前回、『関西ダシ』は薄味で色も薄く、『関東ダシ』は濃味で色も濃いのはなぜかということをお伝えしました。
さてこの『関西ダシ』と『関東ダシ』。
いったい、どこの地域で切り替わるか、ご存知でしょうか。
その場所とは3回、政権をひっくり返した場所になります。
その場所とは。
『関ヶ原‼︎』
一番有名な所では、1600年に起きた「石田三成」率いる豊臣側(西軍)と「徳川家康」率いる徳川側(東軍)の合戦、いわゆる『関ヶ原の戦い』です。
この合戦により、『徳川幕府』の時代へと変わり『幕藩体制』によって、現在でも残る様々な文化が生まれました。
さらに、古代ではその後の『日本』を中央集権国家に確立させた最大の内乱、『壬申の乱』。
中世では、『室町幕府』を確立させた『青野ヶ原の戦い』と時代の節目節目で、深く関わってきた場所になります。
では、何故がここまで『日本』の歴史に関わってきたのか?
それは、畿内(京都を中心とした近隣国)を東国からの侵入を防ぐために設けられていた『関所』があったからです。
また、中央での『天皇』の崩御などや政変など非常事態に陥ったときに、ここの関所(不破関)と伊勢国の「鈴鹿関」・越前国の「愛発関」を封鎖して、通行を禁じて内の人は外に出れないように、外の人は内に入れないようにして、都を守るようにしました。
そんな、重要な関所だったからこそ、この地で政権がひっくり返る事件が何度も繰り返されたんですね。
また、当時の都からみて、この「不破関(のちに関ヶ原に改称)」の東側のことを『関東』と呼ぶようになり、ここからも『関西ダシ』・『関東ダシ』の分かれ目になっていったんです。
実際、市販されているカップうどんなどはここから『関西ダシ』・『関東ダシ』と分けているそうです。
また、話は少しずれますが平安時代に『空海』が四国での修行の際に讃岐(現在の香川県)に伝えてられたという伝承があります。
これは『御遍路さん』による『大師信仰』によって、またこの讃岐の地にある『金毘羅参り』が江戸時代に、全国の庶民の信仰が増えたことによって、『讃岐うどん』が広まっていきました。
このように、歴史的背景を持ったうえでいま、私たちが食べていると分かるとほんと面白いですよね!