戦国時代に『越後の龍』・『軍神』などとしょうされ、ほかの戦国大名たちにも恐れられていた武将、『上杉謙信』。
数々の戦の中でその勝率はなんと96.7%を誇る、戦国屈指の武将でした。
よく、『越後の龍』と対として比較され戦国最強の『武田騎馬軍団』と恐れられ、『甲斐の虎』と称されたあの『武田信玄』ですらその勝率は68%でしたから、まさに無敵の強さを持つ、最強の戦国武将とも言えます。
ちなみに、『第六天魔王』と自ら名乗っていた『織田信長』は72%の勝率で第二位につけており、そのつぎの第三位が『武田信玄』なんですね。
やはり、戦国時代中期の人気を誇る武将たちは強さあっての人気ということです。
そんな『上杉謙信』ですが、通称「川中島の戦い」で、5度に渡り『武田信玄』とぶつかり合っています。
しかし、ここでの戦いはどちらも得を得たものではありませんでした。
ただ、そこで「好敵手」として、お互いに実力を認めあうようになったのは間違いがないでしょうがね。
実際、『武田信玄』は『上杉謙信』のことを「日本で並ぶ者はいないほど優れている名大将!」と評価しています。
また、『上杉謙信』は食事中に『武田信玄』が死んだと知らせを受けた時、「私はこれほどの英雄を他に記憶していない!」と箸を落とすほど嘆き悲しみました。
こうした所からも、ある意味で友情染みたものも伺えるほど、お互いに戦国最強の「好敵手」として認めていたのでしょう。
そんな、『上杉謙信』ですが実は「女性」だったという都市伝説があります。
驚きましたね。
『軍神』とまで呼ばれた最強の武将が「女性」だったなんて。
しかも、ほんとにそうだったのではないかと思わせる文献がいくつかあり、考えようによっては本当に「女性」だったと言うのもおかしくないんです。
例えば、あの『三本の矢』で有名な「毛利元就」の子の「吉川元春」の使者が、『上杉謙信』と面会した際には、「身長180cmの大男であった。」と残っていますが、ほかの文献では「小柄であった。」という文献がたくさんのこっています。
また、『上杉謙信』は熱心な仏教信者で特に、「武神」である『毘沙門天』を深く信仰していました。
だから、『上杉謙信』の旗印は『毘』なんですね。
この『毘沙門天』に戦で勝つために、女性との関係を持つこと、また妻ももたないと誓い、戦が始まる前には『毘沙門天』を祀るお堂にひとり篭り、勝利を祈祷していたとつたわっています。
ただ、当時は男色が当たり前だった時代。
そっちの方は特に誓いを立てていたというのはなかったんです。
小柄で妻や女性関係は持たない。
でも、男性とは関係を持つというのは『上杉謙信』が女性であったと裏付けるものとなりますよね。
また、『源氏物語』などの恋愛物を好んで読んでいたそうで、上洛の際の歌会では、「恋歌」を読んで、参加者全員を驚かせたそうです。
しかも、その作品の出来も見事だったとか。
また、部下に対しても大事に扱うなどでやはり女性的な面が伺えます。
さらに戦の最中でも、ある時期になると必ず腹痛になるという文献から、これは女性特有の月に一度くり生理なのでないかという解釈も出来ます。
そして、『上杉謙信』が好んで食べていたものがあります。
それが芋の茎から出来た「芋茎(ずいき)」になります。
「芋茎」には含まれる栄養素は炭水化物・タンパク質・ミネラルなどになります。
なかでも、ミネラルの不足は女性ホルモンの不足になってしまい、生理痛や生理不順が生じやすいという学術学会で最近発表されたばかりです。
それを分かっていて、安価で手に入りやすくまた戦の時には非常食にもなる「芋茎」を好んで食べていたのでしょう。
そして、実は『上杉謙信』の生前の肖像画は現存していないんです。
江戸時代、武家では「男子継承」以外は認められないという法律になり、特に「上杉家」は外様大名だったので、目をつけられてないように、女性から男性に書き換えられた可能性も否定できないのです。
勝率が約97%という結果を残しているのも、もしかしたら男性には無い、女性の感性を活かして勝利していたのかもしれません。
こうして見てみると本当に『上杉謙信』は女性だったのかもしれないと思ってしまいますよね。
どちらにしても、その強さとカリスマ性を持った戦国最強と言われる『上杉謙信』。
「ステイホーム」がつづいている今、もう一度調べてみるのはいかがでしょうか。
きっと、また違った見方になると思います。
そして、違った見方になれば「性」に対する考えも変わってくると思います。
そうではない、どっかの会長のようにならない為にも。
『上杉謙信』と『武田信玄』がお互いに尊敬していたような、そんな世界になって欲しいですね!