前回、お伝えした『11月23日』に現在一般公開をしている『大嘗宮(だいじょうきゅう)』を見学する日取りとして、選んだ理由をもう少しだけあるので、それをお伝えして行きたいと思います。
前回まで、3つの理由についてお伝えしましたが、今回はあと2つ。
まず、4つ目はちょうどこの日に天皇皇后両陛下が伊勢神宮(内宮)の皇祖神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)に『即位礼』と『大嘗祭』を終えた事を『剣璽(けんじ)』(八尺瓊勾玉・草薙剣の『三種の神器』の2つ)を伴い御奉告をしに御参拝された日で、前日の22日は外宮で『豊受大神(トヨウケビメ)』に御参拝されました。
この儀式の事を『親謁の儀(しんえつのぎ)』(新謁とは天皇陛下、御自らが御参拝される事」と呼びますが、その時の御束帯は天皇陛下が平安時代以降、天皇陛下の正装である『黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう』に天皇陛下のみしかかぶる事が出来ない、最も格式の高い冠である『立纓御冠(りゅうえいのおんかんむり)』などをお召しになりなされました。
また、皇后陛下も『十二単(じゅうにひとえ)』に『釵子(さいし)』と呼ばれるかんざしを『大垂髪(おすべらかし)』と呼ばれる髪形に刺すなどをお召しになされました。
そして、この御束帯は『即位礼正殿の礼』の際にもお召しになりましたが、この『親謁の儀』実は100年あまりしか歴史的には無いんですねぇ。なので、今回の『親謁の儀』がいかに重要であると言うことが分かります。
さらにこの『新謁の儀』は神武天皇陵などにも御奉告されたのちに全ての儀式が終了します。
通常、『新嘗祭』を行う11月23日に伊勢神宮(内宮)に『親謁の儀』をなされたのはこのような重要な日である日だからこその意味合も含めていると思うと納得出来ます。
さて、ここまで11月23日に『大嘗宮』を見学しに行った理由を4つお伝えしてきましたが、いよいよ最後の一つです。
5つ目の理由は、『ローマ教皇』が来日した日だったからです。
それも38年ぶりの来日です。
と言う事は『平成』の時代には一度も来日していないと言う事になりますね。
しかも、今上天皇もローマ教皇も先代が生前退位をなされた後に即位をしたと言う非常に境遇が似ているんです。
と、ここまでこの日になぜ『大嘗宮』を見学しに行ったかの真意をお伝えしたいと思います。
それは以前にお伝えした天皇は実は「イエス・キリスト」の子孫と言う事をお伝えしました。
日本の神仏習合の考えでは『天照大御神=大日如来』となっています。
そして、ちょっと話はズレますが鬼門は北東に位置し、日本でも馴染みが深い干支では「丑・寅」がその方角になります。これが鬼は角が生えて虎のパンツを履いているイメージに繋がっているんですね。
また、裏鬼門は反対側は「未・申」になりますが昔話で1番と言っても過言では無い「桃太郎」では「サル・トリ・イヌ」を率いて鬼退治に行っており、まさに真逆に位置する構図となっています。
そして、こ先頭に立っているのが「未」であり、実はキリスト=羊としてキリスト教では例えとして使われているのです。
また、「未年」の守護神は「大日如来」になっているのです。
これでちゃんと繋がってきましたよね。
また、ルネッサンス時代の天才である「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の代表作である「モナリザ」は実はキリストの子を身篭ったマグダラのマリアだと言われているのです。
それも分かる人には分かる様にと。
感の良い人はもうお分かりでしょうが、天照大御神=キリストだとすると、その子孫であり世界で唯一のエンペラーである天皇陛下と、世界で最も信者の多い「カトリック教(キリスト教)」での最高位聖職者であり、「キリストの代理人」とも称され、さらに世界で一番小さく、世界で一番人が集まる国(バチカン市国)の国家元首であるローマ教皇がこの『日本』に揃うと言う奇跡の日だったのです。
また、11月25日には皇居内の宮殿の「竹の間」で会談をしており、ここで何を話されたが大変気になる所です。
さて、ここまで『11月23日』に『大嘗宮』を見学しに行った理由をお伝えしましたが、12月8日まで一般公開がされていまして、まだ間に合うのでまだ訪れていない方も、一度訪れた方も是非ともご覧になってみて下さい。