『丑年』も半年があっと言う前に過ぎ、『平和の祭典』の開会式も順調に終わり、本格的にたくさんの競技が始まりました。
そんな『丑年』の今年ですが、『日本』で数ある中の『寺院』で「無宗派」と珍しく、また『日本最古』と伝わる『一光三尊阿弥陀如来像』が安置されている『寺院』があります。
その『寺院』の名は、
『善光寺』
『善光寺』の御本尊は、先述にもあるように『一光三尊阿弥陀如来』という、ひとつの光背の中央を『阿弥陀如来』・その両脇に向かって右側に『観世音菩薩』・左側に『勢至菩薩(せいしぼさつ)』と並んでいる、非常に珍しいものとなっています。
(上記は『善光寺』公式パンフレットから引用。)
この『一光三尊阿弥陀如来』は、絶対秘仏として、一般公開はされていませんが、その身代わりとして、『前立本尊』が7年に1度、『国宝』である「本堂」に迎えられます。
これが俗に言う、『善光寺 前立本尊 御開帳』になります。
本来であれば、『丑年』である今年に公開を予定していましたが、コロナ禍の影響で来年の令和4年に延期されました。
コロナ禍が落ち着いたという期待して、来年是非、ゆっくりと拝観したいですね。
さて、ここ『善光寺』周辺には「牛に引かれて善光寺」という言い伝えがあります。
これは、老婆が手拭いを牛に引っかかってしまい、それを取ろうと追いかけているうちに、『善光寺』に着いた。
そんなところから、「思いかけずに連れて行かれて、良い事が起きた。」ということわざです。
これに伴い、『丑年』の今年7月1日からの数量限定で御朱印も配布していました。
また、『山門』にある『善光寺』という文字には鳩が5羽と牛の顔が描かれており、見つけると良い事があると言われいます。
どうですか?皆さんは見つけることが出来たでしょうか?
話は少しずれますが、『善光寺』は元はこの地では無かったと言われています。
元々は、『戸隠山』の山麓付近にあり、幾多の川の洪水から、秘仏を守るために現在の場所に移ったとなっているんです。
と、ここである一族がこの川の氾濫を整備したとされているんですが、その一族とは…。
『百済系』の渡来人。
また、『戸隠山』は、『古事記』や『日本書紀』で『天岩戸(あまのいわと)』の際に、『天照大御神』が岩から出てきて、その岩を投げ飛ばして落ちた場所がこの『戸隠山』になったという伝説があります。
そして、『天照大御神』が岩に隠れてしまったきっかけを作ったのが弟であり、『国津神』の祖、そして『出雲大社』の主祭神である『大国主大神(オオクニヌシ)』の祖である、『素戔嗚尊(スサノオ)』。
『素戔嗚尊』はその後、改心して『ヤマタノオロチ 』を倒し、胴体から出てきた『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』を『天照大御神』に献上し、のちの『出雲国』に国を作ったとして有名ですね。
神話の中では。
この話は神話ですが、実際には何本も支流として流れて、幾度も氾濫をしていた川を整備していたんです。
『百済系』の渡来人が。
そして、この川からは良質な砂鉄が出ていました。
だからこそ、川を整備し良質な砂鉄から、剣を作り、献上したのではないでしょうか。
違う部族である『天照大御神』系の一族に。
(上記は『熱田神宮』から引用。)
ここも『木曽三川』という大河が流れているのは、偶然なのでしょうか。
そして、『ヤマタノオロチ 』のモデルとなった川の名前は『斐伊川(ひいかわ)』。
埼玉県や東京都の東側流れる『荒川』周辺に にたくさん存在している、『氷川神社(ひかわ)』は、この『斐伊川』から来ているんです。
中でも、その中心的なのは埼玉県さいたま市にある『武蔵一宮氷川神社』。
(上記は『武蔵一宮氷川神社』より引用。)
この『荒川』もやはり『百済系』の人々によって整備されていたんですね。
『素戔嗚尊』系で言えば、もう一つ有名な『神社』がありますが、そこは長野県諏訪市にある、『諏訪大社』。
(上記は『諏訪大社 上社本宮』より引用。)
ここもやはり、『諏訪湖』があるんです。
(上記は『出雲大社』より引用。)
ここにも『穴道湖』と言う湖があります。
やはり、川や湖など「水」にまつわる場所に『国津神』(百済系)の人々が関わっていたと言うのが、分かりますね。
また、『国津神』の祖である『素戔嗚尊』は『牛頭天王』とも同一神となっており、ここでも『牛』と言う文字が使われています。
さらに字こそ違えど、『天王(てんのう)』と言うことばが使われている『仏教』の神様を同一神としている所からも、いかに『天津神(天照大御神)』系の後裔に、大事に扱われてきたと言うこともわかります。
『善光寺』の文字にも「牛」の顔が隠されているところからもやはり、『素戔嗚尊』、そして『百済系』の人々が古来から『日本』と深く崇められていると言うことが分かりますね。
さて、ここまで紹介した『国津神(百済系)』の『神社仏閣』がある場所に、川や湖など「水」以外にもある共通点を発見しました。
その共通点とは、『うなぎ』が名産ということです。
『熱田神宮』周辺の「ひつまぶし」なんて、もはや誰もが知る名産品になっていますよね。
(上記は『あつた蓮菜軒 本店』 「ひつまぶし」より引用。)
そして、「うなぎ」を食べて縁起を担ぐ日。
それが、『土用の丑の日』。
ここでも、『丑』という字が使われているのです。
これは、偶然なのでしょうか?
今年の『土用の丑の日』は、7月28日になります。
『素戔嗚尊』を祖とした『国津神』系の『神社仏閣』、そして「うなぎ」。
『日本人』が愛してやまないものなんです。
だからこそ、『日本人』の遺伝子の中にはこのようなものを大事にしようするものがあるんですね。
『和』というもので。
余談ですが、『丑』という字は他にも我々『日本人』には生活において、深く関わり合いがあります。
例えば、『風水』では最も重要な方角は『丑寅』の方角であり、北東になります。
そして、この方角は『鬼門』とよばれています。
だから、鬼は『丑』のような角をもち、『寅』のパンツを履いているんです。
また、今も昔も「草木も眠る丑三つ時」ということわざもあります。
大半の人が寝ているこの時間帯。
遊び歩いているのを気をつけろよ!と言う意味になっています。
そして、「牛」は明治時代前には農業に欠かせない動物として、大事にされてきました。
だからこそ、食べることも禁止されていたんですね。
「米」が最重要な物(給料)でしたから。
と、このように、やはり生活の中にもちゃんと関わっているんですね。
今年『丑年』もあと、5ヶ月とわずかです。
『日本』の伝統を守りながら、しっかりと生活していきたいですね。