寒くなってきたこの季節、年を忘れる『忘年会』のシーズンとなりました。
朝晩の気温はさらに冷え込み、車の窓ガラスも曇っているなど、『霜月』とはよく言ったものです。
そんな寒さも吹き飛ばしてくれるのが鍋ですが、中でも高級鍋と言えば、『てっちり鍋』。
(上記は『関とら』公式ホームページより引用。)
そう、『フグ鍋』です。
あのプリプリとした食感と淡白な味。
それにポン酢醤油と紅葉おろしをつけて食べたら、それこそ「食べてみなっ、飛ぶぞっ!」。
食用としての『フグ』の歴史は長く、『日本』ではすでに『縄文時代』から食べられている事が分かっています。
ただ、その頃から『フグ』を食べたら「死ぬ」と言う話があったそうです。
美味いけど、食べたら死ぬ。
それでも食べたいと言うのは、古代から人間の心情なんでしょうね。
そんな『フグ』だから、『豊臣政権』時代なんかは、『フグ食禁止令』が出るほどだったんですよ。
その理由は『朝鮮出兵』の際に、『フグ』を食べて、兵士がその毒に冒されて死者が続出した為です。
せっかく集めた兵力を『フグ』を食べて死なれたんじゃ、たまったもんじゃないですからね。
その禁止令は、『徳川』の時代になっても変わりませんでした。
特に『武士』にはその禁止令は『江戸時代』を通して続いていき、『明治』になってもまだ続いてました。
と言うのも、『江戸時代』の武士はその藩に仕える者、いわば公務員です。
そして、武士はその藩主に命を捧げるものです。
だから、自らの食い意地だけで命を落とすと言うのは許されなかったんですね。
ただ、これは『武士』だけに当る禁止令であってその他の商人・農民には該当していなかったようです。
そんなこんなで『明治』に入ってからもまだ『フグ食』の解禁はなされないまま、15年が経ちようやく解禁されたのも、この頃になります。
『明治』も15年が経ち、『武士』と言う存在がいなくなり、政治も『内閣』が始まるなど、まさに近代化目前の『明治15年』。
『フグ』を解禁するというのが、『文明開花』のひとつの目安だったかの知れませんね。
そんな『フグ』の解禁に一役買ったのがあの初代『内閣総理大臣』である「伊藤博文」です。
と言うのも、『中国』との会談のために「山口県」に訪れており、旅館に泊まっていた際に、当時の女将から「前日の大荒れた天候のために高級な料理をお出しすることが出来ない。唯一あるのは毒があり食べたら死んでしまうかもしれない、『フグ』のみ。」と言われました。
ちゃんと処理さえすれば、美味しいと言うことを知っていた「伊藤博文」は「是非、『フグ』を出してくれ!」と頼みます。
接待で出された『中国』の外交官も大変喜び、商談も上手く行ったことによって『フグ食』の解禁がなされたんです。
でも、何故「伊藤博文」は『フグ』が美味しいと言うことを知っていたんですかね。
その謎は、「伊藤博文」の出生にあります。
実は元々、農民の出身だったからです。
だから、幼い時から当たり前のように『フグ』を食べていたんですね。
のちに、父が下級武士の養子となりそのまま足軽武士として、『江戸時代』を生きました。
『武士』になってからはもちろん、『フグ』は食べられないし、『明治』に入ってからも15年までその禁止令は長く続きます。
ここで食べれる『大義名分』が出来たため、解禁が為されるようになり、「伊藤博文」もさぞ嬉しかったんでしょうね。
そんな『フグ料理』を提供した『春帆楼』。
(上記は『春帆楼と日清講和記念館』公式ホームページより引用。)
『日本』で『フグ料理公許第一号店』に認定されます。
その後、各都道府県でも解禁されるようになり、『春帆楼』にその調理法を学びにたくさんの料理人が教わりにきました。
現在でも、都道府県によって取扱資格はバラバラで、地域によっては講習会を受講すれば資格が貰えたり、試験に合格しなければ資格が貰えなかったりしています。
それだけ処理や資格が大変だからこそ、『フグ』は高級魚なんですね。
さて、『フグ』の鍋が何故『てっちり鍋』と言うのかと言うと、そもそも『フグ』が『鉄砲』とも呼ばれていることによります。
その由来は「当たったら死ぬから」。
そして鍋で煮た時、その身がチリチリと縮む様子を見て、「鉄砲+チリチリ」の鍋から『てっちり鍋』となったんです。
『日本人』の言葉のセンスが溢れ出しているネーミングですよね。
『立冬』も過ぎて本格的に寒くなってきた今冬のシーズン、たまには贅沢なものを食べて英気を養ってみてはいかがですか。