11月も下旬に入り、寒さも増すこの季節。
温かい汁物がが身体に染みる季節となりました。
そんな中でも、特に「大阪府」を中心とした『関西圏』ではメジャーな代表的な食べ物。
『肉吸い』。
【出典:『千とせ』公式ホームページより。
https://www.chitose-nikusui.com/chitose/
2023年11月22日利用。】
『大阪名物』と言ったら、「お好み焼き」・「たこ焼き」・「串カツ」が『御三家』。
言わずと知れた全国区の『大阪名物』です。
でも、この『肉吸い』もまた『大阪発祥』の食べ物で今では全国的にも知られている名物。
いや、むしろ『大阪名物』と言ったら『肉吸い』と名が上がるほど、メジャーな食べ物となりました。
では一体、『肉吸い』とは何なのかと言うと、「肉うどん」から「うどん」を引いた食べ物。
その名前の由来は、肉の入ったお吸い物だから、『肉吸い』と呼ばれるようになったと言うのが1つ目の説。
2つ目の説は、『関東圏』の蕎麦屋では「天ぷら蕎麦」の蕎麦抜きを以前から「天吸い」と呼ばれていたと言う事。
【出典:『おとなの週末』公式サイトより。
https://www.google.com/amp/s/otonano-shumatsu.com/articles/230792/amp
2023年11月22日利用。】
「天吸い」は『江戸』の頃から庶民に親しまれてきたもので、今では「裏メニュー」として提供する店もある『粋で通な食べ物』。
蕎麦抜きの「天吸い」をつまみにお酒を嗜むのを目的で、蕎麦屋に入る人も多くいます。
醤油と鰹節を使った濃い色のつゆにたっぷりと使った「天麩羅」をつまみに呑むお酒は、『江戸情緒』を感じさせる食べ方で、たまらないですよね!
そんなメインの麺を抜いた食べ方をしたから『肉吸い』もそう言われるようになっていったのです。
では、一体「肉うどん」を『肉吸い』となった歴史はいつからなのでしょう。
実は、この『肉吸い』の歴史はしっかりとした日付けまでは分かりませんが、誰が初めて注文したのかは分かっています。
その『肉吸い』を最初に注文した人物とは。
「花紀京」さん。
彼は『吉本新喜劇』の二大巨星と呼ばれて、新喜劇の『黄金時代』を築き上げた人物。
そんな「花紀京」さんが、ある時に二日酔いで『吉本新喜劇』の劇場のある『なんばグランド花月』から徒歩1分のうどん屋で、「肉うどん、肉抜きで!」と注文したことが始まりのようです。
その事がマスコミに報じられたり、後輩芸人たちがイジった事がきっかけで全国に広まり、現在に至ります。
また、「明石家さんま」さんや「ダウンタウン」など多くの有名芸人が劇場中にに良く通っていた事から、芸人の間では「ここに通えば売れる!」などの都市伝説が生まれました。
ここでちょっとだけ『吉本興業』の歴史を紐解きますと、「花紀京」さんの弟子が「チャリー浜」さんや「間寛平」さんなど。
「間寛平」さんは、今は『吉本新喜劇』のGM(ゼネラルマネジャー)。
そして、父であった「横山エンタツ」さんの弟子は元「大阪府知事」でもあった「横山ノック」さんなど。
その「横山ノック」さんの弟子が「横山やすし」さんなどで、「横山やすし」さんは後に、「西川きよし」さんとコンビを結成し、『日本一』の漫才コンビとなります。
ちなみに、飛行機好きな「横山やすし」さんが、現在の「ダウンタウン」になる前のコンビ名を「ライト兄弟」と名づけ、それが嫌過ぎて改名したというエピソードがあります。
また、「間寛平」さんのその人柄に惹かれて、どんなに忙しくても「兄さんのためならっ!」と世界一周マラソンのスターターを「明石家さんま」さんが行うなどのエピソードもあります。
現在の「大阪」=「お笑い」と言うイメージを作り上げてきた彼ら「吉本芸人」。
その元を正せば、「花紀京」さんに繋がり、その人こそが『肉吸い』を考案(意図的にでは無いけれど)したと言う事。
まさに、正真正銘の『大阪名物』だったんです。
そんな『肉吸い』は鰹節でダシをたっぷりととった『関西風』の味付けが一般的。
やっぱり、飲み終わった後に食べる『肉吸い』は身も心もホッとしますよね。