3月も後半に差し掛かり、NHK大河ドラマでは『足利義昭』が『室町幕府』の15代将軍に就任しました。
さて、歴史的に『武家の棟梁』は『源氏』とされていますが、その理由は『鎌倉幕府』・『室町幕府』を成立させたのが『源氏』だったから!

それに倣い、『江戸幕府』の初代将軍である『徳川家康』も『源氏』と称しました。
そのような背景から『武家の棟梁』=『源氏』と言うイメージとなったんですね!
特に特質すべきは『清和源氏』の『河内源氏』。
『河内源氏』から鎌倉・室町・江戸幕府の将軍を輩出しています。
けど、清和だとか、河内だとか良く分からないですよね!?
まず清和とは第56代天皇である『清和天皇』のこと。

その孫である『源経基』が『臣籍降下』をしたことから『清和源氏』と名乗るようになります。

『臣籍降下』とは、当時の『天皇家』はあまりにも子供や孫など子孫が多すぎて、その1人1人を養うにはお金がかかり過ぎるために、一般市民となってもらい、そのかわりに『朝廷』や各地方を守るようにと仕事を与えました。
そして、一般市民になったから『姓』を『天皇』から授かり、その1つが『源氏』と言うことになります。
だから、『清和天皇』の孫(家系)だから『清和源氏』って事。
次に『河内源氏』の河内ですが、各地方を守るために派遣された場所が『河内』と言う現在で言う
大阪府・東部地方辺り。
そこを武力によって治めていたから『河内』を治めている『源氏』=『河内源氏』と言うことになります。
なんとなく分かったかなぁ⁉︎
『清和源氏』の祖となるのが、『清和天皇』の孫である『源経基』でその嫡男が『源満仲』。

その三男で嫡男が『源頼信』で『河内源氏』の祖となります。

ちなみに、この時に『源頼信』が仕えていたのが『藤原道長』。
その嫡男が『源頼義』で、さらにその嫡男『源義家』が『前九年・後三年の役』で勝利を治めたことによって、『源義家』は『武家の棟梁』と呼ばれるようになります。


そして、『源義家』の次男で嫡男の『源義親』の3代後が『源頼朝』(本家の本家)となり、『鎌倉幕府』を成立。

さらに『源義家』の三男の長男(分家の嫡流)が新田の地を治めたので『新田氏』となり、次男(分家の分家)が足利の地を治めたので『足利氏』と名乗りました。
その後、台頭してきたのが『新田義貞』や『足利尊氏』など『鎌倉幕府』を滅亡させた武将たちです。


ちなみに、分家の嫡流である『新田氏』は『平家(平清盛一族)』に近づき、『太政大臣』まで出世するが、その後の『源平合戦』でその尾を引き、勝利した『源頼朝』に参陣するのが遅れたために、地位も低いものとなり、『御門葉(一族)』とは認められず、公式の場でも『源氏』と言う『姓』のを称することが許されませんでした。
対して、『足利氏』は『源平合戦』後に、『源頼朝』から正式に『御門葉』として認められ、地位も『鎌倉時代』には『源頼朝』の一族亡き後、『北条氏』に次ぐナンバー2として最終的には君臨します。
さらに、後の『徳川家康』は『新田氏』の末裔であると称することによって、『武家の棟梁』=『河内源氏』=『征夷大将軍』と言う構図が出来上がったわけです。
こうしてみると、結局は元を辿ると『天皇』に繋がっているんですね!
他にも『河内源氏』は『武田信玄』の『武田氏』や『今川義元』の『今川氏』、『赤穂浪士』で有名な『吉良上野介』の『吉良氏』・『細川ガラシャ』でも有名な『細川氏』など数多くの歴史的人物を輩出しています。
やっぱり『源氏』の名は伊達じゃない!