去年の『大河ドラマ』が新型コロナウイルス感染拡大予防のために、第一回目の『緊急事態宣言』の影響で、延長され異例の年をまたいでの放送となっています。
さて、去年から今年初めにかけての『大河ドラマ』の題名は『麒麟がくる』ですが、その主人公は「明智光秀」になります。
「明智光秀」とは、『本能寺の変』で「織田信長」を滅ぼし、その後「羽柴(豊臣)秀吉」によって滅ぼされるまで野間『天下』をとった、通称『三日天下』と呼ばれている武将であまり良いイメージが無い方のほうが多いのでは無いでしょうか?
でも、実は「明智光秀」と言う武将、かなりの戦略家であり、『天皇』や公家・そして『公方様(足利将軍)』など権力のある人物たちと関わりがある武将でもあることから、人脈にも秀でた武将でありました。
さて、ここからは少しぶっ飛んだ、私なりの解釈でこの戦国時代を駆け抜けたいわゆる『三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)』とその間の「明智光秀」についてお伝えしたいと思います。
当時は100を越える、さまざまな『戦国大名』がおり、『◯◯軍』などと言われてましたが、これはいまで言う「企業」みたいなものです。
そんな中で『織田軍』と言うのは、戦国時代後半の当時はもはや大企業になっています。
また、この時すでに『右大臣』に任命されていた「織田信長」。
『右大臣』とは、幕末まで続いた『律令制』での行政・立法・司法(三権)を担当する最高機関で、その長官が『太政大臣』、次に『左大臣』、その次が『右大臣』の順となっている役職になります。
その『右大臣』という役職から長官である『太政大臣』になるか、もしくは成人した『天皇』の補佐役で、実質的に公家の最高位である『関白』か、それとも武家の棟梁である『征夷大将軍』になるかを選べ!と『天皇』から言われた「織田信長」。
ようは『三権の長』・公家の最高位・全国のあらゆる企業を参加にした大大企業の社長のどれかを選べ!と言われたのと一緒です。
これはさすがに相当なプレッシャーですよね。
だから、もう辞めたいみたいな事を考え始めてました。
それを「織田軍」のナンバー2(企業でいう副社長」の「明智光秀」とナンバー3(企業でいう取締役専務)の「豊臣秀吉」に相談。
「プレッシャーかかるし、もう辞めて余生を妻の「濃姫」と一緒にどこか静かな場所で暮らしたいなぁ。」などと。
そこで思いついたのが、『本能寺の変』。
実は、この3人がグルになって「信長」が死んだことするという希望を聞いてあげたのです。
そして、その結構役に選ばれたのがナンバー2である「明智光秀」。
「光秀」は先述でも言った通り、『天皇家』・公家・そして公方様(室町幕府の棟梁)にも繋がっているし、次の社長になるには最適な人材だったんですね。
ただ、さすがに形だけとは言え、裏切りという行為は他の部下たちには納得出来ません。
そこでナンバー3である「豊臣秀吉」が「明智光秀」を仇を討つという形にしました。
そのかわり、「明智光秀」のその後の生活や家族の事は完全に保障するということで。
これは「秀吉」のある意味、成り上がる為の策略ですね。
さすがは農民出身の「雑草魂」といったところでしょうか。
そして『本能寺の変』後の『山崎の戦い』の、のちに「光秀」の身を隠すのに選ばれたのが『最澄』が創建した『天台宗 総本山 建暦寺』。
というのも「信長」は生前、『建暦寺焼き討ち』を結構しており、その作戦担当だったのが「光秀」。
いくら当時としても、いきなり焼き払うなんてことは無く、何度も何度もの交渉の末のこの決断なので、僧の幹部と「光秀」とは、言わば顔見知りになります。
また、他の武将が降りてくる者を女・子供も含めて皆殺しにしている中、「光秀」だけは見逃していたなんて説も伝わっています。
そうした縁から『建暦寺』側からも受け入れてもらえたんですね。
さて、こうしてナンバー3でありながら、社長にまで上り詰めた『豊臣秀吉』。
その後も破竹の勢いで全国を平定し、いよいよ『天下人』になりさらには『関白』という称号も手に入れるわけですが、この時に傘下となっており、強い企業(軍)だったのが、「徳川軍」です。
「家康」は子供のころ、一時期ではありますが「信長」のもとで人質として暮らしており、その後「今川義元」のもとに人質になってその「今川義元」が『桶狭間の戦い』で「信長」に敗れます。
この『桶狭間の戦い』で「今川軍」がバタバタしている間に、どさくさに紛れて「岡崎城(家康先祖代々の元々の本拠地)」を奪還。
こうした背景からこの「信長」の作戦に加わっていたのです。
さて、『関白』となり「朝鮮出兵」などで世界を手にしようとした「秀吉」。
この時、すでにかなりの高齢(「家康」も)で「私が死んだら、家康殿に今の地位を譲りたい。むしろ、お願いしたい。」と頼む「秀吉」。
それを承諾するナンバー2の「家康」。
「家康」にもようやく、陽の芽が当たってきましたね。
さぞ、ホッとしたでしょう。
なぜなら、「秀吉」もそろそろ寿命が尽きそうですから。
だから、自分は「秀吉」が死ぬまで絶対に生き抜くと。
しかし、その後「秀吉」に実子であるのちの「豊臣秀頼」が誕生。
そして「秀吉」は「家康」にこんな事を言います。
「どうか、私が死んだのちも「秀頼」の力になり、『豊臣政権』を支えて欲しい!」
これを聞いた「家康」はさすがに「えぇぇ〜‼︎」と思った事でしょう。
苦笑いするしかないですよね。
そして、これを一緒に聞いていたのが『五大老』の重鎮、「前田利家」。
「利家」はもともと「信長」に可愛がられていた古参の「織田軍」です。
しかも、男色が当たり前だったこの時代。
「信長」の小姓として「信長」と体の関係があったという説もあるくらいです。
そして、『本能寺の変』の事実を知っているのは「秀吉」と「家康」だけ。
これは決して口には出せないことだし、きっと「秀吉」からの圧力もあったのでしょう。
そんなこんなで、「秀頼」が元服(成人)するまで『五大老』の筆頭として、補佐する役目を果たしながら、遠く江戸の開拓に力を注いでいました。
さて、この後いったいどのように、歴史は動いていくのでしょう。
それは次回のお楽しみに!