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『世界最古の国』日本

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石田三成の子孫

2025年10月27日、『アメリカ大統領』である『ドナルド・トランプ氏』が来日しました。

 

 

 

夕方には『天皇陛下』と面会しますが、そんな『今上天皇』の直接祖先には『石田三成』がいます。

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【出典:『石田三成Wikipediaより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90

2025年10月30日利用。】

 

 

 

もちろん、他にも名だたる戦国大名の血が受け継げられている由緒ある血筋の『今上天皇陛下』ですが、他にも『石田三成』の血は『三菱』などの大企業まで受け継げられていることをご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

と言うもの、三成は『関ヶ原の戦い』で敗れ、京都の六条河原で斬首されました。

 

 

 

 

でも、その子供たち全員にまでのお咎めは無かったんですね!

 

 

 

 

と言うよりも、『徳川家康』が三成の血をわざわざ残したんです。

 

 

 

 

特にその血脈を多く残したのが『津軽氏』に嫁いだ三女の「辰姫」。

 

 

 

 

「辰姫」は『関ヶ原の戦い』の後、『弘前藩』の2代藩主・『津軽信枚』に嫁ぎました。

 

 

 

その子供が3代藩主となる『津軽信義』。

 

 

 

 

その後の『弘前藩』は養子を迎えながらも脈々と続き、維新後には『伯爵』の称号を叙されました。

 

 

 

 

そして、5代目藩主の『津軽信寿』の娘が、『飯野藩』の5代目藩主である『保科正寿』に嫁ぎ、その子孫が維新後まで、続きます。

 

 

 

 

 

その『飯野藩』最後の藩主である10代目の『保科正益』の娘と結婚したのが『三菱財閥』3代目総帥となった『岩崎久弥』。

 

 

 

 

彼の父は『三菱財閥』を創設した『岩崎弥太郎』です。

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【出典:『岩崎弥太郎Wikipediaより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%BC%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

2025年10月30日利用。】

 

 

 

 

ここで旧財閥である『三菱』にも繋がってくるんですね!

 

 

 

ちなみに3代目総帥となった岩崎久弥は『麒麟麦酒』や『小岩井農場』と言った、現在でも有名どころ経営も手に掛けていました。

 

 

 

また、『保科正益』の次男の次女は『三菱銀行』の元頭取・「田実渉」に嫁ぐなど、『三菱グループ』と深い繋がりをもっています。

 

 

 

その次女は『テレビ東京』で社長を務めた「菅谷定彦」に嫁いでおり、財界・メディアと繋がっていることが分かるんですね!

 

 

 

さらには直接的な血縁関係では無いものの、『岩崎久弥』の姉が第24代・『内閣総理大臣』となった『加藤高明』の息子に嫁いでいることから、政界へも繋がることになります。

 

 

 

岩崎弥太郎』の四女が第44代・『内閣総理大臣』となった『幣原喜重郎』に嫁いでいることから、『岩崎久弥』・『加藤高明』とは義兄弟の間柄ともなるんです。

 

 

 

『豊臣政権』で政務を務めていた『石田三成』の子孫たちがこのように、維新後・戦後も活躍することとなるのです。

 

 

 

やはり、維新後以降は『豊臣』の時代だと言う事か分かりますね!

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【出典:『日本の国章』Wikipediaより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%A0

2025年10月30日利用。】

 

 

 

 

最後に、なぜここまで『津軽氏』と『石田三成』の関係が深いかと言うと、それは『北条征伐』の際に、元々『南部藩』の家臣であった、『津軽為信(初代藩主)』が、『豊臣秀吉』に見参した際に独立したと嘘をついていたのにも関わらず、南部よりも津軽の方が早く見参したという理由から、独立を認めたという経緯があります。

 

 

 

 

その独立を秀吉に促したのが、三成であったからこそ、恩義の為に、三成死後もその子供たちを擁護したんですね!

 

 

 

それが現代にも繋がっているなんて深い!

 

 

 

この他にもまだまだ三成の子孫は多岐に渡り活躍を見せています。

 

 

 

やはり家系図は面白いなぁ。