前回、記事に書いた伊勢神宮(内宮)の参道にある灯籠にある、菊花紋とダビデの星ですがこの関係について、Mr.都市伝説 関暁夫さんがおっしゃっていたのと映画『ダヴィンチ・コード』を元に私なりに考えたことをもう少し深く書いて行きたいと思います。
前回もあげた「最後の晩餐」
ですが、この作品を通して何かを伝えたいとレオナルド・ダ・ヴィンチは思ったのでは無いかと考えました。
まず中央に位置する人物がキリストでその隣にいる、なんか女性っぽいのがヨハネと言われているのがマグダラのマリアなんです。彼女はキリストが、ゴルゴタの丘で十字架に磔になり処刑された際、最初にその亡骸を引き取ったひとりとしても言われており、その後キリストが「復活」する際にも一緒にいたと言われており、更にその後の行方は歴史的は消えています。
そして、マグダラのマリアの隣にいて左手でいかにも「首を掻っ切ってやるぞ!」と言わんばかりでいる人物が初代ローマ教皇であるペトロなんです。しかも、右手には鋭利のあるナイフみたいのを持ち、マグダラのマリアを何か「余計なことを言ってみろ、今にでも殺してやるぞ!」とささやいているような描写で描かれています。
映画の『ダヴィンチ・コード』にも描かれていた様に、もしかしたら本当にマグダラのマリアにはキリストの子を身籠っていたのかも知れない。だとしたらどーしたってペトロにとって彼女は邪魔に違いない。なぜなら、キリストの死後残った信者を引き連れてキリストの教えを説いて回っていた中心人物であるのに、キリストに子供がいたなんて事になったらそちらの方が優先的になってしまい、自らの力が奈落の底に落ちてしまうからである。
また、今は聖書でも聖人として扱われているが、彼女はそれ以前は『娼婦』として扱われていた。これもなんらかの圧力があったと思わざるを得ない。
(マグダラのマリアで検索するとなんとなく妊婦に見えるのは私だけ…。💦)
そして、キリストとマグダラのマリアの間に子供がいたと言う事実をひた隠し続けある人物が分かる人には分かる様にあるメッセージを絵画として描いた。それがかの有名な『モナ・リザ』である。
彼が描いたこの作品、何処と無く懐妊した女性の様に見えませんか?
そう、これはキリストの子が実際にはいるぞ!と知らしめるために描いた作品なのです。しかし、当時はルネッサンスの時代。聖書にまつわる作品は他の有名な作家たちもたくさん世に出してはいるが、大っぴらに子孫がいたなんて言ってしまうと、それこそ世界がひっくり返ってしまい、今まで隠し続けた組織じたいも壊滅、もしくはその正統な子孫にまで手を加えられるかも知れないと考えたダヴィンチはこのように、分かる人には分かる様な作品を描いたのかもしれないのです。
そして、この描かれている子はなんと双子であった。その双子の1人はイギリスに匿わらて、そしてもう1人はこの国、日本にいると言うのです。
実際に青森県の十和田湖近くにある戸来村(へらいむら、現在は三戸郡新郷村大字戸来村になっている)と言う場所にはキリストの墓とされてる場所があります。しかも結構な山奥なので興味がある方以外は通り過ごしてしまい様な場所に…💦
さらに、この戸来村(へらいむら)何かに気付きませんか?そうです。ヘブライ語とむちゃくちゃ似ているのです。ここまで似ていると逆に怖い気もしてしまいますがねぇ。
また、日本三大祭りの一つでもある祇園祭も古代ヘブライ語が使われていたり、山車にも鉾などの装飾品がありますが、当時イスラエルなどで使われていたものと似ているのです。
この様に偶然にしては妙に似ているのをふまえ、次回ペトロとトマスそれを合わせて日本の古事記などに触れて行きたいと思います!