前回、『寒川神社』が全国で唯一の「八方除(はっぽうよけ)」の神社であると言うことと、全国で唯一『春分の日』・『秋分の日』・『夏至』・『冬至』の日に太陽が通る道があります。
それが
『レイライン』
この道は『ご来光の道』とも言われており、一直線になっているんです。
そして、この神社の御祭神は『寒川比古命(さむかわひこのみこと)』と『寒川比女命(さむかわひめのみこと)』。
この2柱を合わせて『寒川大明神(さむかわだいみょうじん)』と総称されています。
また、『寒川大明神』は近くに川が近いこと、弥生時代までは相模湾に面していたことなどから、百済系の渡来人(出雲国)出身の『国津神』の系列だと思われます。
さて、今回はこの『寒川神社』を紹介していきますが、まず一の鳥居・ニの鳥居・を越えて、三の鳥居に進むと、「神池」がありそれに掛けられている「神池橋」を通ります。
ここから三の鳥居に正面にすると、左側に晴れている時は『富士山』が見えますので、是非ご覧ください。
そして、三の鳥居の前は撮影スポットとしてもオススメです。
また、ちょっと面白かったのが境内での禁止事を書いてある「制札」。その中に、
一、車馬ヲ乗リ入ルコト
と記してあったのです。
この時代に中々、馬で入ってくる人っていませんよね。
しかも、神社の「制札」にはちょいちょい書いてあるんですよね。
ただ、2019年に即位した際に『天皇・皇后両陛下』が『伊勢神宮』に『大嘗祭』の終えたことを外宮にお祀りしているトヨウケヒメビや、皇祖神である内宮のアマテラスに報告をする『親謁の儀』の際には、『天皇陛下』は馬車で御参拝なされました。
このような事例もあるので、禁止しているんですかねぇ。
さて、三の鳥居⛩で、「お邪魔致します。」と一礼をしたあとすぐ左側に出てきたのが、『愛子内親王様』が御生誕なされたときの記念樹がありました。
その少し先の逆側には「安政の大地震」で倒壊してしまった石造りの鳥居が残されていました。
こんなに大きな鳥居をも倒壊してしまう大地震のさまがいかに恐ろしいものだったのが、分かりますね。
そして、そのまま参道を進んで行くとひらけたところになり、左側に手水舎があります。
今回はコロナウィルス対策として、普段はどこの神社にもある柄杓がなく、そのかわりに細い竹を使い、水が流れるようにしていたので、それで手や口を清めてから本殿へと向かいました。
それを見た時に、何かこんな状況のなかでも風情があり、これが日本人の感覚なんだなぁとあらためて感じる事が出来た気がします。
そして、いざ本殿へと向かう前に神門を通るのですが、ここの狛犬のデカさにビックリ‼️
なかなかここまで大きいのは見たことが無いレベルでした。
この狛犬は近くによってみるとさらに大きさを感じ、むしろ威圧感すらも感じてしまうくらいでしたが、神門をくぐる前に一礼をし、いざ中に入ってみると広くて自分の感覚的にすごい良い雰囲気。
これも自分の感覚ですが何かこの神社に招待されたのではないかと思ってしまう程、雰囲気が良かったです。
以前にも一度訪れたことがありましたが、その時はそうでも無かったですし、他にも色々と神社仏閣をまわっていますが、なかなかこの感覚になる事が無い、なんとも言えない雰囲気なんですね。
直感的に良い❗️
たまたま、この日のこの時間に波長があっていたのか、ちょっと説明がむずかしいんですがね。
言うなれば、普通、神社仏閣に参拝するとその広さや装飾の絢爛さを見て「すごいなぁ」と言う事はありませんか?
この時はそうではなく、何か家族や友達などで花見をしている時の感覚と同じような、楽しいと言う感覚だったんです。
そして、本殿でしっかりと参拝をし、ふと右手側を見てみると、まさかの無料で「『神嶽山』の浄め土」(この神嶽山はもともとは「禁足地」になっており、寒川神社とも深い関係のある「難波の小池」を中心に、本殿の裏にある山です。)
と、「難波の小池」から引いてきたと言われる霊水を頂くことが出来ました。
しかもこの無料配布も最後の1つでした。
たまたま見つけたのもそれを手にしたのも、何かこの日は縁があったのではないかと感じてしまう出来事だったと思わざるを得ない気がします。
さて、少し長くなってしまったので次回もう少しだけ『寒川神社』についてお伝えしようと思いますので、是非ご覧下さい。