先日、福井県敦賀市に鎮座する『気比神宮』に参拝してきました。
名前から見ても超重要な『神社』だという事が分かります。
というのも、この地は『朝廷』のあった『畿内』から見て、北に位置する場所にあり、『北陸地方』はもちろんのこと、朝鮮半島や『中国』からの玄関口として、軍事的・交通・商業などあらゆるものにおいて、最大の要衝となっていた場所です。
そんな場所に鎮座する『気比神宮』は『朝廷』にとっても特に重要な『神社』として位置付けられており、2024年の『大河ドラマ』である『光る君へ』ででも、主人公のまひろ(紫式部)と、その父が越前守として派遣されたほど。
放送でも、『宋(現在の中国)』との攻防のやり取りがあったように、ここが物凄く重要な拠点のひとつだと言うのが分かります。
そんな『気比神宮』の『主祭神』は『 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)』。
別名を 『気比大神』または『御食津大神』とも称されることから、『食物神』ということが伺え、そこには『朝廷』への献上する海産物を意味することだと言うことも分かります。
ちなみにこの地域の特産品である「越前蟹」は現在でも『皇室』に献上される、全国で唯一のカニでることからその歴史を物語らせるものとなります。
【出典:『福井県公式観光サイト ふくいドットコム』より。
https://www.fuku-e.com/feature/detail_182.html
2024年9月13日利用。】
その他にも、 『仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)』や『 神功皇后(じんぐうこうごう) 』、『応神天皇』・『 玉姫命(たまひめのみこと)』・『日本武尊(やまとたける)』・『武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)』など錚々たるメンバーが祀られており、それだけでも魅力溢れる『神社』だと感じさせます。
ちなみに『応神天皇』はのちの『秦氏』の祖である『弓月君』など『渡来人』を引き連れて、『日本』を平定させるなど、『渡来人』に深く関係を持ってあり、実際に『気比神宮』の『主祭神』もそうではないか?という説があるほど。
さらに、『応神天皇』は現在まで続く『継体天皇』系統の共通男系祖先でもあるため、『皇祖神』としても祀られています。
また、『応神天皇』はその『日本平定』を治めたことから、『武神』としての性質をもち、それが『八幡神』として全国各地に祀られるようになり、特に武士たちによって『八幡宮』の信奉を集めるようになりました。
結果として、文献による最古の『八幡宮』に存在する『神宮寺』が、『気比神宮』だということも、この『神社』の存在価値を高めていることと証明できるわけです。
(※ただし、現在では『気比神宮』の『神宮寺』は廃寺となっています。)
もうひとつ、『応神天皇』関連として、上記でも『秦氏』の祖を率いてとお伝えしましたが、この『秦氏』こそが世界最古の秘密結社『八咫烏』となります。
【出典:『熊野本宮大社』公式サイトより。
http://www.hongutaisha.jp/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F/
2024年9月13日利用。】
そして、八幡は訓読みで「やはた」、八咫は「やあた」となり『秦氏』とこちらも深い関係があることが伺えます。
三重県にある『伊勢神宮』のある少し上に「 香良洲町」という小島が存在しています。
この地名の読み方はそのまま「からす」。
敵からの防衛拠点として、ここで『八咫烏』の一族が集まっていたんですね。
さらに、『秦氏』の先祖が『弓月君』という一族だとお伝えしました。
『秦氏』の秦はあの「キングダム」でも有名な『秦の始皇帝』の末裔であり、この時の『秦』は現在の『モンゴル』あたりにいた騎馬民族、『月氏』と共に戦っていた事がわかっています。
それが『日本』に渡来した時に『弓月君』と性を変えたのですが、『日本列島』ってどんな形だったっけ?
そう、弓のような形をしているんです。
この『月氏』というのが、『月読尊』でありのちに東北地方に追いやられることになる訳ですが、そもそも『八咫烏』は『素戔嗚尊』の仕えのもの。
これで、『三貴子』全てが登場してしまうんです。
ちなみ、『陽の伊勢神宮・陰の月山神社』と呼ばれていることはご存知でしょうか?
『月山神社』は山形県鶴岡市に鎮座してますが、その『主祭神』は『月読尊』。
そして、『伊勢神宮』と『月山神社』を線で結んだ時にちょうど真ん中に位置するのが、『日本中央』と書かれた、『生島足島神社』です。
ねっ、不思議でしょ?
そして『弓月君(月氏)』が東北地方に追いやられたという理由が分かるのが、あの現存する日本最古の物語とされる『かぐや姫』なんです。
【出典:『かぐや姫』より。
https://www.ghibli.jp/works/kaguyahime/
2024年9月13日利用。】
なぜかって?
『かぐや姫』に登場する「帝」は、『文武天皇』がモデルだと言われています。
そして『天武天皇』の時代から『古事記』・『日本書紀』の編纂をスタートさせ、『持統天皇』へと続き、『文武天皇』そして、『元明天皇』を経てようやく終了しました。
『持統天皇』とは女性天皇であり、初めて『伊勢神宮』の式年遷宮を行った人物。
ここで女性が『天皇』に即位する事を正当化させたのです。
『天照大神』が女神となってね!
さらに『持統天皇』の詠んだ『百人一首』には「天の香具山」とあります。
「か・ぐ・や」ね!
『持統天皇』の父親はあの『大化の改新』を起こし蘇我氏を滅亡させた『天智天皇』です。
この時、蘇我氏が持っていた正統な我が国の歴史書も共に焼失したと伝わっています。
だとすると…。
明らか『古事記』・『日本書紀』は改ざんさせられた歴史書となるわけです。
それが分かりやすく伝わっているのがこの『気比神宮』の成り立ちが『古事記』に描かれているのです。
その一文を紹介します。
「 『武内宿禰』に連れられた『太子(応神天皇)』は『イザサワケ』と名の交換を行ったとする(易名説話)。
説話によれば、『太子』が角鹿(敦賀)の仮宮を営んでいると、夜の夢に『イザサワケ』が現れて名を交換するよう告げられた。
『太子』が承諾すると『イザサワケ』は翌朝に浦に出るように言い、『太子』が言われたとおりにすると浦には一面に『イザサワケ』の献じた入鹿魚(イルカ)があった。
これにより『太子』は『イザサワケ』を『御食津大神(みけつのおおかみ)』と称え、のちにその名が『気比大神』となったという。」と…。
この説話で、最も注目すべきは、「 名(な)と魚(な)の交換」すなわち「名の下賜」と「魚の献上」であるとして、『気比神(とその奉斎氏族)』の王権への服属儀礼を二重に表すと見る説が有力視されていること。
そして入鹿魚(イルカ)が『蘇我入鹿』を比喩しているということ。
父・兄である『天智天皇』と『藤原鎌足』のクーデターを正統化するために作ったのが『古事記』・『日本書紀』であり、蘇我氏が持っていた本当の『日本史』はここで闇に葬られたのです。
だからこそ「かぐや姫」を使ってその真実を伝えようとしたのです。
全てを絡めてね!
ねっ、全部が繋がってるでしょ?
と、このように古代史の闇が深い『気比神宮』。
『日本三大鳥居』としても有名でその美しさは圧巻です。
是非、機会があれば一度訪れてみてはいかがですか?
最後に『伊勢神宮』と『出雲大社』を線で結んだ真ん中にはなんと…。
そこにあるのは『素戔嗚尊』の墓でした!