前回は下図の①、②についてお伝えしましたが、今回は残りの③、④をお伝えしたいと思うます。
と、その前に③の場所は東京都の日野市にある通称『高幡不動尊』として、また「新撰組 副長 土方歳三」の菩提寺としても新撰組ファンにとっては有名な不動尊です。
実は自分もこの新撰組が大好きで、きっと長くなってしまうので、ちょっと順番は変わってしまいますが、先に④についてお伝えしたいと思います。
と、言っても④の場所は結構大雑把な話になってしまうんですが、昭島市・福生市周辺の地なんです。
なぜ、この地が選ばれたかと言うと、なんと言っても地盤がめちゃめちゃしっかりとしているんです。
上記のマップは「東京都都市整備局」の「地震に関する地域危険度測定調査」から引用したものです。
都心部では色が濃い事が分かると思いますが、
これを見て頂いてもこの2市がとても地盤が強い事が分かります。(赤丸で記した場所です。)
さらに同じく「東京都都市整備局」の「区市町村別の地域危険度」から引用した次の表をご覧下さい。
この表を見て頂くと分かる様に、昭島市・福生市ともに地盤が強い事が分かります。
特に、福生市は総合危険度のランクがほとんどレベル1になっている事が分かると思います。
また、前回お伝えした八王子市もかなり強い地盤になっています。
やはり、新しく御所をつくるにあたって日本の過去の災害の経験から地盤が強く、水害の恐れも少ない場所を選ぶと言うのは当然な事ですよね。
特に天皇陛下を京都から東京(当時は江戸)に御迎えすると言う事になったら、それこそ当時の博識人(その中でも陰陽師が先導していました。)が束になってこのような地を探したのだと思います。
ただし、実際にはこれは実現されなかった事はもう皆さんもご周知の上だと思います。
それはなぜかと言うと、この案が出たのはまだ江戸時代末期の事でした。
ちょうどこの時、『黒船来航』で日本が激動の時代に突入し、『公武合体』も実現・さらに『尊皇攘夷』と言うことばも多くの志士達のスローガンとなった時代です。
そんな中、『桜田門外の変』で大老・井伊直弼が殺害されますます、江戸幕府の地位は傾いてきます。
その様な背景から実現されなかったんですね。
そして、明治に入り政府は天皇陛下を江戸城に入城して頂き、今の皇居になったわけです。
それもそのはず。
前権力者の案なんて聞き入れるはずもなく、新政府は全て自分達が決めて執り行いたいに決まっていますからね。
しかも、江戸の地は特に風水を利用していた訳ですから、新しい案なんてもっての他だったと思います。
ただし、実際には皇居も元は江戸城で風水で守られています。
そして、新政府は新たな都を造るよりも先に、たくさんのやるべき事があったので、とりあえず現・皇居に天皇陛下を遷都して頂き、その周辺に沢山の機関を作っていったのだと思います。
少し離れた所でも新しく都を造るのはそれだけで莫大な出費がかかりますから。
そして、これも面白い話なんですが、その後大日本帝国は勢いを増し、陸軍は航空部隊の中心となった零戦(初期は世界最強と言われた戦闘機でした。)を作り、その中核拠点を作りました。
そこで選ばれたのが知ってか知らずか、現在の立川市から昭島市にかけて広がる「国営 昭和記念公園」です。
そして、その付属施設として試験場を作った場所が現在の米軍空軍横田基地(現在は航空自衛隊の航空総隊司令部などもあります。)が出来るのです。
先程もお伝えしましたが、現在ではこの辺り(福生市周辺)の地盤が強い事が分かっていますよね。
これは偶然なんでしょうか。必然的に選ばれたとしか思えませんよね。
さすがにこの当時の技術でも今のような地盤の強さが分かるまでの技術までには至らないと思いますから。
このように、ちょっと違う角度から見ても歴史と言うのは面白いと思います。
皆さんもこのような歴史を発見してみて下さい。そして是非、教えて欲しいです。
と、今回はここまでなぜこの結界が昭島市・福生市周辺になったかをお伝えしましたが、次回は『高幡不動』についてお伝えして行きたいと思いますので、ご期待下さい。