皆さんは『すし屋』に行く時はどんな日に行きますか?
きっとお祝い事の日など、『ハレの日』に行くことが多いと思います。
そこで気になるのが、なぜか看板に『寿司屋』と『鮨屋』と2つが存在していること。
特に「東京」では『鮨屋』と言う看板をよく目にします。
この2つの違いに何かというと、結論としてはどちらも同じ『すし屋』ということです。
(上記は『銀のさら』公式ホームページより引用。)
『寿司』というのは、字の如く『寿を司る』と言う『縁起の良い』食べ物と意味があります。
と言うのも、元々は『朝廷』に祝いの席などで献上されていた料理の中に「すし」があったためとなっています。
また、この時に『天皇』の治世(治めている世の中)が平和で末永く続きますようにと祈願した、祝いの詞(ことば)である『寿詞(じゅし、よごと)』に似ていることから由来していると言われています。
そんな『縁起の良い』食べ物だからこそ、今ではお祝い事などの『ハレの日』に食べるようになったんですね。
一方の『鮨屋』と言う字が看板に掲げられるようになったのは、『江戸時代』以降です。
特に『江戸(現在の「東京」)』では、江戸前(現在の東京湾)で獲れた魚介類を、新鮮なうちに提供していました。
だから、魚へんに旨いと書いた『鮨屋』が主流になっていったんです。
冷蔵技術が乏しい当時、いかに職人さん達の技術と、旨いと言わせる自信があるかが、この看板を通して感じることが出来ますね。
と、このように主に、新鮮な魚介類をネタにしている『江戸前(東京近郊)』などが『鮨屋』を使っていたと言うことが分かります。
ちなみに、「稲荷寿司」や「ちらし寿司」は新鮮な魚介類以外の食材を使ったり、『縁起物』として振る舞わるので、『寿司』と言う字が当てられているんです。
このように、『寿司屋』にせよ、『鮨屋』にせよ、現代で祝い事などの特別な日に食べることの多い「寿司」。
でも、現代のように高級なイメージというのは戦後からのことで、『江戸時代』の頃は、ファストフードのような存在でした。
その後、『関東大震災』の影響を受けて『江戸前寿司』の職人さん達は、地元に戻り全国に広まっていったと言う歴史があります。
また、戦後食べるものがまだ少ない中で、いかに『寿司』というものを食べさせよう、それが食べれるくらい復興したんだという気持ちにさせるために、わざと高級感のイメージを持たせ、それに合うような技術を磨いた職人さん達の努力の結晶がいまある『寿司』のイメージに繋がっていったんです。
そんな『すし屋』では、マナーと言うべきルールみたいなものがいくつかあります。
まず1つ目は、シャリに醤油につけて食べること。
これは、シャリに醤油をつけると、「寿司」が崩れやすくなってしまうことと、ネタの味が醤油に負けて分からなくなること。
そして、見た目も綺麗じゃないことからです。
ネタの先にチョンと付けて食べるのが『通』の食べ方なんですね。
また、『寿司』自体は手で食べても、箸で食べても良しとされていますが、「ガリ」だけは箸でつまんで食べること。
そんなヤツいないと思いがちですが、これが意外といるので、注意が必要です。
2つ目は、「山葵(わさび)」を醤油に溶かして食べること。
これも、見た目もそうですが、「山葵」独特の風味でネタの味が消えてしまうことから、少量の「山葵」をネタにちょこっと乗せて食べるのがスマートな食べ方となっています。
実は、「チラシ寿司」や「海鮮丼」なども本来はマナー違反なんですよ。
3つ目は、カウンター席で提供されるときの下駄(木の皿)をカウンターから降すこと。
これも、次々に「寿司」を提供される用の皿なので、それを降しては、提供する場所が無くなってしまうためです。
客側も相手を気遣う気持ちが必要ということですね。
4つ目は匂いのキツイ香水や整髪料をつけての来店、またタバコを吸うなどの行動。
その理由としては、ナマモノであるネタやシャリなどに匂いが移ってしまうためです。
また、他のお客さんにも迷惑をかけることにもなるので、これも厳禁となっています。
5つ目は、「お茶」を「上がり」と呼んだり、お会計の際に、「お愛想を〜。」などと言ったりすること。
これは元々、寿司職人達側が使う『隠語』であり、客側が使うべき言葉では無いからです。
冷静に考えれば、食べ終わったあと、最後に出てくる「お茶」を客側から「上がり」と言ったり、「お愛想を〜」と言ったりするのは「愛想が尽きたから」という意味なので、失礼ですからね。
とこのように、現代では少し敷居の高い『すし屋』ですが、その名前を選ぶ基準も亭主によってさまざまとなっています。
どちらにしても、職人さん達の自信と誇り、そして伝統を守り続けており、それを支援するためにも、客側である我々もある程度の知識が必要です。
お互いに尊重し合う気持ちが大事なんですね。
それが出来る唯一の国、『和の国』に生まれた我々『日本人』なのだから。