前回、お伝えした『鹿島神宮』ですが『東国三社』に数えられており、その残りの2社を伝えたいと思います。
まずは『鹿島神宮』と一対として存在している『香取神宮』ですがここは本当に両社が似ているので、前回お伝えしたのがほとんどになってしまうのですが『鹿島神宮』の主祭神がタケミカヅキに対して、『香取神宮』の主祭神はフツヌシノカミになっています。
この2柱は「国譲り」の際にオオクニヌシとの交渉役にアマテラスによって選ばれ成功したその功績により「軍神・武神」として数多くの武将や民衆によってたくさんの信仰を集めて来ました。
その様子が平安時代末期の歌集で後白河法王が編成した「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中の歌に「関東の軍神は鹿島・香取・諏訪の宮」と読まれています。
また、タケミカヅキが『鹿島大明神』と呼ばれているのに対してフツヌシノカミは『香取大明神』と呼ばれ現在でも武道の世界では今でも武道の中に掛軸を掛けている場所も多く、NHK大河ドラマの『新撰組‼︎』でも香取大明神の掛軸が掛けられていました。
また、この両神宮は前回もお伝えした様にヤマト政権の蝦夷に対しての軍事的・貿易的役割を果たしており、その勢力は宮城県の一宮でもある『鹽竈神社(しおがまじんじゃ)』辺りまで影響力を占めており、朝廷から関西地区の神社以外に勅使(朝廷から派遣された使者)が派遣されている神社は、九州の大分県にある『宇佐神宮(うさじんぐう)』とこの両神宮のみでした。それも宇佐神宮は6年に一度に対して、両神宮は毎年派遣されていたと言う事からもいかに重要視されていた神社であるかが分かります。
毎年4月14日・15日には例祭・神幸祭が行われておりこの神社では最も重要なお祭で6年に一度(子年・午年)には勅使が派遣されて参向されます。そして12年に一度丑年に式年神幸祭が4月15日・16日に行われます。
そして文化財としては国宝である『海獣葡萄鏡』と言う銅鏡があり、正倉院にこれと瓜二つの銅鏡がある事から古くから朝廷との関係性が伺える事が出来る他に、鹿島神宮・香取神宮は常陸国・下総国のそれぞれの一宮になっており、この事から朝廷からも東の拠点として極めて重要視されていたことも分かります。
さて、ここまで『東国三社』2つをお伝えして来ましたが続いて最後の3社目の『息栖神社(いきすじんじゃ)』をお伝えしたいと思います。
まずこの神社の主祭神は『久那戸神(クナドノカミ)』で古くから交通安全や災いを防ぐ神として崇拝されており、鹿島大明神・香取大明神も東国の地に案内した神様であります。
また、神仏習合ではサルタヒコと同一神でもある事からやはり道案内(道しるべ)の神様として信仰を高めていったのだと思われます。
この神社は鹿島神宮からも近い事もあり摂社として扱われて来ましたが、朝廷からは元寇の際に国家安全の祈願の為に勅使を送るなどとしていたのでやはり重要な神社として認識されていました。
そして、一の鳥居には「忍潮井(おしおい)」と呼ばれている2つの井戸があり、それぞれ「男瓶・女瓶」となりこの井戸に顔を覗き込んで底が見えると幸せが訪れると言う言い伝えがあります。
またこの地は海水と淡水が混じり合う場所にも関わらず真水が湧き出てくる事から「押潮井(おしおい)」と呼ばれてる不思議な現象が起こり、『日本三霊水』のひとつにもなっています。
さらにこの神社の御神体そのものが井戸であるのも、古代から真水を重宝しそれを信仰の対象にしていた事分かり、さらに鹿島神宮の摂社で深い関係があるように軍事的・交通的拠点として、重要視されていた事が分かります。
と、この様に『東国三社』をお伝えして来ましたが、古代ヤマト政権に深く関係していた事が分かりました。そして、軍神を祀っている鹿島神宮をレイラインの一番東にとして置いたと言うのも守護してもらい、平和な時代がいつまでも続く様にと言う願いが垣間見れる気がします。
さて、次回はちょっと脱線しまして、宮城県の一宮をお伝えしたいと思いますのでよろしくお願いします。