2022年8月22日、高校野球界で歴史的快挙がもたらせました。
それは高校野球界、全ての学校の夢である通称『甲子園』での初の『白河の関越え』を達成したのです。
『白河の関』と言うのは、『福島県白河市』にある古代の『関所』のこと。
(上記は『ニッポン旅マガジン』より引用。)
『奈良時代』から『平安時代』末期まで機能していたと考えられている、『関東地方』と『東北地方』のちょうど境にあった『関所』になります。
まさに、『東北地方』への『玄関口』となっていた要の『関所』なんですね。
そして、この『関所』は廃止された後も『東北地方』への『玄関口』であるという観点から歴史的に非常に有名で、多くの文化人、武将などがこの地に訪れ、『寄進』したり『和歌』を詠むなど、『憧れの地』でした。
『平安時代』後期には『関所』としての機能を失った『白河の関』ですが、その場所は長年確定しておらず、『松平定信』がさまざまな文献を読み解いて、ようやく発見するという、なんとも魅力的な地。
その『白河の関』と言うのが現在の『白河神社』のあった場所と断定したのです。
『松平定信』とは『寛政の改革』を行った、8代将軍『徳川吉宗』の孫で、『白河藩主』であった人物。
そんな歴史に名を残した人物が、自ら探し当てたこの地が如何に重要な『史跡』であると言うことが分かります。
さて、そんな『白河の関』ですが当時から、『下野国(現在の『栃木県』)』と『陸奥国(現在の『福島県』)』の国境に位置しており、現在でも『関東地方』と『東北地方』の境になっています。
(上記は『東京新聞』より引用。)
だから今でも、『白河以北』と言うと『東北地方』・『北海道』のことをまとめた時に指す用語になっているんですよ。
さて、そんな『白河の関』から北では100年以上に渡ってある都市伝説のような珍事がありました。
それは『東北地方』の高校は、春・夏の『甲子園』で優勝出来ないと言うこと。
優勝旗を持って、『白河の関』を越えられなかったのです。
ここから、『白河の関越え』と言うことばが生まれたんですね。
そんな状況を見兼ねて、『白河神社』の宮司さんは1997年から、春・夏の『甲子園』出場の東北勢の高校にある物を贈っていました。
それが『通行手形』。
(上記は『読売新聞オンライン』より引用。)
なんともユニークなこの『通行手形』。
そこには「選手たちの実力が十二分に発揮できるように。」と優勝祈願を込めて贈っています。
その年月25年、四半世紀も贈り願い続けたのです。
そして、2022年の夏の『甲子園』。
その悲願をようやく達成することが出来、世間を感動へと導いてくれたのです。
ここで、ひとつ良い話があって今回、悲願の東北勢、初優勝を成し遂げた『仙台育英』。
準決勝で戦った『福島県』の『聖光学院』の思いを乗せようと、『仙台育英吹奏楽部』が、『聖光学院』の応援で流れていた『福島県』ゆかりの音楽バンド『GReeeeN』の楽曲、「キセキ」を演奏したのです。
11年前に起こった『東日本大震災』。
この時、彼らは小学校低学年。
そんな彼らがお互いに尊重し合い、負け続けていた無念と共に、せめて楽曲だけでも持って行くという強い絆。
その思いを背負っての初優勝。
なんとも誇らしい姿ですね。
まだまだ『日本人』も捨てたもんじゃないですな!
と、このように念願の優勝旗を『白河の関越え』をして、『東北地方』に持って帰って来た『仙台育英』。
本当におめでとうございます㊗️
この出来事は、必ずみなさんの歴史にも刻まれたことになるでしょう!