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『世界最古の国』日本

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東国三社 その①

さて、前回お伝えした『東国三社』ですが、この三社は江戸時代には伊勢神宮の参拝後に、関東地方・東北地方の人々に『下三宮参り』と呼ばれ、大いに信仰を集めて行きました。

そしてこの三社の位置が面白い事に直角三角形の形になっているんですねぇ。

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(上図が汚くて申し訳ありませんが、頂点は『息栖神社(いきすじんじゃ)になっています。)

 

さて、話は戻していよいよ『鹿島神宮』について話して行きたいと思います。

 

先程も書いたように『下三宮参り』は回る順番は特に決まっていないのですが高い割合で『鹿島神宮』から回る方が多いみたいです。

その理由がこの神社の主祭神である『タケミカヅキ』が軍神であることから、さまざまな武将が戦勝祈願の為にこの地に立ち寄って戦さに向かった事から、まずはこの神社からと言う習慣がついたようです。

 

この鹿島と言う名称は鹿が神の使いである事から名付けられたそうで、タケミカヅキを祖とする「藤原氏(中臣氏)」の氏神として祀った『春日大社』にも白鹿でタケミカヅキが降りて来て祀ったとあります。その関係からか奈良公園の鹿は全国的にも有名で、人間の方が鹿に気を使いながらの生活をしていますよね。

そして生まれたことわざが『早起きは三文の得』と言うもので、これはもう10年前ほどになりますが、奈良に旅行に行った際に人力車に乗った時に教えて貰ったのですが、この意味は実は「鹿は神の使いであるから万が一、自分の家の前で死んでいたら罰せられてしまう為に、朝早くに起きて確認する」事からきたことわざだそうです。

サッカーの鹿島アントラーズのキャラクターのデザインもそう言った意味からあのようになったのでしょうね。

また、今では武道でも信仰のある神社で自分が実際に鹿島神宮に訪れた時にも小学生が稽古している様子が少し見えました。私も小学生から剣道を習っていたのですが、もはや練習内容が違うのを見てこの地域が強いわけを実感し、驚きを隠せなかった事を覚えています。

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また、千葉県にある『香取神宮』とは一対の存在であり、古くから深く関係していました。その背景には「ヤマト政権」の蝦夷(関東より北)への軍事的輸送基地としての機能をもっていたとあり、この2つの神宮がその拠点になっていました。そのような事から東北地方沿岸部には各地で「鹿島・香取神宮」が祀られており、鹿島神宮の社殿が北を向いているのも蝦夷を牽制する為に建てられた配置になっています。

 

そして「鹿島・香取神宮」でも一位・二位を争う有名な「要石(かなめいし)」は前者が凹型・後者が、凸型となっており、これはかつては地震を引き起こすのは大鯰のせいだと言う事で、両神宮の主祭神のタケミカヅキ・フツヌシノカミがこの要石を杭として大鯰の頭(鹿島側)と尾(香取側)を抑えつけ守っていると言う伝承があります。

 

また、国宝である『韴霊剣(フツノミマタノツルギ)』や、三韓征伐の際に神功皇后からタケミカヅキの守護を受け勝利した感謝の意で献上した腹帯の、『常陸帯(ヒタチオビ)』が神宝としてあります。常陸帯は現在でも本殿深くの箱に納められており見ることは出来ないが、この伝承により現在でも安産祈願の為に特に「戌の日」に妊婦に腹帯授けると言う風習に変わって行きました。

 

さらに「延喜式神名帳に記載されている『神宮』は伊勢神宮鹿島神宮香取神宮の3社だけでその事からも古くから強い信仰を集めていたことが分かります。

 

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と、このようにレイラインの東の端に置かれた鹿島神宮ですがやはり古くから重要な場所だと言うのが分かりました。

次回は少し話がズレますが『東国三社』の残り2社の事について少しだけお伝えして行こうと思います。