さて、今回は前回もお伝えしたレイライン(東から鹿島神宮→江戸城・現在の皇居→富士山→伊勢神宮→高千穂)が一直線に走っていて、風水上では、龍脈というとても良い気が流れている一番東にある『鹿島神宮』についてお伝えして行きたいと思います。
と、その前にこれも前回お伝えしたのですがこの上記に書いた場所は夏至の日の日の出と冬至の日の日の入がピタリと一致していて、さらに春分と秋分の日の日の出と日の入りが諏訪大社とピタリと一致するという話をしました。
しかし、もう一つ不思議なことに『中央構造線』上、さらに『フォッサマグナ』にこれら全て重なりあっているのです。
(上図の赤線が『中央構造線』、青線が『フォッサマグナ』です。)
この中央構造線とは世界第1級の断層で、この一部は活断層になっていて九州から関東まで縦断している大断層の事です。
またフォッサマグナとはかつて日本アジア大陸から離れまだ東と西の列島に分かれいた頃に北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界にある場所にあり、元々は海だった所がこの2つのプレートが重なりありその歪み(地震)によって隆起した場所の事です。
このように、今現在も地震大国と言われている我が国『日本』の構造を古代人はすでに知っていたかのように『聖地』と言われる場所や古くから『神社仏閣』を建て神に祈りを捧げていたというのが興味深いものを感じてしまいます。
そしてこの線上にあるのが例えば熊本県の幣立神社から高野山(弘法大師としても有名な空海が金剛峯寺を建てた山)、伊勢神宮、諏訪大社、千葉県の香取神宮、鹿島神宮と全て重要な場所にあるのです。
面白いですよね!
さて、話は戻り『鹿島神宮』ですがこの中でも一番東にある事から最初に日の出をする神社としても古くから強い信仰を集め来ました。
ここの主祭神は『建御雷之男神(タケミカヅキノオノカミ)』でこの神様は出雲の国譲りの際に大きく貢献した事により軍神と呼ばれており・また雷神・地震の神様でもあります。
出雲の国譲りをする為にアマテラスから下界に降り任命をされたのがこのタケミカヅキと『経津主神(フツヌシノカミ)』の2柱でした。
「フツヌシ」は先程の中央構造線上の神社として出てきた『香取神宮』の主祭神になっており、この『鹿島神宮』・『香取神宮』は大和朝廷時代の東国を開拓するための拠点になっていたと推測されています。
また、この2つの神社に『息栖神社』を加えた『東国三社』と呼ばれており、江戸時代には『伊勢神宮』を参拝した後に関東地方・東北地方の人々はこの3つの神社を巡礼するという習慣があり、それが「下三宮参り」と呼ばれ信仰を集めました。
とここで今回は区切りが良いので次回からは本格的に『鹿島神宮』についてお伝えしていきたいと思います。