓器が固くなり、もう二度と戻ることは無いのです。

 

 

 

 

だから、気をつけなければいけないのです。

 

 

 

 

ましてや、判断の出来ない子供たちには、大人がしっかりと見守ることが重要!

 

 

 

 

 

現在、新型コロナのオミクロン株の進化版がまた、感染力を強め、感染者数も日に日に増加傾向にあります。

 

 

 

 

さらに、『サル痘』と言うまた違う感染ウイルスが世界で広まりつつあります。

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(上記は『NHK』より画像編集 引用。)

 

 

 

 

 

特に感染しやすいのは、子供と言うことと、マスク着用が予防になると『WHO』も報告をあげています。

 

 

 

 

 

そんな、今の現代社会。

 

 

 

 

いかに、対応し上手く付き合っていくかが重要なんですね。

 

 

 

 

『未来のために!』

 

パスタの由来

『夏』に入り本格的な暑さが始まりましたが、体調管理だけは十分に気をつけていますでしょうか?

 

 

 

 

この暑さで、中々思うように食事が出来ない方や、料理も億劫になってしまいがちなこの季節。

 

 

 

 

 

 

 

さらには物価上昇のこのご時世。

 

 

 

 

 

そんな中でもオススメな食べ物が『パスタ』。

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(上記は『馬車道』『ペスカトーレ』より引用。)

 

 

 

 

 

 

と言うのも、『パスタ』は値段の割には、1袋の量が結構入っていて、コンビニだと400gの袋で170円前後という安さ。

 

 

 

 

基本、1人前当たり100gだとすると、1食当たり42.5円しか行かないんです。

 

 

 

 

 

もちろん、スーパーやドラッグストアなどではもっと安く手に入る場所もたくさんあり、日持ちもするので『非常食』としてもオススメです。

 

 

 

 

 

さて、そんな『パスタ』ですが、『パスタ』と『スパゲッティ』の違いってお分かりですか?

 

 

 

 

 

イメージだと『パスタ』と言うと、ちょっと小洒落た『イタリア料理』と言う感じで、『スパゲッティ』と言うと、一般家庭で食べるような感じがしますよね。

 

 

 

 

 

でも、実は『パスタ』とは『イタリア』では麺食品、全ての総称だったんです。

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だから、『マカロニ』も『ラザニア』も、も『ペンネ』も『スパゲッティ』も全てが『パスタ』と分類されるんです。

 

 

 

 

 

 

その中でも、細い紐状のものを『スパゲッティ』と呼びます。

 

 

 

 

 

『日本』には昔から『蕎麦』や『うどん』が食されていたため、『スパゲッティ』は馴染み深く、受け入れやすくなっていたため、こちらの方が主流になっていったんですね。

 

 

 

 

 

さて、そんな『スパゲッティ(パスタ)』ですが、さまざまな種類が存在しています。

 

 

 

 

 

トマトベースを使ったり、魚介類を使ったり。

 

 

 

 

それから、見た目は似ているのに名前が違ったりとややこしい時があると思います。

 

 

 

 

でも、実はその種類の名前の由来は至ってシンプルで、それを一度覚えてしまえば、そう簡単に間違えなくても済むんです。

 

 

 

 

 

と言うのも、例えば『日本人』の大人から子供までみんな大好き、『ボロネーゼ』。

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(上記は『スパゲッティ』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

この名前の由来は『イタリア』北部にある都市『ボローニャ』からになります。

 

 

 

 

そして、それとほぼ同類の『ミートソース』。

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これは『イタリア』から『アメリカ』に渡り、その後、前後に『GHQ』の駐留軍とともに、『日本』に伝わり、『日本人』に定着していきました。

 

 

 

 

似たようで似て無い『ボローニャ』て『ミートソース』ですが、作り方も若干異なり、本場『イタリア』の『ボローニャ』の方は、刻んだタマネギやセロリ、『トマトペースト』をオリーブオリーブで炒め、じっくりと焼いた挽肉を『ワイン』を素材に汁気が無くなるまで煮詰めた料理になります。

 

 

 

 

 

 

反対に『ミートソース』は工程はほとんど同じですが、『トマトペースト』では無く、『トマトケチャップ』を使い、そこに砂糖やウスターソースなどで甘味を足した味付けの料理となります。

 

 

 

 

 

