江戸の『時の鐘』は石町や上野など、合計で10箇所ありましたが今回は『浅草』にある『時の鐘』をご紹介していきたいと思います。
石町の『時の鐘』は2代将軍・秀忠が、そして上野の『時の鐘』は3代将軍・家光の命により設置されましたが、『浅草』にある『時の鐘』は5代将軍・綱吉の命でこの地に建てられました。
そして、『浅草』といえば『雷門』や『浅草寺(せんそうじ)』など、日本でも有数の観光スポットとしても人気ですが、この『時の鐘』は『浅草寺』の敷地内にあり、いまもなお、毎日午前6時に鐘がつかれています。
また、浅草の『時の鐘』は綱吉の命で作られて以来、戦火などで多少焼けてしまった箇所はありますが、現在も最初に作られた形のまま、残されています。
また、第二次世界大戦中、鉄の不足のために数多くの寺院の鐘が当時の政府によってほぼ強制的に回収されてしまう中、ここの『時の鐘』は特に由緒があるとして、残されました。
この時、もし回収されていたら毎年大晦日の深夜にNHKの『ゆく年、くる年』という番組での除夜の鐘もまた、違う音色になっていたと思うと、なんとも感慨深くなりますね。
さらに、前回の上野『寛永寺』の『時の鐘』を鋳造した旧称『谷中 感應寺(かんのうじ)』は「富くじ」といっていまでいう「宝くじ」を江戸幕府から認可され興行していましたが、浅草の『時の鐘』ある場所もカネ=金に深く関係のある場所にあるのです。
その場所というのが『浅草寺』の敷地内にある、少し小高い丘に弁天様を祀っている弁天堂がある、『弁天山』です。
弁天様は『弁財天』ともいわれており、『七福神』の一員で唯一女性でありとても縁起の良い神様です。
そして、『弁財天』の字からも分かるように「財」の文字が入っており、さらには「巳の日」が縁日になっていることから、『財運』のご利益がある神様となっています。
そうしたところからも「鐘=カネ=金」と掛け、江戸時代以降いまもなお、人々に親しまれてきたのでしょうね。
また、『弁財天』が『古事記』や『日本書紀』に登場する『イチキシマヒメ』と神仏習合により同一視されるようになり、『イチキシマヒメ』は水の神でもあることにより、池や泉・海や川のほとりなどに祀られることが多くなりました。
池や泉は水が溢れて出ることから、昔の人々にとっては生活に欠かせない存在であり、また海や川沿いでは漁師や農民たちにも生活をするうえで欠かせない存在でした。
そのような関係性からもやはり「財」の文字がある『弁財天』が数多く祀られる理由になったのでしょうね。
『浅草寺』の弁天山にもかつては池があり、そこに祀られていましたが、そもそもこの『浅草寺』自体もその昔、ある兄弟が川で漁をしていると観音さまが網にかかり、それを祀ったのがはじめとされる寺院です。
そういった関係からもこの地に『時の鐘』が出来たというのが必然な気がします。
また、この『浅草寺』の創建は『推古天皇』の時代であり、『坂東三十三箇所』では「13」番目の礼所となっています。
『聖徳太子』は別名、『厩戸皇子(うまやどのみこ)』であり、『イエス=キリスト』は馬小屋で生誕したと言われています。
ここで「13」「33」『イエス=キリスト』で浮かび上がるのは…。
『フリーメイソン』
もかしたら、最早この時から『日本』と『フリーメイソン』は深く関わっていたのかもしれません。