前回は『お盆』のちょうど真ん中と言うことで、少し話をズラして『お盆』についてお伝えしました。
さて、今回の『時の鐘』の場所は『目白不動尊』になります。
この寺院は名前からも分かるように、目が白い『不動尊』を本尊に安置している寺院で、現在の文京区関口あたりにあった『新長谷寺』にありました。
そして3代将軍・家光の時に『五色不動尊』のひとつでもある『目白不動尊』と名を贈られて、以後発展していきました。
この『五色不動尊』と言うのは、「黒・白・赤・青・黄」の5色からになっており、『五街道』の守護のために設置されましたが、風水によりこの5色・6寺院で結界をつくり、江戸のまちを守護したと言う説があります。
また、この5色・6寺院を線で結んだ内側までの範囲が江戸市内だった言われる説もあります。
そんな場所で設置された『時の鐘』。
江戸市内・また市外から江戸に入ってくる人々にとって、それぞれ時間を知るうえでもいかに重要な『時の鐘』だったのかが、うかがえます。
特に、現在の東京都清瀬市方面から農作物を運び、江戸川橋を渡る坂を「目白坂」と称しており、そこからこの辺り一帯が「目白」と呼ばれるようになりました。
そして、『目白不動尊』が安置してあった『新長谷寺』はこの坂の南側にありました。
また、5代将軍・綱吉とその母である桂昌院からの帰依によりさらに、その名を高めていき門前町も発展していきました。
と言うのも、3代将軍・家光の子である5代将軍・綱吉。
桂昌院(お玉)は家光の側室で、僧侶に男子を産むと占いをされた結果、のちの綱吉が産まれました。
そして、子である綱吉が将軍職に就いたのちに、その占いをした僧侶を江戸に招きいれ、自らの祈願寺とした寺院が、『大本山 護国寺』になります。
この『大本山 護国寺』に向かう道の途中に、あるのが『新長谷寺』でした。
もともとは2代将軍・秀忠の命で建立された『新長谷寺』ですが、先にも述べたようにその子の3代将軍・家光が『目白不動尊』の号を贈り発展。
そして、その子の5代将軍・綱吉、そしてその母の桂昌院がこの寺院に帰依するのは、もはや必然と言えることだったんですね。
そして、その場所にあった『時の鐘』。
なんとも由緒がある『時の鐘』と言うのが分かります。
しかし、第二次世界大戦中の戦災で壊滅的な破損をして、『新長谷寺』は廃寺になってしまいました。
そして、『目白不動尊』だけが『金乗院(こんじょういん)』に移され、『時の鐘』の再建はされませんでした。
こうして『金乗院』の『目白不動尊』が現在にまで至る信仰を集めているわけですが、年に3回(1月・5月・9月の28日)には秘蔵仏である『目白不動尊』のご開帳もあるので、是非機会があれば拝観してみたいものです。
また、目白台の関口には『時の鐘』自体の記念碑はないものの、ここにそのような歴史があったと言うことを踏まえて訪れてみるとまた、違った見方が出来ると思います。
江戸時代の景色を想像しながら散策するのも、ロマンを感じますね!