今回の『時の鐘』は現在、世界一乗客数が多くギネス世界記録にも認定されているビッグターミナル「新宿駅」のほど近くにある『天龍寺』の『時の鐘』についてお伝えしたいと思います。
『天龍寺』はもとは現在の静岡県にある『法泉寺』という寺院が前身と伝わっています。
その『法泉寺』というのは2代将軍・秀忠の母である「西郷局」の父の菩提寺でした。秀忠のいわゆるおじいちゃんですね。
その、菩提寺を家康が江戸入府後に、現在の牛込付近に移すことになり、その際に名前も改名し、現在の『天龍寺』という名前になりましたが、その由来は『法泉寺』の近くに「天竜川」が流れていたからとなっています。
そして、『天龍寺』は江戸城の裏鬼門鎮護の寺院として役割を果たしているという由緒ある寺院になります。
しかし、『天和の大火』により焼失してしまい現在の地に移転しました。
その後まもなく、日本橋を起点とする『五街道』のひとつである『甲州街道』のひとつ目の宿場がほど近くに開設します。
そして、その1年後に5代将軍・綱吉の側用人(将軍の命令を老中たちに伝える役職)だった「牧野成貞(まきのなりさだ)」から、『天龍寺』への梵鐘の寄贈により、ここで『時の鐘』が出来ました。
また、この時に時刻を知るために『やぐら時計』も寄贈されたとなっており、さらにこの『時の鐘』だけが唯一、江戸城下外となっていたところから、他の『時の鐘』よりも30分早く鐘をうっていました。
その理由はいくつかあるのですが、ひとつはここの場所が江戸城下外と言う場所に位置しており、登城する武士たちもここからだと時間がかかり遅れてしまうという理由からです。
実際に、いまでこそ整備された道路ですが『時の鐘』があった『天龍寺』の隣ある現在の「新宿御苑」から皇居の半蔵門まで歩いていくのに45分ほどかかります。
江戸城に登城する武士が遅刻をしてしまっては、下手したら切腹・改易もありえますからね。
また、『甲州街道』自体が江戸城(将軍など)が有事の際に脱出するためのを想定してつくられた非常に重要な街道で、江戸城の『半蔵門』は『大手門』のほぼ真裏に位置しており、そこからほぼまっすぐに『内藤新宿』までのびています。
(↑上記は右側が「大手門」いわゆる江戸城の正門。対して、左側通行「半蔵門」いわゆる有事の際の脱出用の門。)
そして、「半蔵門」から『四谷大木戸』(江戸城内に出来入りするための関所)にまで、忍者で有名な「伊賀組」や「甲賀組」など忍者としても有名な鉄砲の特殊技術をもつ者たちに警護させたり、砦用として多くの寺院を配置しました。
今でも「半蔵門」前のすぐ先に警視庁の麹町警察署がありますもんね。
そう言った意味で、武士たちにとって非常に大事な場所であった『甲州街道』と『四谷大木戸(江戸城内への出入りするための関所)』のすぐ西側に設けられた、『内藤新宿』。
そして、そこの宿に宿泊や住んでいる人々にとってはとても重要な『時の鐘』だったことが分かります。
さて、次回は武士以外の江戸市民たちにとっても大事な『時の鐘』だというのをお伝えしたいと思いますので、是非ご期待ください。