今回は宮城県にある『鹽竈神社(しおがまじんじゃ)』についてお伝えしたいと思います。
ここは前回もお伝えしましたが、陸奥国の一宮になっており、古くから東北鎮護として朝廷、また庶民からの崇敬を集めて来ました。
奈良時代、多賀城が国府兼・鎮守府として建てられると、その東北の方角である「鬼門」を護る精神的な支えとしてこの神社が建てられ信仰があったとされています。
そして、中世以降、奥州藤原氏をはじめ様々な武家からの崇敬を集めて特に江戸時代には伊達政宗以降、全ての当主が大神主を務める様になりました。
それは主祭神で左右宮に祀られているタケミカヅキ・フツヌシノカミが古事記・日本書記に登場する軍神であり武家からたくさんの崇敬を集めていた事からが理由とされています。
また、別宮(この神社の場合は特別な宮と言う意味があります)にはシオチノオジが祀られており、この神様は前者の2柱を東北地方平定する際に案内役として務め、その後役目を果たしたタケミカヅキ・フツヌシノカミはそれぞれ鹿島神宮・香取神宮に戻りましたが、シオチノオジだけがこの地に留まり地元の民衆に塩の製法を教えたとされています。
そこからこの地名の由来になったと伝わっています。
またこの神社は少しで不思議な造りをしており、通常は鳥居または門に対して正面に主祭神があるのに対して、左右宮(タケミカヅキ・フツヌシノカミを祀っている宮)は南向きに、また別宮(シオチノオジを祀っている宮)は松島湾に背を向けて西向きに建てられいます。
その理由は鹽竈神社の大神主が伊達藩の歴代当主になっていて、青葉城(仙台市青葉区)に向けて建てられおり、城から見れる様な配置になっています。
また、別宮のシオチノオジは海上守護の神様であるので、海難を背負ってもらう様な配置になっています。
ちなみになんですがこの神社は山の上にあり天気の良い時は松島湾が絶景として見れます。
その写真を撮り忘れたのが心残りでもあります。泣
そして、鹽竈神社は伊勢神宮と同じく20年に一度の式年遷宮が定められているので綺麗な姿が保たれておりその信仰の深さを実感出来ます。
また、この神社の末社の「御釜神社(おかまじんじゃ)」には不思議な釜が4つあり『四口の神釜』と言われているものがあります。これは『日本三奇』の一つとして数えられており、その理由はこの御釜の水は、日照りが続いても枯れる事がなく、雨が降っても溢れることもない不思議な御釜であり戦国時代以降、鹽竈神社の大神主となった伊達氏の仙台藩では「この水になにか異変があれば必ず報告せよ‼︎」と言う藩命も出たほどです。
初代藩主の伊達政宗が亡くなった際にも普段は赤茶に濁っている水の色が変わったと言うのが伝わっていたり、2011.3.11に発生した「東日本大震災」の際にも4つのうち2つの水が澄んでいたとされ、これを予言していたと言われる不思議な御釜です。
とこの様に、都市伝説じみたものもあったりと魅力的な『志波彦神社・鹽竈神社』ですので一度は訪れて欲しい神社ですので、機会がありましたら是非ともッ!