朝晩が冷え込み、そろそろ温かい鍋物が恋しくなる季節となってきました。
中でも、夜食用としてどうしても食べたくなるのが『味噌煮込みうどん』。
【出典:『農林水産省』公式ホームページより。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/misonikomiudon_aichi.html
2023年10月25日利用。】
土鍋でグツグツと煮た「八丁味噌」をベースとした独特の香りと、少し硬めのうどん。
アツアツで食べれば、身体の芯まで温まります。
そんな『味噌煮込みうどん』の起源が少し面白いので、今回はそこにクローズアップしていきないと思います。
まず、前提として『味噌煮込みうどん』は「八丁味噌」がベースとして使われていること。
だから、見た目も濃い色となっているんです。
「八丁味噌」とは大豆(豆麹)と塩のみを原料に長期間、熟成して作られた味噌のこと。
しかも、「愛知県」の「岡崎市八丁町」周辺で作られている味噌のみを「八丁味噌」と呼べるんですね。
ちなみに、米や麦などを使わずに、大豆と塩のみで作られている味噌のことを「豆味噌」と呼ばれており、その色の濃さから「赤味噌」とも呼ばれています。
だから「赤味噌」=「豆味噌」であり、それが「愛知県岡崎市八丁町」周辺で作られているのが「八丁味噌」と言うことになるんです。
そんな「八丁味噌」の由来は、『徳川家康』の居城であった『岡崎城』から八丁(約870m)離れた場所で作られていたことからとなっています。
そしてこの「八丁味噌」を使って出来た『味噌煮込みうどん』ですが、これにも『徳川家康』に深く関係していたと言うことをご存知だったでしょうか?
実は『徳川家康』は『武田信玄』の子、『武田勝頼』率いる『武田軍』が『長篠の戦い』の後に『武田氏』が滅亡した際に、その家臣を一気に引き受けてます。
この時に『武田の赤備え』を継いぎまさかれたのがあの『井伊直政』。
【出典:『どうする家康』公式サイトより。
2023年10月25日利用。】
彼ら『武田軍』の陣中食だった「ほうとう」を『徳川軍』に教えたことによって、「岡崎」を中心に『味噌煮込みうどん』へと変化していったのです。
だから、「ほうとう」が『味噌煮込みうどん』の先祖ということですね。
【出典:『農林水産省』公式ホームページより。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/houtou_yama_nashi.html
2023年10月25日利用。】
そしてその「ほうとう」を持ってきた『武田軍』の家臣たち。
『日本史』にも『食文化』にも『武田信玄』や『徳川家康』が関係していたということが面白いですよね!
ちなみに『武田の赤備え』を率いた『井伊の赤鬼』こと、『井伊直政』は、西軍の将、『石田三成』の居城、『佐和山城』を引き継いでおり、その後『彦根城』を築きます。
その『彦根藩』は『江戸時代』、将軍家・御三家に味噌漬けにした「近江牛」を毎年献上。
当時、牛や馬などの肉を食べることを禁止していた『江戸幕府』ですが唯一、食べるための飼育、牧畜をすることを許可されていたのは『彦根藩』だけとなっており、その肉を毎年『正月』に献上されるのを、将軍家や御三家は楽しみにしていたそうです。
ただし、食肉という形では無く、薬膳としてね!
『徳川家康』は薬膳好きとして有名でしたから!
それが現在の『近江牛の味噌漬』です。
【出典:『農林水産省』公式ホームページより。
2023年10月25日利用。】
味噌を通して、歴史が繋がっているのです。
まぁ、『近江牛の味噌漬』は白味噌で、『味噌煮込みうどん』は赤味噌なんですがね。
そんな『味噌煮込みうどん』ですが、食べ方がちょっと普通とは違った面白い食べ方があります。
それは土鍋の蓋を取り分けるお皿変わりにして食べること。
だから蒸気の抜ける穴が無いんですね。
最近では、普通にお椀を提供するお店も増えてきていますが。
鶏肉にネギ、油揚げとかまぼこを入れた土鍋に味噌ベースでグツグツと煮たスープに、うどんを入れ一煮立ちしたら最後に生卵を投入。
これ食べながら、ビールや日本酒を喉に流し込めば、アツアツとキンキンの最高のコラボレーションとなります。
寒くなってきたこの時期、一番美味しい季節ですね!