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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

どじょう

先日、7月28日は『土用の丑の日』として、スーパーやコンビニなどで、これでもかというほどの「うなぎ」が販売されてました。

 

 

 

 

 

 

かく言う私も、「うなぎ」が大好きで「土用の丑の日』以外の日でも、度々購入しては、その美味さを堪能しています。

 

 

 

 

 

 

 

「うなぎ」には夏バテ防止や疲労回復、また美容などに効果があると言われている、まさにこの時期に最適な食材のひとつです。

 

 

 

 

 

しかし、それと同じくらい栄養価をもつ食材をご存知ですか?

 

 

 

 

 

 

その食材が何を隠そう、「どじょう」なのです。

 

 

 

 

 

昔から「うなぎ1匹、どじょう1匹」と言うことばがあるくらい、栄養価のある食材になります。

 

 

 

 

 

「どじょう」の大きさは約10cm程度、「うなぎ」は大きいもので1mを越えるものも少なくないので、この大きさを比較してみても、どれだけ優れたものかが分かると思います。

 

 

 

 

 

 

さらに「どじょう」にはカルシウムが「うなぎ」の9倍も含まれており、魚類の中ではトップクラスに君臨するレベルになっています。

 

 

 

 

 

また、「うなぎ」よりも脂質が少ない分、胃がもたれる心配も少なくヘルシーにさっぱりとしているので、夏バテにはもってこいですよね。

 

 

 

 

 

 

さて、皆さんは「どじょう」のイメージをどうお持ちでしょうか?

 

 

 

 

 

江戸の『郷土料理』と言うイメージがないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

実際、『下町』と言われている場所には名店が多く、有名な『寺院』の門前通りには数々のお店が立ち並んでいる光景が見受けられます。

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(上記は『駒形 どぜう』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

 

特に、浅草にある『浅草寺』や柴又『帝釈天』の参道には、多くの老舗の店が立ち並んでいる光景を何度も見かけ、情緒溢れるものとなっています。

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(上記は『柴又 帝釈天 経栄山題経寺』より引用。」

 

 

 

 

 

 

 

 

では、なぜ江戸は下町、江戸庶民たちにこんなにも愛されていたか。

 

 

 

 

 

 

それは下町の江戸の立地条件にあったんです。

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(上記は『国土交通省 国土地理院』ホームページより引用。)

 

 

 

 

 

上記の地図は、『明治時代』の低湿地データとなっていますが、黄色い部分は水田となっています。

 

 

 

 

 

 

『明治時代』に入り、調査・記録をした時ですら、荒川区台東区墨田区錦糸町よりも外側が黄色く塗られている事が分かりますね。

 

 

 

 

 

 

 

近代化が進む『明治時代』ですら、このように低湿地が広がっているのを見ると、『江戸時代』ではよりも多く低湿地が広がり、「水田」が多かったと言うのが、安易に想像できますね。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この地図の白い部分がおおよそ『江戸市中』と一致しているのは、やはり人が多く集まる場所には「水田」が適していないと言うのも分かります。

 

 

 

 

 

 

「どじょう」は淡水魚で、その生息地が「水田」や湿地ということと、江戸の町の立地条件、そして「うなぎ」よりも安価であることから江戸庶民たちに親しまれていったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

そして、もうひとつの理由としては、江戸庶民たちの生活環境にあります。

 

 

 

 

 

 

というのも、『江戸幕府』開府以来、幕府直属の家来たちは将軍を守護するために、江戸に集まってきます。

 

 

 

 

 

また、3代将軍「徳川家光」の時代から『参勤交代』も始まり、全国の大名たちやその家来も江戸に滞在するようになります。

 

 

 

 

 

 

そうすると、住む屋敷が必要ですよね。

 

 

 

 

 

それを建設するために「大工」などの職人たちが集まります。

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そこには、もちろん武家屋敷や庶民の住む長屋のようなものだけでなく、『神社仏閣』を建てる「宮大工」、江戸が経済の中心になったことにより、物資を運搬するために必要な舟を作る「舟大工」など、職人の種類はなんと140にものぼっていました。

 

 

 

 

 

余談ですが、中でも花形と言われていたのは「大工」・「左官」・「鳶(とび)」となっており、給料も他の職人と比べて高かったようです。

 

 

 

 

 

そんな職人たちは、普段から外で汗水流して働いているので、どうしても塩分が多い味の濃いものを欲してきます。

 

 

 

 

 

特に夏の季節は、『日本』全体の気候を見ても分かるように、高温高湿の気候です。

 

 

 

 

 

余計に塩分の濃いものを欲しますよね。

 

 

 

 

 

さらに、高価で脂質の多い「うなぎ」よりも、安価で脂質の少なくさっぱりとした味の「どじょう」に、江戸近郊で発展していった塩っ辛い「醤油」をベースにした「どじょう料理」の方が、江戸庶民たちには食べられるようになっていきました。

 

 

 

 

 

 

 

クーラーの無い夏の暑さには、サッパリとしたものの方が良いですもんね。

 

 

 

 

 

日中に外で働く職人たちには。

 

 

 

 

 

 

また、精のつく食材と言われていた「ごぼう」と「醤油」ベースの割り下で煮て、完全栄養食と言われる「たまご」でとじた「どじょう料理」である「柳川鍋」も大人気になっていきました。

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(上記は『駒形 どぜう』「柳川鍋」より引用。)

 

 

 

 

 

 

このように「うなぎ」と同様に、栄養価が高くさらに安価であった「どじょう」が夏バテ防止に役立っていき、江戸の『郷土料理』となっていったのが分かってきましたね。

 

 

 

 

 

 

やはり、歴史にはその土地の地理が影響しているものなのだと。

 

 

 

 

 

 

ちなみなぜ、店の看板に「どじょう」では無く「どぜう」と書いてある理由は、もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と表記していました。

 

 

 

 

 

しかし、江戸の大火で店が焼失。

 

 

 

 

4文字だと縁起が悪いということで3文字である「どぜう」と表記を変更したそうです。

 

 

 

 

 

 

 

また、「どじょう料理」ではある都市伝説的な料理があります。

 

 

 

 

 

その料理の名前とは、「地獄鍋」。

 

 

 

 

 

これは生きた「どじょう」を水の入った鍋に入れ、火にかけて煮たたせて、そこに冷たい「豆腐」を投入すると熱さから逃れる為に、「豆腐」の中に「どじょう」がカラダを入れ、そのまま一緒に煮たってしまうと言うものです。

 

 

 

 

 

イメージ的には分かりますが、実際には「豆腐」の中に入る前に「どじょう」が煮たってしまうために、都市伝説的な料理や幻の料理などと呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

また、動物の肉を食べることを禁止されていた僧侶が、「豆腐」の中に栄養価の高い「どじょう」が隠れ、見た目ではただの「湯豆腐」としか見えないために好んで食べたという話が文献や落語があることから、よほど「どじょう」を食べたかったという事が分かります。

 

 

 

 

 

 

そして、そこからこのような伝説が生まれたんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

と、このように古くから「うなぎ」と同様に好んで食べられてきた「どじょう」。

 

 

 

 

 

中々、スーパーで見かけることは少なくなっていますが、機会あったら是非一度、ご賞味ください。