現在、東京都台東区にある『上野公園』内に『上野の鐘』が現存しています。
この『時の鐘』は『石町 時の鐘』のつぎに建てられた『時の鐘』になります。
そもそも、上野公園は『寛永寺』の跡地で徳川家の菩提寺であり、江戸城から見て北東になる「鬼門」の位置にあります。
そう言った場所ですからかなりこの公園内もバカデカイんですね。
さらに、この『寛永寺』は徳川将軍15人中、6人が現在も眠っており、徳川時代には「裏鬼門」である『増上寺』とともに、最大の権威を振るっていた場所にありました。
そんな場所の『時の鐘』ですから余計、江戸市民たちにも親しまれていたと言うのが分かります。
さらに、約30年後には江戸市中の庶民たちにも花見が許されるようになったので、さらに活気で溢れてる場所になり、江戸最大の花見見物の場所となりました。
そうなると余計、『時の鐘』が大事な存在になってきますね!
江戸時代に『奥のほそ道』としても有名な俳人である『松尾芭蕉』で
『花の雲 鐘は上野か 浅草か』
と言う俳句があります。
芭蕉が聞いている鐘の音は、上野の『時の鐘』なのか浅草の『時の鐘』なのかと言う俳句になります。
距離も近いだけに、この時代の情景が目に浮かぶような気がしてきますね。
現在は上野公園内の「精養軒」と言う西洋料理店でフランス料理の草分け的存在のお店がすぐ近くにあり、このお店を目指して行くと迷わずに行けると思います。
たまにはこのようなお店で贅沢をしてみたい気もしますが、個人的には江戸時代から続いている蕎麦屋にも行ってみたい気がします。
一説には江戸市中に6000以上あったお店のうち、その半分以上が蕎麦屋だったと言われており、その中で現在も続いているお店もあると言うのだから、是非はじめはこっちの方をいただいてみたいですね。
話は戻りましてこの、『上野の時の鐘』ですが、この『時の鐘』が鋳造されたのは『寛永寺』のほど近くにある『護国山 尊重院 天王寺』になります。
面白いのがこの寺院は江戸幕府公認の「富くじ」が興行されていて、『江戸の三富』として、『湯島天神』・『目黒不動尊』とともに、たいへん賑わっていました。
「富くじ」いうのは現在でいう「宝くじ」のことで、『カネをつくる』場所が
(鐘を造る)
(金の作る)
という洒落好きな江戸っ子たちにも親しまれて、たくさんの人々がその縁にあやかり、訪れたのではないでしょうか。
現在でも、毎日午前6時・正午・午後6時に『時の鐘』がつかれ、さらに毎年大晦日にもつかれているので、またコロナ渦が落ち着いたら聞いてみたいと思います。
そのときは是非、江戸前そばでも食べながら。