先日2020年は11月7日に『立冬』をむかえ、朝と晩の寒さが一段と感じる季節となってきました。
すでに北海道では雪が積もり、最低気温が−10℃以下になる場所も出てきており、これから本格的な冬が到来するとともに、新型コロナウィルスが各地で第3波の流れがあり、より一層の手洗い・うがい・マスク着用やソーシャルディスタンスを保ちながら、生活していかなければいけません。
そうした中で『日本』では江戸時代から、この寒い季節に「ホッと」するような温かい食べ物を食べる風習で『夜泣きうどん・蕎麦』というのをご存知でしょうか。
「うどん」は関西・「蕎麦」は関東というイメージが強いですよね。
実はこれ、ちゃんとした理由があったんです。
その理由はまず江戸時代、現在の大阪や兵庫などで小麦がたくさん取れたこと。
いまでも、大阪では「お好み焼き」や「たこ焼き」など、粉物の文化が根強く残っていますもんね。
また、兵庫県では「そうめん、やっぱり揖保乃糸♫」や「は、か、たの塩!」などとCMでもお馴染みの産地になっています。
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こうした中で小麦と塩、さらに関西地方が「軟水」と言うこと。
そして、大阪は『天下の台所』とよばれ、全国の各藩の蔵屋敷などを設けて商業の中心となっていたことから、北海道から直接「昆布」を運ぶことができました(西廻り航路)。
この「昆布」が関西地方の「軟水」に浸りやすく、これによってダシの強い薄味の『関西ダシ』が広まっていったのです。
また、関西はどちらと言うと京を中心とした『貴族社会』や大阪を中心とした商業社会。
肉体労働というよりは、座って頭を使う仕事の方が多かったというのも薄味の『関西ダシ』になった理由のひとつになります。
逆に、関東。
特に江戸では、江戸の街をつくるために、肉体労働の方が多かったんですね。
肉体労働をすると、必然的に汗を多くのでその塩分補給として、濃い醤油を使い塩分を補っていました。
さらに、江戸近くに醤油製造所(現在のキッコーマンなど)が発展していったことによって、関東で醤油が手に入りやすくなり、『関東ダシ』は濃い色と味になりました。
また、関東の水は「関東ローム層」により、ミネラルが豊富で「昆布ダシ」が浸りにくかったことも、濃い醤油で味を補っていたと理由のひとつです。
そして、関東が「うどん」じゃなくて、「蕎麦」の理由。
それは、当時「蕎麦粉」の方が高級で、江戸の人たちは「あっちがうどんなら、こっちは蕎麦だ!」みたいな、対抗意識からそうなっていきました。
気性の荒い短気な「江戸っ子気質」ってやつですね。
このうどんや蕎麦を夜に屋台で鈴を鳴りして売り歩くのが、『夜泣きうどん』『夜泣き蕎麦』と言われました。
ただ、この呼び方は関西地方の呼び方で、江戸では『夜鷹蕎麦』と呼ばれていました。
夜鷹とは江戸時代の街娼のことで、夜になると客を呼びよせます。
また、『夜鷹蕎麦』の方も夜になると声を出したり、鈴を鳴らしたりして客を呼び寄せている様から、こう呼ばれるようになりました。
また、実際に夜鷹という鳥がいて、夜になると活動的になるので、これを比喩してこう呼ばれるようになっていきました。
こうしてみると、日本の『食文化』ひとつ見ても歴史が詰まっていて面白いですよね。
寒い季節になってきたいま、温かいうどんや蕎麦などを食べ、歴史に浸ってみてはいかがでしょうか。