大河ドラマ『どうする、家康』もいよいよ中盤戦。
あと数回で『本能寺の変』が放送され、『織田信長』から『豊臣秀吉』の時代へと移り変わります。
そんな中、やはりその活躍ぶりで気になるのが『徳川家康』と『徳川四天王』たち。
役者も選りすぐりの俳優陣を揃えていますね。
【出典:『徳川氏』Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%B0%8F
2023年7月13日利用。】
その家康を側近中の側近として、特に功績を立てたのが『徳川四天王』です。
筆頭となるのは、『酒井忠次』。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E6%AC%A1
2023年7月13日利用。】
通称、『左衛門尉』と呼ばれた忠次は、家康にとっては義理の叔父にあたる家柄。
そんな忠次の子孫は、最終的には一貫して『出羽国庄内藩』として守り続け、『戊辰戦争』の際には、『新政府軍』に対して、最後まで抵抗をしていた猛者たちばかりの藩でした。
そんな、常に藩の人々に『藩訓』を叩き込んでいた藩校が『致道館』。
現在、東北地方で唯一現存する藩校建造物です。
そして、この『致道館』は現在は博物館として、当時使用されていた武具や用具、民族資料などを展示・収蔵されていますが、この博物館の会長が、『酒井忠次』の子孫で、22代目当主なんです。
面白いのはその子は現在、『庄内藩』という物産業の社長を務めていること。
もう、正統なる企業の名って感じがしますよね。
庄内地方の地域復興の為に特産物を製造するなど、尽力しています。
次は、『本田忠勝』。
【出典:『本田忠勝』Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D
2023年7月13日利用。】
通称、『平八郎』と呼ばれる忠勝は、戦場で一度も傷を負った事がないと言われるほどの猛者。
そんな忠勝は晩年、小刀で自分の持ち物に名前を彫っていた際に、手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまいました。
その時に、「本田忠勝も傷を負ったら終わりだな。」と呟いたそうです。
その数日後に亡くなってしまうという逸話があるほど、猛者中の猛者だったということが分かりまります。
忠勝の家系は始め、『伊勢桑名藩』10万石を与えられました。
これは、『譜代大名』としては第2位の石高。
その後、紆余曲折あり最終的には『播磨国岡崎藩』の藩主として、『明治』を迎えます。
岡崎とは、家康の出身地。
やはり、それだけ重要な場所を任せるのは側近中の側近である忠勝の子孫に任せたかったんでしょうね。
そして、最後の当主の曾孫は、元『日本金融学会』の会長を務めており、その次男がなんと、『楽天グループ』の創設者であり会長・兼社長である『三木谷浩史』さん。
まさか、現在でも世に知れた存在だと分かると、遺伝子はスゴイなぁと実感します?
そんな忠勝の親友であり同年の『榊原康政』。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E5%BA%B7%E6%94%BF
2023年7月13日利用。】
通称、『小平太』と呼ばれていた康政は『上野国館林藩』の初代藩主として、10万石を与えられました。
これは『本田忠勝』と同様、『譜代大名』では第2位の石高。
『館林藩』では『利根川』の流れを東側に変えた治水工事(利根川東遷事業)や、街道の整備などに尽力しました。
その後、子孫は紆余曲折して『越後国高田藩』として『明治』を迎えます。
現在の当主は17代目で、東京都で会社社長をしている傍らで、康政ゆかりの4都市(愛知県豊田市・群馬県館林市・兵庫県姫路市・新潟県上越市)を持ち回り、30年以上も『地方創生』のための意見交換会に尽力しています。
4人目は『井伊直政』。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E6%94%BF
2023年7月13日利用。】
通称、『万千代』と呼ばれた直政は別名、『井伊の赤鬼』と呼ばれた勇猛果敢な猛者武将。
これは『譜代大名』の中では第1位の石高。
そしてこの地は元々は『関ヶ原の戦い』の西軍の将であった『石田三成』の領地。
ここを任せられると言うことは、如何に『江戸幕府』にとって信頼されていたいたかが分かります。
それを証拠に、子孫は『譜代大名』の筆頭として5人の『大老』を輩出。
『井伊直弼』は有名ですよね。
その後、現在の18代目当主は『彦根城博物館』の館長をしながら、彦根市役所に勤務。
その先代は9期に渡り彦根市長を務めるなど、まさに「彦根に井伊家あり!」と言ったようにこの地を守り続けています。
そして、最後の『徳川家康』の子孫。
現在の前当主は、『徳川宗家』18代目として、『徳川記念財団』の初代理事長(現在は名誉理事長)や、『日本郵船』の元副社長、『東京慈恵会』会長、『世界自然保護基金(『WWF』)の代表理事など、さまざまな分野で尽力しています。
そして、2023年1月1日に19代目当主に引き継がれたことが、メディアでも報道。
そんな中で、2023年4月に現当主である5人が一堂に揃い踏みしたことも話題になりました。
このような親交は、絶えずにずっと続いて欲しいと切に願い、私の知的好奇心を奮い立たせくれる出来事です。
ちなみに、『加賀100万石』として『江戸時代』一貫してその国力の高さを誇った『前田家』の子孫は、『日本郵船』に入社後に、そのグループ会社である『八馬汽船』で常務取締役を務めていました。
この時の面白いエピソードをひとつ。
『日本郵船』に入社していた時に、たまたま『徳川宗家』当主と『前田家』当主が同じ部署で勤務していた時期がありました。
その部署には、人を怒鳴り散らすことで有名な副部長がいて、「前田!徳川!ちょっと来い!」と呼びつけたのは『太閤(豊臣秀吉)』以来、おれだけだ!と言っていたそうです。
歴史好きにはシビれるエピソードですよね。
そんな『江戸幕府』を支えていた『大名』たちの子孫。
他にもたくさんの子孫がいますが、やっぱり現代でもその影響力は凄まじいものがあります。
こう言う人たちの事を、本当の意味での『上級国民』と言うんだろうなあ。