いよいよ、2022年も本格的な年末となりました。
年末の『風物詩』と言えば思い出すのが『アメ横』。
(上記は『東京とりっぷ』より引用。)
その中でも、チョコレートやマグロなどの『叩き売り』の光景は、活気が溢れてテレビの画面を通して観ても、実際に体感してもワクワクします。
(上記は『日刊SPA!』より引用。)
驚くほど値段の割には量があり、子供達はもちろんのこと、大人にとってもこの時期の『アメ横』には、特に興奮する場所のひとつとなります。
さて、『アメ横』はこのほかにも『アメヤ横丁』や『アメ横商店街』などと呼ばれていますが、実はこの呼び方はどれも通称で、正式名称『アメ横商店街連合会』。
『上野駅』から『御徒町』までの『東北本線』高架下に約500〜600m続く『下町』きっての商店街で、食品から衣類、雑貨などレトロなものが売っているなどでコアなファンや食べ歩きとしても人気スポットとなっています。
そして、この原型となるのが『闇市』。
なぜこの地に『闇市』が出来たかと言うと、それを紐解くには『江戸時代』まで遡ります。
そもそも『上野』は『徳川将軍家』の菩提寺である『寛永寺』がある場所です。
(上記は『寛永寺 根本中堂』画像。)
現在の『上野公園』や『上野動物園』など、そのほとんどが『寛永寺』の敷地内だったんですよ。
そして『御徒町』と言うのは、『将軍家』を護衛するための『武士』の中でも騎馬に乗れない『御家人』などと言う『下級武士』が多く住んでいる地域でした。
騎馬に乗れないから『徒歩』で戦に行くしか無い『武士』が多く集まり住んでいた町。
そこから『御徒町』となったんです。
この町は長屋が多く、その名残が『明治』に入った時代でも続いていました。
その後『大正』・『昭和』の時代となり寄席や見世物屋などが連なったきっかけで、おでんや天ぷらを売る店や射的などで遊ぶような『屋台』が集まって大変賑わっていました。
片や『上野』はと言うと、そもそも『寛永寺』があり、この場所は『江戸時代』でも有数の『桜の名所』として、すでに指折りの繁華街となっていました。
その後『幕末期』に『旧幕府軍』と『新政府軍』がぶつかりわずが1日で『新政府軍』の勝利。
この時に敗れた『旧幕府軍』の残党は『東北』や『北陸』の『反政府』の藩を頼りにしたこともあり、『奥羽越列藩同盟』を結成。
(上記は『奥羽越列藩同盟』シンボルマークより引用。)
それもあっという間に、敗戦・崩壊してしまうんですね、『新政府軍』の前では。
そうして時代は『明治』になり鉄道を全国的に走らせることになりますが、『東北』や『北陸』からの始終着駅として、『上野駅』が選ばれました。
選ばれた理由としては、『明治期』の『東京市内』には、私鉄を走らせることを禁止していたこと。
それと、『東京市内』の北側の端に『上野』だったことです。
ただ、これは表向きな理由で、裏では『東北』・『北陸』の人たちが再度反乱を起こすのを、この『上野戦争』があった地で一度食い止めるためのものだと考えられます。
なんせ、当時の『新政府』は『西南戦争』という『日本』最後の最大の内戦で財政難となっていたんですから。
だから、『官営』では無く『私営』の鉄道に頼ったのです。
『私営』の鉄道だから『私鉄』。
だから、『東北』・『北陸』の人が出稼ぎや遊びに来る際、一旦ここ『上野』に人が集まり、賑わいを見せていたんですね。
『上野駅』と言う主要な鉄道と、それを動かす主要な配線がここにはあり、『御徒町』と言うもとは長屋、それから屋台や見世物屋などは、『第二次世界大戦』の最中、空襲による建物の火災でその配線が被害を受けないように、全ての建物は取り壊されました。
いかに、当時の鉄道が『国』にとって重要だったと言う事もここで伺えると思います。
『終戦後』、そんな空き地となった場所にバラック小屋などが立ち並び始め、そのうち人が集まると共に、『非合法』の店がドンドンと立ち並びそれが『闇市』となっていった訳です。
『終戦後』、物資が何も無いところに人だけは集まる。
それは適正価格よりも物資を持っている人間は、高く売りますよね。
さらに、砂糖が手に入れにくいこの当時、『中国』など大陸から帰ってきた人たちが、飴を売り出し、ここから『アメヤ横丁』となったのです。
そして、もう1つは『アメリカ進駐軍』からの『正規ミリタリーグッズ』の払い下げ、販売。
当時、『東京都』を始め全国各地に『アメリカ進駐軍基地』が存在し、さらに1950年には『朝鮮戦争』が勃発し、『アメリカ兵』がたくさんいました。
そんな中、任期で『日本』を離れる人・『米軍』を辞める人も続出し、ここ『アメ横』に流れたのです。
本物の『ミリタリーグッズ』を手に入れることからコアなファンにも人気を誇り、さらにそれを商売にとする店舗も増えて行ったので、『アメ横』と呼ばれるようになったようです。
時代は下り、『昭和』の『高度成長期』以降はほかにもマグロやカニ、干物・衣類などさまざまなものが溢れ始めます。
出稼ぎで首都圏に来ている人々にとって、それは『年末年始』に『上野駅』から帰省する、年に1回の唯一の楽しみ。
「東京のお土産だ!」と言って大量に購入して家族にあげた時の笑顔が溢れる光景を思いながら、地元に帰るお父さんや若者たちの心情が、目に浮かびます。
そう言う所なのです、『上野駅』は。
そして、『アメ横』とは。
ここで1つ、『アメ横』の都市伝説として「『叩き売り』、特に鮮魚やチョコレートなどは劣悪なものだったり輸入品だったりするから、安くて購入すると家に帰って食べようとした時に、とても食べられるものじゃ無い。」と言うものがあります。
確かに、鮮魚だと『築地市場』の売れ残ったカスを安価で購入したり、お菓子も海外から安く買い取って売っているみたいなことはありました。
でも、現在はそうしたイメージダウンに繋がる店も減少し、むしろ赤字覚悟で営業している店の方が多くなっています。
だから、常に『閉店セール』と謳って営業しているんですよ。
まさに企業努力。
皆さんも、もしこの年末『上野』方面に行くことがあれば、是非一度『アメ横』の活気を体験してみて下さい。
心動かされること、間違いですよ!