前回、江戸城の鬼門にあたる『神田明神』さらに奥に天台宗別格大本山にもなり、また徳川家の菩提寺にもなっている『寛永寺』のお話をしましたが、もう少しだけこのお寺のお話をしたいと思います。
この寛永寺を開山した天海ですが初代将軍家康の参謀として、風水を使い江戸城を建設しました。それは当時から江戸庶民に人気のあった『平将門』のパワーを利用しこの江戸を護ろうとしまた、将門は「如見菩薩」を信仰しておりそれが北方の守護神である事から、将門に関係のある場所に「北斗七星」を作り江戸に結界を作りました。
この中でも一番有名なのが「将門首塚」ですが、大手町(大手門とは正門の事)にある事、江戸総鎮守でもある神田明神の三ノ宮の祭神が将門である事、家康が北方信仰(北極星は変わらずそこに君臨していることから古代から皇帝などに好まれて信仰されていた)を信じていた事からも将門自体を信仰していた事が分かりますよね。
また、江戸城の鬼門方面に古事記の「岩戸隠れ」で活躍した神様達にあやかり町を作って行きました。その神様が布刀玉命(フトダマノミコト)・天宇受売命(アメノウズメノミコト)・天手力男神(アメノタヂカラオ)で上から芸人・遊女・力士の神とされていました。
ここでお解りの方もいらっしゃると思いますがそうです。芸人=浅草・遊女=吉原・力士=両国となるのです。そして、この地は幕府からも正式に認められいた地ですよね。
さて、天海が開山しのちに徳川家の菩提寺になった寛永寺ですが15人の将軍のうち6人が眠っており(家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定)、守護神として江戸を見守っています。
そして、あくまで都市伝説の域なのですが天海は実は「明智光秀」であったと言う話があり、日光にある明智平と言う地名は天海が名づけたと言う伝承があることや、3代将軍家光の乳母の春日局の父は光秀の重臣の斎藤利三であること。また、天海の墓所が光秀の居城があった近江坂本にあると言う事からこの様な都市伝説が出来たのだと思います。
また少し話はズレますが、明治維新の立役者の坂本龍馬の先祖が近江坂本出身でこの明智光秀の末裔と言う話があり、倒幕の際、龍馬の家紋が光秀の家紋である桔梗紋と似ていることから、志士たちにも絶大な効果があり奮起させたと言う事実もあります。
そして、今まで鬼門の方のお話をしてきましたが、実は裏鬼門にも守護をしている神社仏閣があるんですね。1つは『山王日枝神社』・もう1つは大本山でもある『増上寺』です。
まず、『山王日枝神社』ですがここの主祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)であり、地主神でありさらに農耕の神とされており、また近江の日枝山(のちの比叡山)に鎮座したことから山全体の神となった。また、この地に最澄が天台宗・延暦寺を建ててからはこの山の結界を守る守護神として扱われています。
また、天海は天台宗出身である事もあり徳川家の氏神となり、江戸幕府の鎮守となりました。
さて次回はこの山王日枝神社のお話をもう少しと増上寺のお話をしたいと思います。