さて、今回は平将門の北斗七星の最後になる⑦の「鎧神社」で、ここは新宿区にあります。
この神社はヤマトタケルが東国平定の際にここに立ち寄り甲冑六具を隠したと言う伝説もある神社です。
創建の由緒としては平安時代初期に藤原秀郷が「新皇」と名乗り関東一円を支配していた将門を討伐する為に、訪れた際に重い病に掛かってしまい、この地に薬師如来像があると言う寺院に祈願をしに行きました。すると、重い病はたちまち治り、討伐を達成出来たのでその感謝の意を込めて「圓照寺」を創建しました。
そして、その鬼門鎮護として建てられたのがこの「鎧神社」なのです。
また、将門が討たれその死を悼んだ人々によって将門の鎧をこの地に埋めたとされています。
と、ここで一通りの将門にまつわる「北斗七星」の神社をお伝えしてきましたが、やはり気になるのが、ヤマトタケルも度々出てくる事です。
もしかしたら、日本神話の英雄のヤマトタケルと武士(武家)と言う組織として初めて束ね、今でこそ時代劇などで良く見る光景の馬を用いて合戦を行う騎馬隊を駆使した戦いを行ったり、今の日本刀の形で反っている刀を始めて実戦で使用するなど、後の武家のかたちを作り出したという事で崇拝を受けていたり、また当時の世の中に不満を持っていた民衆の声を代弁し乱を起こした事でのちに多くの民衆達からの信仰も得られた事により、同じ東国を平定させようとしたヤマトタケルと、「関東の雄」として平将門は後世にもさまざまな形で伝説が残っているのでは無いでしょうか?
さて、これまで江戸城(江戸市内)の結界についてお伝えしてきましたが、もう一つ興味深い事があります。それは茨城県鹿島市にある『鹿島神宮』から富士山に向けて線を引くとちょうど真ん中に江戸城(現・皇居)になるのです。
また、それをさらに伸ばして行くと『伊勢神宮』になるのです。
これをレイラインと言い、世界各地の遺跡でレイラインが存在していて古代の人々がこのような技術が本当にあったのか、宇宙人の仕業なのではないかなどと研究者たちの間で議論され続けているのです。
また、この直線上は風水では龍脈と言い、良い気が流れる場所であり、その良い気が集まる場所が龍穴と言いますがこの4点はまさに龍穴の場所に当たるのです。
そしてなんと、夏至の日の出の位置と冬至の日の入の太陽の位置がこの4つをピタリと通っているのです。
そしてそして伊勢神宮から伸ばした線のその先には『天孫降臨』の際にニニギ達一行が降りたったとされる『高千穂』があるのです。
さらに面白い事にこの『鹿島神宮』の主祭神は『建御雷之男神(たけみかづきのおのかみ)』という神様で、出雲国の『国譲り』の際にオオクニヌシの所にやって来た神様です。その時に戦った相手で『諏訪大社』の主祭神でもあるタケミナカタと相撲の原型でもあるもので戦い、タケミカヅキが勝利した事で、この国譲りが決定しました。
その際、負けたタケミナカタは遠く諏訪まで逃げてきて、「この場から二度と出ませんのでお許しください。」と仰ってこの地の神様となったのです。
そのような2柱の関係がある神様を主祭神として祀っている『鹿島神宮』と『諏訪大社』が春分と秋分の日の出・日の入の時にだけ太陽がピタリと重なるのには驚きました。
何か、切っても切れない間柄で結ばれている感じもしますし、当時の人々はどのように計測をしてこの場所に神社を建立したのでしょうか。
本当に不思議であり、色々な想像をしてしまうのと同時に大変興味をそそられますよね。
という事で次回はこの鹿島神宮についてお伝えしていきたいと思いますので、ご期待下さい。