さて、外宮を参拝し終えて次に向かったのは月夜見宮です。ここは外宮から真っ直ぐ歩いていった所にあるので(ちゃんと参道になっています)、車で行くより徒歩で行った方が良いですよ。
ここでしっかりと参拝し終えちゃんと御朱印も頂いて来ました。その後もう一つの月讀宮に行ったのですが、ふと変な感覚に陥りました。
古事記などで書かれている伊奘諾(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)との間に出来た神々の中でも一番貴いとされる三貴神、天照大御神・素戔嗚・月讀ですが、何故か素戔嗚(スサノオ)だけがここ伊勢神宮周辺で主祭神になっている場所が無いんです。もちろん、アマテラスは太陽の神『陽』でツキヨミは月の神『陰』で対称的な事もありますし、スサノオの素行が悪すぎて嫌気がさしてしまい岩の中に隠れてしまい世界が暗闇に包まれてしまった『岩戸隠れ』の神話もあり、その後出雲国でヤマタノオロチを倒し、その腹の中から出てきた『草薙剣』をアマテラスに献上し、妻である櫛名田比売(クシナダヒメ)と出雲国で暮らす場所を探しに行き天津神から国津神に変わったと言う流れがあるからでしょうか。
この岩戸隠れからヤマタノオロチを倒し国津神になりその子孫が天孫降臨までこの国を治めて行く事になりますが、 これで思ったのは実はこの3柱は元々違う部族なのではないか?と言う事です。
まず岩戸隠れで投げ飛ばされた岩が落ちた場所が長野県の戸隠神社と言う場所です。
この場所は戸隠山と言う火山地帯で、ここでは砂鉄がよく採掘出来る場所でした。そして朝鮮半島から渡ってきた渡来人(百済系)の人々が、それに目をつけここで砂鉄から剣などの武具を作っていたと言うものです。また砂鉄川である裾花川、犀川を通って出口は現長野市に着くのです。
と言う事は長野市にある『善光寺』にも繋がっているのではないか?善光寺では「遠くとも一度は詣れ善光寺」と慣用句もありまたここは日本百観音の巡礼で最後に来る地としても有名です。また、この寺は日本最古の仏像と伝承される『一光三尊阿弥陀如来像』が安置されており、この本尊は654年に絶対秘仏とされており、これは欽明天皇の時代に天竺の月蓋長者が造仏したものとされ、百済の聖王を経て献呈されるが、廃仏派であった物部氏によって捨てられてしまったが、本田善光と言う人物により拾われここに持ち帰りこの地で建立したとされています。
そうです。やはり渡来人(百済系)の人々が関わっていたのです。先程も述べた砂鉄から鉄を生産し、剣などの武具を作り権力を拡大して行ったのではないかと。そしてもう一方の渡来人(新羅系)の人と手を組んでいたが追放され出雲国の地に移り住んでいった。そう考えるとスサノオがアマテラスに献上した『草薙剣』の神話も繋がってきますよね?