『お盆』も過ぎ、少しずつ朝晩は過ごしやすくなってきてますが、もうそろそろ学校でも『夏休み』が終わりを告げようとしています。
今年の『夏』はどうでしたか?
3年ぶりの規制の無い『夏』となり、さまざまなレジャーを楽しんだ方も多いと思います。
個人的にはやっぱり『夏』=『祭』となっており、自宅で「お祭ごっこ」を2回ほどして、楽しみました。
『祭』で欠かせないのが『屋台』。
そして『屋台』と言えば、『たこ焼き』や『お好み焼き』など味の濃いソースを使った軽食のイメージです。
そんな『たこ焼き』ですが、『大阪』のソウルフードと言ったイメージ。
それはそのはず、『たこ焼き』は『大阪発祥』の『郷土料理』だったんです。
そしてこの『たこ焼き』こそが、『粉物』の『最強遺伝子』だったんです。
と言うのも、『昭和』の初期に現在の『大阪市西成区』で、『ラジオ焼き』を『明石焼き』風に創作したのがきっかけとなっているんです。
『ラジオ焼き』と言うのは、見た目は『たこ焼き』ですが、中身が醤油ベースや味噌ベースで漬けた『牛すじ』や『こんにゃく』などが入っている、『明治時代』から『大正時代』にかけて子供を中心に大人気を誇った『粉物』の「おやつ」になります。
(上記は『ぐるなび』より引用。)
この時にはすでにボール型で提供されているのがわかりますね。
当時まだまだ高級品であった『ラジオ』からあやかって、この名前になったとされています。
そして、『ラジオ焼き』のもとは『ちょぼ焼き』と言う、ひとくちサイズの窪みが出来た鉄板に、水に小麦粉やうどん粉を溶いたものを流して焼いた「おやつ」になります。
(上記は『元祖ちょぼ焼き本舗』ホームページより引用。)
その『ちょぼ焼き』も元々は、『もんじゃ焼き』から派生したもの。
(上記は『おやつカンパニー』より引用。)
『もんじゃ焼き』については『江戸時代』後期にはすでに存在しており、それがいわゆる『下町』の『おやつ』として定番になっていき、『明治時代』以降、『お好み焼き』や『ちょぼ焼き』、『ラジオ焼き』から『たこ焼き』へと進化して行くという歴史があります。
仮に『もんじゃ焼き』を父方としたなら、『たこ焼き』から見たら『曽祖父』に当たるみたいなものになります。
では、次に母方である『明石焼き』がどうして出来たかと言うと、これも『江戸時代』後期からの特産品に繋がります。
と言うのも、『明石焼き』の発祥の地は、『兵庫県明石市』になります。
そして、『江戸時代』後期から『大正時代』まで人気を誇った『明石市』の特産品と言えば、『明石玉』。
(上記は『雑学の壺』ホームページより引用。)
これは、『かんざし』の装飾品として大変人気な物でした。
特に『大正時代』まではまだ、和装が多かった時代。
女性にとって、いかに綺麗なものを装飾する事は今も昔も変わらないんですね。
その『明石玉』を作る材料として、『卵』の『白身』を使うんです。
でも当時、『卵』は高級食品。
残った『黄身』をそのまま捨ててしまうのは勿体無いですよね。
そこで、『明石海峡』があり『海の特産品』である『タコ』と『黄身』、それに水や小麦粉で作ったものが『明石焼き』となったんです。
さらに、『明石玉』を作る鉄板を用いて、丸くした物が今良く見る『明石焼き』の型となっていったんですね。
それがのちに現在では、当たり前な丸い型をした『たこ焼き』に繋がっていくんですね。
こうしてみると、たかが『たこ焼き』ひとつ取ってみても、色んな歴史が繋がる『郷土料理』。
だからこそ、『祭』でも定番のメニューであり、人々にも愛されているんです。
『祭』=『政』=『まつり』。
『まつり』は人を熱くさせ、その年の『五穀豊穣』を祝うものです。
そして、今まさに『まつり』=『政』激動の時代へと突入している世界。
しっかりと考え、後世に伝えなければいけません。
普段、当たり前に食べている物もたくさんの歴史があるんですよ!