2021年10月7日22時41分頃、「東京都」と「埼玉県」で最大震度5強を観測する地震が発生しました。
この地震で約36万年8千人に影響が出たと『JR東日本』が発表しました。
また、『日本郵便』も1都4県で配達の遅れが出たと言う発表をしました。
『東京都水道局』は都内30ヶ所以上、漏水が発生したと発表。
今回の地震で、つくづく首都圏の『インフラ』が弱いと言う事を気づかされた形となりました。
そんな中で、帰宅難民者にひとつの『希望』を与えたものがあります。
それは「東京」の『シンボル的存在』でもあるもの。
『東京タワー』。
と言うのも通常、『東京タワー』のライトアップは24時で終了時刻となっているんですが、この日はたまたま工事のための試験点灯をしていました。
地震の影響で『山手線』や、その他の在来線が運転見合わせになるなどで、交通機関に大きな影響が出るなか、歩いて帰宅を強いられた帰宅難民者たちに、その場所を変えずに光っている『東京タワー』の灯りが『目印』となったんです。
橙色に淡く光ったライトアップが、暖かさを感じさせて、さぞ彼らに『勇気』や『希望』を与えたことでしょう。
たとえ、試験点灯とはいえ、この地震の直後に、人々に力を与えた『東京タワー』のライトアップは、まさに『東京のシンボル』と言っても、過言はありません。
こんな時にも、人々かを癒し続けているんですね、『東京タワー』は。
ここで『東京タワー』がある場所の歴史を紐解いていくと、少し面白いことに気付きます。
現在は、『東京タワー』は「芝公園」内に立っていますが、この場所は、元々は『江戸幕府』歴代将軍の霊廟(いわゆるお墓)がある、菩提寺『増上寺』がある場所でした。
(上記は『増上寺』公式ホームページより引用。)
ここ、『増上寺』には2代・6代・7代・9代・12代・14代の計6人の将軍が眠っているんですよ。
そして、『増上寺』の驚くべきことは、その広大な広さ。
戦後の『政教分離』によって、「芝公園」と『増上寺』は別々になりましたが、もとは同じ『増上寺』の敷地。
交差点や駅にもこの名前がつけられていますが、ここにはかつて、『増上寺』の北端の門が存在しており、この門は「徳川将軍家」専用の
参詣門となっていました。
現在でも、地図を見ると分かるように、『江戸城(現・『皇居』)から真っ直ぐ行けばこの門に到着できるようになっています。
それだけ、重要な『寺院』だったと言うことが、ここから見ても分かります。
そんな『増上寺』ですが、『江戸城(現・『皇居』)』から見て、南西の位置にあるのが分かります。
南西の方角は『風水』では『裏鬼門』と呼ばれる重要な位置であり、そこに「徳川歴代将軍」の『菩提寺』を置くことにより、徳川の時代=平和な世の時代が永く続くように、願っていたのでしょう。
『裏鬼門』とは逆に、『江戸城(現・皇居)』から見て北東に位置し「上野」にある『寛永寺』は、いわゆる『鬼門』としている場所にあり、この『寺院』も「徳川将軍家」の『菩提寺』となっています。
ここには、4代・5代・8代・10代・11代・13代将軍の計6人の将軍が眠っており、その近くには最後の将軍「第15代将軍・徳川慶喜」も眠っていることから、『鬼門』・『裏鬼門』共に、歴代将軍自らが、『江戸』を護ると言う強い意思表示をしていたのです。
また、『寺院』とは別に『神社』も同じく、『鬼門』・『裏鬼門』の場所に守護のために設置していました。
ここでもう1つ面白いのは、『増上寺』がある地は元々、『伊勢神宮』に『御饌(神饌)』を調達する場所だったと言うことです。
これは、『伊勢神宮』にお供えするものを作ったり、調達する場所でいわゆる、『伊勢神宮』の『荘園(私有地)』となっていました。
そして、『神田明神』の「神田」と言う地名ももとは『伊勢神宮』に「米」をお供えする為の田んぼがあった場所だったことから、「神田」という地名がついたのです。
「徳川(江戸)幕府」は、そんな『天皇』の祖である『天照大御神』・『豊受大神』を祀っている『伊勢神宮』の力すらもあやかろうと、この場所に『江戸城(現・『皇居』)を建てたんですね。
そして、その氣の良い場所に「明治維新」後、現在でも続いている『皇居』にしたという事が、いかに『天皇家』を、そして平安な世を260年も続けた「徳川将軍家」に敬意を払っているのかが、ここで分かります。
本来であれば、敵の主城を焼き払うのが当たり前のことですから。
そんな歴史・そして『聖地』として永らくあった場所も、ある国によってそのほとんどが焼き尽くされてしまいました。
その行為はまさに『国際法違反』。
さらに、敗戦国となった『日本』を占領し、その『聖地』を一目散に訪れた勝戦国のトップ、「ダグラス・マッカーサー」。
彼は、占領下の『日本』に到着するなり、どこにも目も触れずに、この地に訪れたという噂もあるほどです。
そして、すぐに創設したのが『フリーメイソン・日本ロッジ』。
その後、独立した『日本』がこの『聖地』に建てたのが、今ある『東京タワー』なんです。
『東京タワー』の正式名称は『日本電波塔』。
そして、ここから発信されてより周波数が高い『AMラジオ』。
その局は、さまざまですが例えば、首都圏では
『日本放送協会』 周波数(親局)
↓
「594kHz(東京・第1)」、「639kHz(東京・第2)」
『株式会社TBSラジオ』 周波数(親局)
↓
「954kHz」
『株式会社文化放送』 周波数(親局)
↓
「1134kHz」
『株式会社ニッポン放送』 周波数(親局)
↓
「1242kHz」
『株式会社アール・エフラジオ』 周波数(親局)
↓
「1422kHz」
となっています。
そして、この数字を足すと…。
5+9+4=18
6+9+3=18
9+5+4=18
11+3+4=18
12+4+2=18
14+2+2=18
となるんです。
不思議とね…。
そして、現在はそれを引き継ぐようにと新しい電波塔が、存在しています。
その電波塔というのが『東京スカイツリー』。
この場所も『皇居』から見ると北東(『鬼門』)に位置しています。
そして、その高さは「武蔵国」にちなんで634m。
この数字も足すと。
6+3+4=13
になるんです。
不思議ですね。
余談ですが、「芝公園」内にある『東京タワー』に隣接している『東京プリンスホテル』は、『西武グループ』が運営しています。
そして、『東京スカイツリー』は『東部グループ』が運営しており、どちらも特急があります。
そして、「秩父」にある『秩父神社』の社殿は「徳川家康」が寄進しており、「日光」には「徳川家康」とその孫の「徳川家光」が眠っています。
ここで、「徳川将軍家」全てが繋がっているんですね。
こうして、未だに「徳川将軍家」の力を借りている首都「東京」。
偶然なのか、必然なのかは分かりませんが、ちょっと違う観点から見てみるとまた、新たな歴史を発見出来て、さらに楽しく暮らせそうですね。
ちなみに、今回の『東京タワー』のライトアップで、「現代の北極星か!」というつぶやきが多数あったそうですが、『江戸城(皇居)』から見て、真北にある場所が「日光」であり、ここから「家康」と「家光」が見守っています。