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『世界最古の国』日本

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武士の成立

 

2022年の大河ドラマは『鎌倉殿と13人』。

 

 

 

これは、武家が政権を始めて握った『日本』の歴史でもある『鎌倉幕府』の成立と、その後600年以上も続く『武家政権』の時代において、とても重要な転機となったものを描いた作品です。

 

 

 

 

 

 

そんな今回の大河ドラマですが、『日本史』史上、始めて『征夷大将軍』として『幕府』を開いた「源頼朝」。

 

 

 

 

そして、そのきっかけとなった『源平合戦』。

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(上記は『壇ノ浦』Wikipediaより引用。)

 

 

 

 

 

平氏』と『源氏』との戦いですが、何故『平氏』と『源氏』が両極の棟梁として成り上がることが出来たかご存知でしょうか?

 

 

 

 

実は、『平氏』も『源氏』も元々は『天皇』の子孫という由緒正しい家系だからです。

 

 

 

 

 

と言うのも『平安京』を作った『桓武天皇』の子供が『平氏(正確には『桓武平氏』)。

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その息子の『嵯峨天皇』の子供が『源氏(正確には『嵯峨源氏』)と名乗ったんです。

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桓武天皇』はその当時としては珍しく、非常に多くの皇子・皇女に恵まれました。

 

 

 

また、『嵯峨天皇』も多くの皇子・皇女に恵まれましたが、その全ての子供たち(『親王家』今で言う、『皇族』の方々)に充てる財源がありませんでした。

 

 

 

 

長岡京』から『平安京』に移ったばっかの『朝廷』にそこまでお金があるわけ無いですよね。

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また、彼ら『親王』に充てる『官職』も足りなかった為、残った『親王』を『皇族』の身分から『臣籍(『天皇』の家来、一般人になること。)』に降下させ(これを『臣籍降下』と言う。)関東地方に『国司』として任命して、護らせたのです。

 

 

 

 

このことを『親王任国』といい、『常陸国』・『上総国』・『上野国』の3国でいずれも大国です。

 

 

 

 

 

当時まだまだ未開拓で、血の気の荒い東北地方の豪族たち。

 

 

 

 

何かあればすぐに戦争を仕掛けてきます。

 

 

 

 

その危険性を抑えるためにも、この地に『臣籍降下』した『親王』を派遣して統治させたのをきっかけに『武士』と言うものが出来上がってきました。

 

 

 

 

 

だって、相手から国をまもるためには強くなければいけないし、その為には日々、戦闘訓練を積まなければ負けてしまいますもんね。

 

 

 

 

このような時代背景から『武士』が誕生したのですが、それらを任されていたのがもとは『天皇』の子供たちであった『源氏』や『平氏』だったわけです。

 

 

 

 

 

そして、面白いのがこの『平氏』や『源氏』の『家人』(今で言う、家来)になり力をつけていったのが、いわゆる『坂東武者』であり、その中でも秀でた『武者』たちに領地を統治させ、『国司』はそこから税収を取り、国を治めていました。

 

 

 

 

 

その後も、『臣籍降下』をした『親王』であった子供たちを地方の『国司』に任命し、治めさせその税収を『朝廷』に献上するかたちで、『中央集権国家』が成立し、これは『平安時代』を通して続くスタイルとなっていきました。

 

 

 

 

 

こうして、『国司』として地方で権力をつけてきた『平氏』と『源氏』たち。

 

 

 

 

 

そんな中でも、さらに選りすぐりの『武士』の中から、『天皇』や『上皇法皇)』の護衛に任されたのが、いわゆる『平氏』・『源氏』の棟梁たち。

 

 

 

 

 

平氏』では、『桓武天皇』系の『桓武平氏』。

 

 

 

 

『源氏』では、『清和天皇』系の『清和源氏』。

 

 

 

 

 

 

この両一族がそれに当たり、のちに『武士』として始めて政権を握った『平清盛』や、始めて『幕府』を成立させた『源頼朝』を輩出するようになったのです。

 

 

 

 

 

だから、もとを正せば『平氏』も『源氏』も皆親戚だったってことなんですよね。

 

 

 

 

 

 

その後、『武士』が揺るがない権力を持つきっかけとなったのが、『保元の乱』。

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(上記は『保元・平治の乱合戦図屏風』「白河殿夜討」より引用。)

 

 

 

 

 

これは、『平安時代』末期に起きた、皇位継承問題や『摂関家』の内紛により、『朝廷』が『後白河天皇』方と『崇徳上皇』方に分かれ、双方の衝突した政変で、この内部抗争の解決策として、お互いに『武士』の力を借りたことにより、『武士』と言う存在感が増し、この後に600年以上も続く『武家政権』へと繋がっていきました。

 

 

 

 

 

そして、この時に勝者側の『後白河天皇』方についたのが『平清盛』と『源頼義(頼朝や義経の父)』だったのです。

 

 

 

 

 

最後に『武士の棟梁』として、成り上がった『平氏』と『源氏』。

 

 

 

 

 

その名前の由来は『平氏』は『桓武天皇』の子供であり、『平安京』を築いたことにちなんで、『平氏』と名乗りました。

 

 

 

 

 

『源氏』はと言うと、『皇室』と祖先(源流)は同じということにちなんで『源氏』と名乗るようになったのです。

 

 

 

 

やはり、どちらも元を正せば、『天皇家』に繋がっていると言うことですね。

 

 

 

 

 

 

このように、『武士』と言うのは元々どこから生まれたかを知っておくと、歴史がさらに面白くなると思います。

 

 

 

 

 

ここで、面白いことに自分から見て先祖を遡ると1代前の親は2人、その前の祖父母は4人、その前の曽祖父母は8人と、どんどん遡ると、20代前はなんと100万人の先祖がいる計算になります。

 

 

 

 

そして、1世代を25年だと仮定して計算していくと20代前は500年前という計算になります。

 

 

 

 

 

これは『日本』の歴史で言うと、ちょうど『室町時代』後期であり、当時の人口は1000万人にも満たなかったことが分かっています。

 

 

 

 

 

となると、自分の先祖は当時の人口の10人に1人の数字になり、それを踏まえるともしかしたら、『天皇家』や『摂関家』で有名な『藤原家』に繋がっているかも知れないということになります。

 

 

 

 

 

こうやって自分の家系図を遡っていくと、さらに『日本』の歴史が親近感が湧き、面白くなってきますよね。

 

 

 

 

 

ちなみに私の先祖は第59代『天皇』である『宇多天皇』で、その在任期間の最後の日が私の誕生日でした。

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(上記は『宇多法皇像』『仁和寺 蔵』より引用。)