秋も深まり「実りの季節」となって来てきたこの季節。
どうしても「食欲の秋」となってしまう私ですが、一体この抑え切れない気持ちは何なんでしょうか…。
特に『丼物』を見ると無性にカッコみたくなるのは、男としての性なのでしょうか。
そんな『丼物』は現在では「牛丼」を始め、「天丼」、「カツ丼」、「親子丼」、「海鮮丼」などさまざまな物がありますが、実はその歴史は結構古かったと言うことをご存知でしょうか?
【出典:『キッコーマン』公式サイトより。
https://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00054362/
2023年10月18日利用。】
『丼物』の歴史が始まったのは『室町時代』。
この時代、『禅宗』の僧などが食べていた『精進料理』をご飯の上に乗せて出汁をかけて食べる『芳飯(法飯)』が一般的となっていました。
【出典:『JA北越後』公式ホームページより。
https://ja-kitaechigo.or.jp/column/6170/
2023年10月18日利用。】
忙しい僧にはしっかりとした味付けのある『精進料理』とご飯を一緒にすることによって時短にもなるし、栄養も取れる『芳飯』は最適だったんですね。
それ以前の公家や僧の食べ方は、直接味付けをするという風習がなく、どちらかというと付けて食べると言うのが一般的。
その後、『戦国時代』になると簡単にササっと食べれて栄養満点の『芳飯』が武将や一般庶民にも浸透していきます。
『お茶漬け』の始まりですね。
この時代の記録として、『奈良』の『興福寺』の子院である『多聞院』に『芳飯』を振る舞って客人をもてなしたと言う記述が残っています。
その内容は、「豆腐、かんぴょう、こんにゃく、岩茸(いわたけ)を煮て、汁ごとご飯に掛けて出した。」となっています。
まさに、現在の「ねこまんま」。
でも、これが一番美味しかったりすんですよね。
と、このように汁ごとご飯と一緒に食べられていた『室町時代』・『安土桃山時代』から時代は下り、『江戸時代』になると、ようやく現在の『丼物』の形となって来ます。
と言うのも、『泰平な世』になった『江戸時代』。
『江戸の文化』がさまざま所で華を咲かせていました。
その中のひとつが『食文化』。
「天麩羅」や「江戸前寿司」なんかは今でも『東京名物』として、世界にその認知度が広がりをみせています。
これも1つの技術だけではなくて、蒸したり・捌いたり・盛り付けだってその卓越された技術が必要なんです。
それを『江戸時代』、ご飯とおかずを一緒の『丼(どんぶり)』に乗せて食べたのが、「うな丼」、続いて「天丼」でした。
【出典:『東京浅草 大黒家天麩羅』公式サイトより。
http://www.tempura.co.jp/aisatsu.html
2023年10月18日利用。】
今で言う『ファーストフード』のような感覚ですね!
18世紀に世界初の100万人都市となっていた『江戸』ならではの、たくさんの技術が合わさった、そしてせっかちな江戸っ子ならではの『食文化』だったわけです。
「チャチャっと食っちまうのが、粋よぉ〜。」とかを言ってそうですね。
そんな『江戸』を始めとして、『参勤交代』などで全国の武士たちにも広まり、全国展開していった『丼物』。
『明治』に入り『文明開化』とともに『牛鍋』が大流行すると、1890年代にはその具を乗せた「牛丼」が登場。
さらには鶏肉を細かく刻み、卵でとじた「親子丼」・『大正3大洋食』と呼ばれる「トンカツ」を卵でとじた「カツ丼」も登場してきます。
【出典:『ヤマキ』公式ホームページより。
2023年10月18日利用。】
その後、戦時中には物資の著しい乏しさから、一時衰退はしましたが、戦後・高度経済成長期と共に、さらなる飛躍を遂げます。
この時に誕生したのが「海鮮丼」や「ビフテキ丼」。
他にも全国で『ご当地丼』を観光PRの目玉として、多種多様な『丼物』が生まれました。
『鎌倉市』の「生しらす丼」や『秩父市』の「わらじカツ丼」などはまさに『ご当地丼』の代表格。
この地に訪れた際には必ず食べたい『丼物』。
そんな『丼物』、コロナ禍がとりあえずは終わった今年、色んな地域に行ってたくさん食べ歩きをしたいですね!
『国消国産』のためにも…。