一説では、『アメリカ』の国民の大半が『トマトケチャップ』は『野菜』だと思っているなんて都市伝説があるほど。

 

 

 

 

実際、『レーガン』政権下には『トマトケチャップ』を『野菜』として認定するなどの法案があがったり、2011年の『オバマ』政権下では『トマトソース』が入っているからと言う理由から『ピザ』を『野菜』だと合法的にカウントされるようになりました。

 

 

 

 

 

恐るべし、『アメリカ』…。

 

 

 

 

 

 

そんな『トマトケチャップ』をベースにした『ミートソース』。

 

 

 

 

戦後間もなく、物資の少ない『日本』で、駐留軍兵士が持ってきた『野菜(トマトケチャップ)』を使った『スパゲッティ』だからこそ、『学校給食』や『食堂』でも出されるようになり、定着していったと言う歴史があったんですね。

 

 

 

 

 

次に人気な『カルボナーラ』。

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(上記は『スパゲッティ』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

カルボナーラ』はチーズやベーコン・たまご(黄身や全卵共に)や『胡椒』、生クリームを使った料理とイメージがあります。

 

 

 

 

 

でも、実は『カルボナーラ』の名前の由来は、『炭焼職人』と言う意味から来ています。

 

 

 

 

 

『炭焼職人』の手からポロポロと落ちる『炭』を『胡椒』と見たたてて、この名前になったと言われいます。

 

 

 

 

だから、『胡椒』がふんだんにかかっていれば『カルボナーラ』と言う料理は成り立つんです。

 

 

 

 

ただ、それだけでは絶対に美味しくないので、やっぱりベーコンやチーズ・たまごは必要となってきますけどね。

 

 

 

 

 

次は『ペペロンチーノ』。

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上記は『スパゲッティ』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

『ペペロンチーノ』というのは略語で、本当の名前は『アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ』といいます。

 

 

 

 

 

その意味は『アーリオ=ニンニク』、『オリオ=オイル(オリーブオイル)』、『ペペロンチーノ=唐辛子』となります。

 

 

 

 

まさに名前通りと言う感じの料理ですね。

 

 

 

 

だから、単に「『ペペロンチーノ』が食べたい!」と言うと、「『唐辛子』を食べたい!」と言ってることになるので、お気をつけを。

 

 

 

 

唐辛子だけ食べたいやつって、ヤバイやつですよね…。

 

 

 

 

 

 

その次は二枚貝がふんだんに入った『ヴォンゴレ』。

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上記は『スパゲッティ』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

 

これも名前は単純で『イタリア語』でアサリやハマグリなど二枚貝のことを「ヴォンゴラ」と呼び、その複数形になります。

 

 

 

 

 

だから、『パスタ』の色が白くても赤くても、二枚貝を使っていれば『ヴォンゴレ』になるんですよ。

 

 

 

 

ジェノベーゼ』はバジルコを使った料理になりますが、これも『ボロネーゼ』と同じで、『イタリア』の『ジェノバ』発祥の地というのが由来になります。

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(上記は『エスビー食品』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

そして、最後にご紹介するのが『ペスカトーレ』と『アラビアータ』の違い。

 

 

 

 

これはどちらも、『トマトペースト』を使った『パスタ』ですが、その違いはその中身になります。

 

 

 

 

ペスカトーレ』とは『イタリア語』で『漁師』と言う意味。

 

 

 

 

だから、『トマトベース』で魚介系を使った『パスタ』だと、『ペスカトーレ』となります。

 

 

 

 

一方、『アラビアータ』とは『トマトベース』に『唐辛子』を使った『パスタ』のことで、意味も「怒りんぼう」となります。

 

 

 

 

怒ったときの「カッカとする」のと、『唐辛子』を食べた時の「カッカとする」と言うのが、『イタリア』では、同じ意味合いを連想して、この名前になったんでしょうね。

 

 

 

 

だから、『ペスカトーレ』に『唐辛子オイル』や『唐辛子ソース』をかければ、とたんに『アラビアータ』に変貌するんですよ。

 

 

 

 

 

 

さて、今日は7月7日『七夕』の日です。

 

 

 

 

『七夕』の日は伝統的に『日本』では『素麺(そうめん)』を食べる風習があります。

 

 

 

 

 

この機会に、普段の『スパゲッティ』を『素麺』に変えて、『パスタ風』の料理を作って楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

きっと、いつもとは違った味わいになり、思い出にもなりますよ!