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『世界最古の国』日本

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大嘗祭 特別御朱印 その⑤

前回、前々回と『小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)』の主祭神である『小野篁(おのたかむら)』についてお伝えしてきましたが、今回はこの神社の境内について、お伝えしていきたいと思います。

 

 

さて、まず始めにこの神社に参拝しようと思ったきっかけは、いまちょうど皇居内で一般公開が行われている『大嘗宮(だいじょうきゅう)』で天皇陛下が即位した際に一世に一度きりしか行われない『大嘗祭』の特別御朱印を配布していると言うの知り、これは頂きたいと思いました。

 

 

それがこの御朱印になります。

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その理由はもちろんまず、この御朱印自体が『即位礼正殿の儀』と『大嘗祭』が行われた日付けが金・銀で書かれていると言う事。

また、この御朱印にはイラストもあり、そのイラスト上部には『鳳凰』や『龍』、また縁起の良い動物達が描かれているので、そのままでもかなり縁起の良いものとなっています。

 

 

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しかし、このイラストを拝見した瞬間に『マジかっ!』と思ってしまったのです。

 

 

それは実は私の子供達の干支が『酉年』と『辰年』なんですが、この『鳳凰』と『龍』が一致かしていたんです。

 

これにはさすがに、この神社に間違いなく引き寄せられている!と感じてしまい、必ずこの御朱印を頂こうと思い参拝をしに訪れたのです。

 

 

そして、参拝しに訪れた訳ですが、本殿に参拝後に社務所に行き目的の御朱印を頂こうと待っていた際に、この境内を散策していたのですが、そこでさらに驚かされました。

(この特別御朱印以外、実は何も下調べをして行きませんでした。)

 

 

それはまず1つ目に『下谷坂本富士』と言う実際の富士山の溶岩で築かれた富士塚です。

 

これは江戸時代、誰でもが富士山に登れなかった時代に庶民が気軽に登れる様にと築かれたものです。

この背景には当時はすでに戦国の世も終わっており、庶民の間では富士山信仰やお陰参り(お伊勢参り)など数えきれない程、様々な信仰がありました。

そして、この地に築かれたのがこの富士塚であり、一合目から十合目などしっかりと記されていたり、途中に修験道の開祖である『役子角(えんおづの)』の尊像や『南無妙法』と書かれた石碑があったりとまさにミニチュア版の富士山がそこにあったのです。

また、この富士塚は「国指定重要有形民俗文化財」にも指定されています。

そして毎年、大祓と富士山の開山日の6月30日・7月1日には一般の方にも登拝が許されているので是非是非。

 

と、ここで少しこの名称にある「坂本」と言うところを覚えておいて下さい。

 

あとで、面白い事になりますよぉ!

 

 

さて、2つ目ですがこの「下谷坂本富士」を背に向けた所にある『庚申塚(こうしんづか)』です。

何故この庚申塚に驚いたかと言うと、ここがまさかの「日本三大庚申塚」のひとつだったのです。

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と言っても、あまりピンと来ない方もいるとおもいますがこれは日光東照宮でも有名な「見ざる、聞かざる、話ざる」のサルを祀り、夜には慎ましく静かにして眠らずに過ごし、神や仏(神仏習合)を供養することにより現世での御利益を授かると言う信仰です。

(この信仰も江戸時代に入りかなりの数になった信仰のひとつです。)

 

 

 

さて、ここで勘の良い方はお気づきだとは思いますが、お分かりでない方ももう少しで「うわっ!」となりますよ。笑

 

 

と、この神社で発見した最後の驚きはここにまさかの『三峯神社(みつみねじんじゃ)』・『御嶽神社(みたけじんじゃ)』が社務所(鳥居を入ってすぐ左側)の斜め前にありました。

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これにはさすがに目を疑いました。

なぜこんな所にと!

 

 

三峯神社』は言わずと知れた日本でもパワースポットとして最も有名な神社のひとつなのでお伝えするのはいつかの機会にと思いますが、ここを守る狛犬は大変珍しく『狼』なんですね。

 

 

そして、自分的には凄く身近であった『御嶽神社』。ここも実は『狼』が狛犬なんですね。(私が知っているのは東京都青梅市にある「武蔵御嶽神社」ですが。)

 

また、御嶽神社の総本社は修験道の神である「蔵王権現」を祀っている奈良県吉野にある世界遺産のひとつにも含まれている『金峯山寺(きんぷせんじ)』あり、創立者は先程も出てきた「役子角」と伝えてられています。

さらに、この金峯山寺は江戸時代には徳川家康の命で『天海』が創建した『日光輪王寺』(天台宗)の傘下になりました。

 

 

と、ここでお気づきでしょうか?

先程も上げた「坂本」・「見ざる・聞かざる・花ざる」で有名な『日光東照宮』・そして『天海』。

 

そうです。来年の大河で主役の『明智光秀』が浮かび上がってくるのです!

 

 

何故かと言うと、「坂本」とは明智光秀が城主であった坂本城から取ったとされ、さらには日光東照宮は天海が創建した徳川家康の霊廟であり、小野照崎神社は元々は現・上野公園内に創建されており、天海が『寛永寺』の創建の際に今の場所に遷座したと言う事。

 

天海は実は明智光秀と言う都市伝説みたいなものが絶えず知れ渡っているのはご存知だと思いますが、こうしてみると中々面白い気がします。

 

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実際に、山手線の「鶯谷駅」を挟んで目と鼻の先に位置し、寛永寺江戸城の鬼門にも位置しています。

 

また、ちょっと面白いのが上記の地図の寛永寺と小野照崎神社のちょうど真ん中辺りに『旧陸奥宗光邸』と書かれているのがお分かりでしょうか?

 

この陸奥宗光は、あの薩長同盟を仲介した言わずと知れた英雄『坂本龍馬』と一緒に日本初の株式会社を立ち上げ、さらには明治維新後、外務大臣などを歴任し、「条約改正」(徳川幕府時代に行われた海外との不平等条約)を果たした人物です。

 

 

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(↑上図が「旧陸奥宗光邸」ですが、実際に見た時には少しショックを受けてしまうくらいに廃墟化していました。すみません、個人的な意見なので御勘弁を。)

 

 

と、この様に歴史も感じられた今回の参拝でしたが、実は寛永寺にも足を運んだので中々面白い神社仏閣巡りになりました。

 

 

最後にひとつ。

 

 

この小野照崎神社を江戸幕府が残したのは江戸城から「鬼門」の位置に元々はあり、寛永寺創建後にも近くに置いたのも主祭神である「小野篁」が閻魔大王の補佐役で『冥界の官神』とされおり、それにあやかり江戸城また江戸市内の守護神として祀られていたのではないかと思ってしまうTOTANでした。