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『世界最古の国』日本

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平将門の結界 その②

今回は上図の④からお伝えして行きたいと思いますが、まず④の神社は江戸の総鎮守である神田明神です。

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ここは以前にもお伝えしましたが、江戸城の鬼門(北東)に位置し江戸の町を守護している神社ですが、初代将軍・家康が「関ヶ原の戦い」の時に必勝祈願として武士の先駆けである将門を祀っている『神田明神』に訪れ祈願し、これをきっかけに江戸幕府の庇護を受けこれ以降、江戸幕府の総鎮守として江戸市民達にも信仰を集めて行きます。

この「神田」と言う地の由来は元々、伊勢神宮に献上していた御田がこの地にありそこから神の田と言う事で「神田」になったや、将門の首が京都からカラダを探して飛んできて、この神社の付近で葬られたことにより、カラダと言うのが訛って「かんだ」になったなど諸説ありますが、どちらにせよ平氏による崇拝を受けており、3代将軍・家光の時には朝廷からの勅使に「将門は朝敵に非ず(将門は朝廷の敵ではない)」と秦上し朝敵から除かれました。

また、これは朝廷に反逆した将門を鬼門である「神田明神」に祀る事によって、徳川幕府の政治は朝廷には一切関与させないと言う意思表明の現れでもありました。

そしてこの「神田明神」は何度もお伝えするような江戸でも最も信仰のある神社の一つとなったのです。

 

さて、続いては⑤の『筑土八幡神社』なのですが先に言ってしまいますと、この神社には将門の「手」が葬られているという様に都市伝説がありますが、この神社の歴史には一切将門の話は出て来ません。これは一番最初にお伝えした「鳥越神社」と似ていますね。

ただ、千代田区にある『築土神社』と言う場所には将門の墓があり、土が盛り上り築ぎあれた事からこの名前がついたと言う説があり、また、関東大震災の際にこの神社の一部が「筑土八幡神社」のとなりに建てられたなどが関係しているのだそうです。

ただし、この「筑土八幡神社」がある場所は元々「津久戸」と言う地名だった事と言われていると言う説や、江戸明神と元々は名乗っていたが、いつの間にか誤字により「江」が「次」となってしまい、「次戸明神」と読まれて次第に「筑土」になったと言う説があります。

いずれにせよ、「筑土神社」と「筑土八幡神社」の関係は深く、将門の北斗七星の神社として江戸の結界を護ってきたのです。

さて、次にお伝えするのは新宿区戸塚にある『水稲荷神社』ですが、この神社は「新皇」と名乗り朝敵となった将門を討ち落した藤原秀郷が喜び、参拝した事でこの地が将門と関係がある地になりました。

さて、この神社の裏には元々「冨塚古墳」と言う古墳がありまして、この「冨塚」から現在の「戸塚」と言う地名が生まれました。そして元々は「冨塚稲荷」と呼ばれていたが、江戸時代に御神木の根元から霊水が湧き出る様になり、これが眼病に効くと言うことで評判になりいつしか今の名称になっていきました。

また、戸塚と言えば「早稲田大学」が頭に浮かんでくる方もいらっしゃると思いますが、今やこの周辺は日本屈指の学生街になっています。ただし、戦前はこのあたり一帯が旧陸軍の医療施設が点々としていたそうで、戦後100体以上の人骨が出てきたそうです。一説には人体実験をやっていたのでとか言われいるのですが、真実は分かりません。

しかし、そういう噂も相まって今では都内屈指の心霊スポットとしても有名でもあります。(戸山公園ですね。)

とこのように、将門の怨念よりもこっちの方が怖いと感じてしまうのは私だけでしょうか…。その様な歴史もあるこの地は実は私も学生時代に良く遊んでいた場所で昼間は市民の憩いの場としてたくさんの人で溢れていますので、立ち寄った際は是非行ってみたい場所でもあります。

と、また少し長くなってしまったので続きは次回にしたいと思います。