前回は最澄のお話をして、日本とキリスト教の繋がりをしましたが、今回はもうひとつの密教の祖である『空海』のお話と遡って厩戸王の話を少しだけしたいと思います。
空海は最澄と共に遣唐使として大陸の唐(現在の中国)に渡り、真言密教をもたらし帰国後、『高野山金剛峰寺』で『真言宗』を開いた人物としてまた、平安京の鎮護の為に建立した『東寺』を嵯峨天皇から下賜され、根本道場となり中世以降、一般民衆にもその信仰が広まっていきました。(戦国時代中期辺りまでは「西寺」と一緒に羅生門を挟んで対となっていました。)
そして空海も最澄と同様、『弘法大師(こうぼうだいし)』と言う諡号が醍醐天皇から贈られていて大抵の場合、大師とは弘法大師の事を指しています。
また、空海は現在でも死去ではなく「禅定(心が動揺することがなくなった一定の状態の事)」に入っているものとされ、生き続けているとされていて、今現在も服と食事を2回、給仕されています。
そして、さらに面白いのは肖像として後に作られたもので、「聖徳太子弘法大師一體鈔」には空海は聖徳太子=厩戸王の生まれ変わりであると記されており、「聖徳太子二歳像」と類似している像があります。
さらには、空海は常に日輪がさしている事から「空海=天照大御神」となっており、以前お話した「天照大御神=大日如来」と言うところから、「天照大御神=大日如来=空海」とされ、これは神仏習合が色濃くなった時代の表れとして表現されています。
まさに、スーパースターみたいな感じで日本人にとって親しみと敬意、そして崇拝されている事が分かりますね!
また、空海は能書道家としても知られており、嵯峨天皇・橘逸勢・と共に三筆として数えられています。その中で『聾瞽指帰(ろうこしいき)』は「三教指帰(さんきょうしいき)」(空海が24歳の時に家族に反対されながらも出家をすると言う宣言書で前者が初稿本で、後者は後に色々と改正して朝廷に献上したもの)は、空海直筆のものが金剛峯寺に現存しており、国宝となっています。
そして、驚いたのが空海が最澄に送った書状3通を1つにまとめたもので、「風信帖」と呼ばれるものがあり、それも国宝になっており指定名称は『弘法大師筆尺牘三通(こうぼうたいしひつせきとくさんつう)と言うものも現存しています。
この様に、筆としても才能がある空海ですがことわざでも弘法大師が使われていて、一番有名なのが「弘法も筆の誤り」と言うではないでしょうか。意味はたとえ大物であっても、誰にでも間違いはあるものとなっていますが、本来はさすが大師、書き直しでさえも常人とは違うと言う意味も含まれています。
とこの様に、最澄と空海のお話をしてきたのですが少し戻って、厩戸王は推古天皇の摂政と言うお話を以前しました。それがなんと推古天皇は第33代目の天皇なのです。そして、「33」と言う数字はフリーメイソンで最高位の数字!
いよいよ点と点が繋がってきましたね。
少し長くなったので今回はここまでにして次回はもう少しこの話を触れていきたいと思います。