前回、東京都の西部にある『『関東三大不動』にも含まれる正式名称を『真言宗智山派 別格本山 高幡山 金剛寺』と言う寺院についてお伝えしました。
そして、題名にもある『幻の御所』の結界の点になっている場所、これで4つ全てが終わった訳ですが、いかがだったでしょうか?
東京にここまで、歴史的にも古く重要な場所があったことをご存知だったでしょうか?
そして去年、天皇・皇后両陛下が無事に『大嘗祭(だいじょうさい)』を終えた事を皇祖神である『天照大御神』をお祀りしている『伊勢神宮』や、初代天皇である『神武天皇陵』などに報告する儀である『親謁の儀(しんえつのぎ)』を臨まれましたが、その一番最後に臨まれた場所が、上記の図の中央付近にある『武蔵野御陵』です。
この場所は大正天皇や昭和天皇の御陵地でありますが、元々はここに江戸時代末期に新たな御所を造営する計画があったと言う場所で、さらに地形が京都に似ている事からも、この地が選ばれたと言うのは必然だと思ってしまいます。
御所は造営されませんでしたが、その後『大正天皇・昭和天皇』の御陵を置いたことによって、新たな結界を作り我が国『日本』の安寧を願っているのです。
そして、この話もただの都市伝説では無く、少し現実味も増してきますね!
さて、少しだけ話を戻しますが、少し面白い話がありまして。
高幡不動を創建させたのは天台宗第3代、座主である『慈覚大師(円仁)』です。
そして東京都最古の寺院で「雷門」でも有名な浅草にある『浅草寺(せんそうじ)』も慈覚大師が再興に携わったんです。
東京最古の寺院と最古の不動堂がある寺院に携わっているのも何か縁深いものを感じさせますよね。
また、慈覚大師の出自は「下野国(しもつけのくに)」の壬生氏になります。
ここであれ?と思った事が。
幕末に活躍した『新撰組』の副長で「鬼の副長」と恐れられていた『土方歳三』の菩提寺にも、高幡不動はなっているんです。
『新撰組』と言う名前になる前の名が『壬生浪士組』になっています。
実際には壬生氏と壬生(京都市中央区)は何も関係ありませんが、そう言った所からも繋がりが見えてきますね。
そして、もうひとつ面白いのが『高幡不動』を勅願したのは第56代天皇である『清和天皇(せいわ)』なのですが、この天皇の末裔が後の、武家の棟梁となる『清和源氏』なのです。
鎌倉幕府の源氏・室町幕府の足利氏・徳川幕府の徳川氏の全てがこの清和源氏になっています。
(ただし、徳川氏は末裔と称しているのみ)
そして、皮肉な事に高幡不動は「最後の侍」と言われた『新撰組』の鬼の副長「土方歳三」の菩提寺になっており、彼の死をもって武士の時代が終わりを告げます。
この様に、歴史を振り返ると元々は点と点でしか無いものが、線になると言うが本当に面白いですよね!
さて、次回からは私も大好きな『新撰組』についてお伝えして行きたいと思います。
ご期待下さい。