『日本』有数の繁華街である『渋谷』。
(上記は『楽天トラベル』より引用。)
『日本人』なら誰でも一度は行ってみたい聖地みたいな土地のひとつとなっています。
事実、私自身も地元や学校が近いこともあり、学生時代はほぼ毎週のように遊びに行っていました。
そんな『渋谷』の町が今の『若者の街』のような姿に発展していったのはいくつかの要因があります。
では一体、そもそも『渋谷』と言う地名などのような経緯で名づけられたのでしょうか?
一見すると、『道玄坂』や『スペイン坂』、『公園通り』など、『渋谷』には多くの『坂』があることから「多くの坂があり、雨が降った際に水が谷に多く集まり、水はけが滞ってしまう」様子からのようにも思えます。
実際、『渋谷』にはいくつも『坂』があり、と言うか、どこに行くにも『坂』を登ったり降りたりしていて、歩くだけで大変だと言うことを痛感します。
でも、実はそのような意味合いからではなく、『鎌倉幕府』成立前に、『源氏側』に味方をした、『坂東武者』の姓に過ぎなかったんですね。
その『坂東武者』の姓というのが『渋谷氏』で現在の『渋谷』辺りを領地にしていたために、この地名がついたんです。
もちろん、『渋谷氏』は衰退していきますがその後も『渋谷』と言う名が現在まで残っていると言うことは、やはり『渋谷川』に数多くの『坂』に流れて行く様を、そしてそれが幾度も氾濫する様を表していることも、要因のひとつと言えます。
その後『江戸時代』に入り、この周辺は『大名』の『下屋敷』や『旗本』が多く立ち並ぶようになりました。
ただ、この時は今のような賑わいが嘘のように閑静なもので、発展していったのは『明治時代』以降となります。
その1つ目の要因と言うのが、『鉄道』。
また、東海道本線の終着駅は『新橋駅』でした。
そんな不便な状況により、『赤羽〜品川』間に『鉄道』を開通。
開通当時の駅は、赤羽ー板橋ー新宿ー渋谷ー品川の5駅しかなかったようです。
ただ、そもそも『江戸市中』の玄関口であり、最初の宿場町があった『板橋』『新宿』『品川』、それと『日光街道』の宿場町であった、『石淵宿』のすぐ近くに出来た『赤羽』とは違い、人も少なく開通当初はほとんど、乗車客がいなかったようです。
驚くべきことに、開通当日の乗客利用者数は『0人』。
現在、世界で2番目に多い、乗客利用者数を誇る『渋谷駅』では、到底想像が出来ませんね。
さらに、この地形からもまだ中々人々が集まらない状態だったようです。
そんな転機が訪れたのが、1923日9月1日に突如として起きた『関東大震災』。
下町を中心に多大な被害が出た大災害です。
(上記は『Googleマップ』より引用。)
なんと、死者・行方不明者を合わせた数10万5000人以上にも及ぶ大変な悲劇が襲いました。
これを契機に人々は下町から山の手へと移住しはじめ、交通に便利な『渋谷』へと集まり始めたのです。
その少し前には『陸軍省』が練兵場及び、陸軍刑務所を設置。
その広さは、代々木公園・NHKホール・渋谷公会堂・渋谷区役所までも含む広さとなっていました。
(上記は『Googleマップ』より引用。)
陸軍刑務所は現在の渋谷区役所付近の南側に置かれていましたが、ここで当時『日本』の中枢に激震の走った『ニ・ニ六事件』の首謀者15名が、死刑執行を受けています。
現在では、NHKホール前と渋谷税務署横の十字路に供養のために、『ニ・ニ六事件慰霊碑』が置かれています。
(上記は『東京とりっぷ』より引用。)
さらに、『東急株式会社』が『渋谷』に本社を構えると『東急電鉄』が開通、さらには『京王井の頭線』・『東京メトロ銀座線』など新しい路線が次々に開通すると、東京の郊外(戦前までは)のターミナル駅として成長していき、少しずつ人も集まり、賑わいを見せてくるようになりました。
戦後になると、旧陸軍練兵場及び、陸軍刑務所は『GHQ』により接収され、『ワシントン・ハイツ』と呼ばれる軍用地となりました。
この『ワシントン・ハイツ』は『日米安全保障条約』を発行後、1964年の『東京オリンピック』の選手村に決定するまでの約18年間にも及び、存続し続けます。
この軍用地は基本、中位クラスの『アメリカ兵』や家族たちが住む住居となっていたことからと、『渋谷駅』がターミナル駅となっていたことから、彼らの娯楽を楽しむような街へと変化、さらに駅ビルなども完成したことによって、人々が集まりだし、現在のような『若者の街』へと変化していったのです。
余談ですが、『ワシントン・ハイツ』は比較的子供は自由に出入りが出来て、草野球などを一緒に楽しんでいたようです。
そんな中で、子供達を集めて草野球の監督をやっていたのが、なんと『ジャニー喜多川』。
そこから何人かを集めてミュージカル映画『ウェストサイド物語』を観に行ったところ、全員が感動し、エンタメ業界に参入を決意。
それが現在の『ジャニーズ事務所』になったんです。
と、このように全世界に常に新しいものを発信し続けている、『渋谷』。
これからも、尚『渋谷=若者の街』として発展し続けることは間違いありませんね!