ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 https://analytics.google.com/analytics/academy/certificate/TiepweC8SKqeaAXTDSMm8A

『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

幕府成立

来年で『日本』初となる、『幕府』が誕生して、830年となります。

 

 

 

 

 

 

これは、『源氏の棟梁』である「源頼朝」が『朝廷』から『征夷大将軍』と言う位を任命されたのが1192年だったということからになります。

f:id:TOTAN:20210818154438j:image

(上記は『京都 神護寺』から寄託、『京都国立博物館』保存の像より引用。)

 

 

 

 

 

 

ただ実際には、1183年に『朝廷』から「源頼朝」に対して、東国(関東や東北地方など)の領地からの年貢や、それ以外の官物といった、いわゆる今で言う税金を納めることを保証に、東国の支配権を公認していたこと。

 

 

 

 

 

そして、1185年には『壇ノ浦の戦い』後に『平家滅亡』によって出来た領地などの管理を許可したこと。

 

 

 

 

 

1190年にはその管理下の一般政務・財務を開設し、統治する権利を得たことなどがあり、どこからがはじめての『幕府成立』となったというのは、研究者によって、さまざまな意見で分かれています。

 

 

 

 

 

とは言え、これ以降の『幕府成立』の際には、『征夷大将軍』という称号を『朝廷』から任命されてからとなっていくので、今のところは1192年になっている教科書が多く存在しています。

 

 

 

 

 

 

 

では、一体この『征夷大将軍』とはなんなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

それは、もともと『大和朝廷』がある畿内地方よりも東側にある土地に住み、『大和朝廷』に従わない者たちを征伐するために作られた軍隊を率いる大将軍(トップ)ということなんです。

 

 

 

 

 

 

特に、古代では『大和朝廷』のある「飛鳥」や「奈良」からみて東側(関東や東北地方)のことを『蝦夷(えみし・えぞ)と呼ばれていました。

 

 

 

 

 

 

 

だから、『蝦夷』を征伐する軍隊の大将軍というとから、『征夷大将軍』となったのです。

 

 

 

 

 

 

そして、『蝦夷』(関東地方)は太平洋側にあります。

 

 

 

 

 

実は、他にも日本海側から北に進み征伐する軍隊を率いる『征狄大将軍(せいてき)』と、九州へ進み征伐する軍隊を率いる『征西大将軍(せいせい)』いうのがあったんです。

 

 

 

 

 

 

なかなか、歴史の教科書では聞いたことの無いような役職ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

さて、この『征夷大将軍』の初期の人物として、また『平安京の守護神』・『将軍家の祖神』と称され、『軍神』・『武神』の信仰を集め、さらに「京都」の観光スポットとして不動の人気を誇る『清水寺』を建立に携わった人物。

f:id:TOTAN:20210819025332j:image

(上記は『清水寺』画像より引用。)

 

 

 

 

 

 

坂上田村麻呂」。

 

 

 

 

 

 

坂上田村麻呂」が『征夷大将軍』として、蝦夷征伐の際に、その勇壮な姿をモチーフとし、『日本』の伝統音楽、囃子が他に類を見ない、『日本』の代表的な夏祭り、『青森ねぶた』になります。

f:id:TOTAN:20210819032347j:image

(上記は2016年「新青森駅」展示より引用。)

 

 

 

 

 

 

これは、戦場で大灯籠と笛・太鼓を使いドンチャン騒ぎをしているように思わせて、敵を油断させ、おびきよせるという戦法が由来している祭りになります。

 

 

 

 

 

 

今年もまた、コロナ禍の影響で、この夏祭りも中止となりましたが、来年こそは是非開催して欲しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

さて、『鎌倉幕府』以降、『征夷大将軍』を任命された人物が「幕府」を開くことが出来るというのが通例になりましたが、『室町幕府』・『江戸幕府』も実は、関東地方に深く繋がりがある人物だったんです。

 

 

 

 

 

鎌倉幕府』は「神奈川県・鎌倉市」、『江戸幕府』は「東京都」というのはなんとなく分かりますが、『室町幕府』は「京都府」というイメージの方が強いですよね。

 

 

 

 

 

 

実は、『室町幕府』を開府した「足利尊氏」は「鎌倉」で生まれ育ったという説が有力なんです。

 

 

 

 

 

また、『江戸幕府』を開府した「徳川家康」は「豊臣秀吉」によって、「江戸(現在の東京都))に領地を変えられ、土地開発などの努力の末に、260年以上も続く、当時世界最大の人口都市を築く基盤を作りました。

 

 

 

 

 

 

 

だから、『幕府成立』を行なった人物は、みんな関東地方に深く携わっているんです。

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、古代から『不破関(現在の関ヶ原)』より東側が東国と呼ばれており、その場所で、あの有名な『関ヶ原の戦い』で東軍・西軍と分かれて、勝利した

東軍側の総大将「徳川家康」が『征夷大将軍』に任命され、『江戸幕府』を開いたというのは、何か浪漫や皮肉さを感じますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、『江戸幕府』の本拠地である「江戸城(現在の『皇居』)」から見ると、『鎌倉幕府』の本拠地、「鎌倉」は南東の方角にあります。

 

 

 

 

 

南東とは、風水では『裏鬼門』の位置。

 

 

 

 

 

そして、「江戸城」からほぼ北には「徳川家康」の霊廟で『世界文化遺産』でもある『日光東照宮』があります。

 

 

 

 

 

さらに、「鎌倉市」には『鎌倉幕府』の開府した「源頼朝」と、『室町幕府』を開府した「足利尊氏」の墓があり、その北側には「足利氏」発祥の地と言われている「足利市」があります。

 

 

 

 

 

そして、この「足利市」は「日光」からみると南東の方角、『裏鬼門』にあたるのです。

f:id:TOTAN:20210819041900j:image

 

 

 

 

 

 

 

これは偶然なんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

それとも、風水などを用いて「江戸」の土地開発などに尽力を尽くした『天海』の緻密な策なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

『天海』は「足利将軍家」に仕えていた武将で、「織田信長」を倒した「明智光秀」だったという都市伝説があります。

 

 

 

 

 

 

自分の仕えていた「足利将軍家」を蔑ろにはしたくなかった、そしてこれら『征夷大将軍』の霊力をもって、守護してもらい発展していきたいという願いの表れなんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

もう1つ、歴史の都市伝説としては、「源頼朝」の弟で、『源平合戦』の最大の功労者、「源義経(牛若丸)」。

 

 

 

 

史実だと、兄である「頼朝」に「奥州藤原(現在の岩手県奥州市)」で討たれたことになっていますが、実は大陸に渡り、『モンゴル』で「チンギス・ハン」となって、当時世界最大の国を作ったという話です。

f:id:TOTAN:20210819075114j:image

(上記は『世界の歴史マップ』より引用。)

 

 

 

 

 

 

そして、孫の「フビライ・ハン」の代になり、『日本』に2度の襲来をし、結果的にそれがきっかけとなり『鎌倉幕府』は滅亡したというものです。

 

 

 

 

 

これは、あくまでも都市伝説なので頭の片隅に入れとくと、話のネタになるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

兎にも角にも、『征夷大将軍』を任命され、『幕府成立』をした3人が関東地方に深く携わっていたことには違いがありません。

 

 

 

 

 

『幕府成立』から『幕府解体』までの675年。

 

 

 

 

 

武家政権』が『日本』の政治を任されていました。

 

 

 

 

 

その中でさまざまな歴史を残してくれ、今まさに世界中で、その評価が高まっています。

 

 

 

 

 

そのようなとこからも、『日本人』の誇りを忘れずに、そして継承していきたいですね。