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『世界最古の国』日本

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江戸の結界 その③

今回は前回の続きの『山王日枝神社』そして増上寺のお話をしたいと思います。

この『山王日枝神社』と言うのは前回もお伝えした江戸城の裏鬼門(南西の方角)にあたり徳川家の氏神として江戸の鎮守と扱われましたが、この神社のお祭も鬼門にあたる『神田明神』の神田祭と同様に「天下祭」として江戸っ子達に親しまれてきました。

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そして、この2つの祭は1年ごとに交互に行われ、山王祭は十二支で言うと「子・寅・辰・午・申・戌」の年に、神田祭は「丑・卯・巳・未・酉・亥」の年に西暦で言うと前者が偶数年、後者が奇数年の隔年に行われている。

また、神田明神は江戸の町の守護神としてに対して山王日枝神社江戸城そのものの守護神として司っていたので幕府から手厚く保護されていた。ただし、一方で行列の集合から経路・解散まで厳しく順序も定められていました。

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とこの様に、山王祭神田祭は似ている様で似ていない天下祭になっていったのです。

そして今では皇城の鎮として守護しているのです。

そしてもう1つの裏鬼門にあたる『増上寺』は今の芝公園内に位置する場所にありますがここはちょっと他の寺院に比べるとスケールの大きさが違うというのを感じます。

まさに圧巻っ!

 

と言うのが始めて訪れた時の直感的な感想でして、15年年くらい前の事ですが、何も知らずに浜松町駅から東京タワーに遊びに行った時に、「なんの鳥居だろう?」

と言う事しか思っていませんでした。そしてそのまま東京タワーに歩いて向かっているとふと、左側に神社なのかお寺なのかどっちが分からないがやたらと大きなのがあるなぁ。と思いそのまま少し時間があったので寄る事になりました。

時間帯的にも夕方過ぎで辺りも薄暗くなってきてたのもあり、照明を点けていたのですが、その時の迫力と言ったら今まで体験した事の無い様な息の詰まるほどの圧巻さと少しの恐さだったのです。

そして、参拝をしこのお寺は何というお寺なのかを辺りを見渡すと、『葵の御紋』が目に入り、「ここは徳川家に関係のあるお寺なんだなぁ」と思いながらパンフレットを手に取りました。

そこで初めてこのお寺は『増上寺』と言うお寺なんだと分かり、更にそこに記載されていたのに更に驚いたのです。

それは前回、『寛永寺』が徳川家の菩提寺とお話をしたの同じく、ここ『増上寺』も徳川家の菩提寺だったのです!

そしてこのお寺で眠っているのは15人の将軍のうち6人で、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂です。

その時はこの霊廟には時間的に遅かった事もあり行けませんでしたが、後日ちゃんと時間帯を調べて参拝致しました。

と、ここで思ったのが徳川将軍15代のうち6人ずつ鬼門である寛永寺と裏鬼門である増上寺に守護神として置き、さらには北方に初代将軍『家康』3代将軍『家光』を置くことによって、風水で最強の結界を作り、江戸、そして今の東京は繁栄していったのです。

また、このとてつもない敷地を持っていた増上寺は麹町貝塚と言う先史時代から発展していた場所に建立しており、今現在も芝公園内に古墳として残っています。そして、その近くには東京のシンボル的存在でもある東京タワーがあります。この麓にはフリーメイソンの日本本部ロッジがあったりもするんですね。

さらに時代劇や歌舞伎でも有名な「赤穂浪士」のきっかけを作った場所にもなっていたりとやはり江戸時代はかなり重要な寺院だったのですね。

そして江戸城の鬼門の延長線上には霊峰・筑波山があります。そのさらに奥には日立市にある「御岩神社」があります。この神社も中々面白い話があるのですが、宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時に1箇所だけ光の柱が立っている場所があったそうです。

その場所を調べてみるとこの神社だったそうです。さらにこの神社には188柱の神様を祀っているのです。

さらに裏鬼門には川崎大師、その奥にはたくさんの神社仏閣がある鎌倉市があるのです。

このように見てみるとこの地に幕府を開いたのは必然だった気がしてなりません。

さて、次回は初代将軍家康・3代将軍家光の霊廟がある日光に焦点を当てて行きたいと思いますます