今回は関東にある、『坂東三十三箇所』についてお伝えしたいと思います。
と、言うのも『西国三十三所』は奈良時代あたりからスタートをし始め、院政期にその前身となるものが最盛期となりました。
しかし、この当時の民衆にはまだまだ外への巡礼(旅)をするのは難しく、これが広まったのは江戸時代に入ってからでした。
また、江戸時代、江戸からの巡礼者は最初に『伊勢神宮』を巡って、その次に第一番の『青岸渡寺』に向かって、途中に高野山や比叡山に参拝して、結願(巡礼の最後)である第三十三番の『華厳寺』を目指しました。
そして、お礼参りとして、長野県にある『善光寺』と『北向観音』に参拝して帰路すると言うのが通例になっています。
ただ、『善光寺』などにはあえてよらずに帰路する人々もおり、その理由としては巡礼が終わってしまうと死を急ぐことになると言うことからきたそうです。
さらに、江戸など東日本以外の人々は当時は『善光寺』に立ち寄るのは大変だったために、
西日本の人々は『高野山 金剛峯寺 奥の院』・『比叡山 延暦寺 根本中堂』・『東大寺 二月堂』・『四天王寺』もお礼参りの対象となっています。
と、ここでようやく今回の題名にもある『坂東三十三箇所』のお話ですが、これは鎌倉幕府・初代将軍である『源頼朝』が初願し、そのこどもである3代将軍『源実朝』が『西国三十三所』を模範として、礼所を制定したとせれています。
そして、少し余談ですが、前々回にお伝えした『小倉百人一首』でなぜか気になった『藤原敏行』が字を書いたと伝わっている梵鐘(『三絶の鐘』と称されています。)がある、京都の『神護寺』に上記の『伝源頼朝像』があるのです。
そして、どちらも『国宝』としてなっているので機会があれば、是非拝見してみたいですね。
さて、『坂東三十三箇所』は神奈川県の鎌倉市にある『杉本寺』からスタートします。
この『杉本寺』には通常、格子戸の奥に安置されている3体の観音像があり、拝観は出来ませんが、毎月1日と18日だけご開帳をし、拝観することが出来ます。
また、『1』と『18』と言う数字が出てきましたね。
そしてなんと『13』番目のお寺は東京にあり、観光地としても、最も有名な寺院のひとつ『浅草寺』になります。
『浅草寺』はお寺自体も人気ですが、なんと言っても『雷門』や、その参道である「仲見世通り」が人気ですよね。
今のコロナ渦が終息したら私自身もまた行きたい場所のひとつです。
そして、海老や穴子などの「天婦羅」が食べたいなあ。
ちょうど、旬な季節ですし。
ゴマ油で揚げる天婦羅はなんであんなに美味いんですかね。
これに日本酒と蕎麦と塩があれば、最高の至福の時間ですね!笑
話がだいぶ私事になってしまったので、戻しますが巡礼の『18』番目になるのが、栃木県・日光市にある『中禅寺』です。
ここももはや、言わずと知れた観光スポットとして、日光に行った際には『日光東照宮』とともに訪れる方も多いのではないでしょうか。
そして、最後の33番目の礼所として訪れるのが千葉県・館山市にある『那古寺』ですが、この巡礼を終えたら、こちらも長野県の『善光寺』と『北向観音』にお礼参りをするのが通例になっています。
これは、どちらか片方だけだと『片道参り』と呼ばれ、両方行くことにより終了すると伝えられています。
ここまで、前回の『西国三十三所』、今回の『坂東三十三箇所』と『数字』についてお伝えしてきましたが、ここでもうひとつ巡礼として有名な『四国八十八ヶ所』が…。
何故か、気になってしまいして調べていたところ、高知県にある『33』番目の礼所『雪蹊寺(せっけいじ)』。
この寺院で注目すべきは『北緯』。
ここはなんと
『北緯33度30分3秒』
なんです。
これは偶然なのかそれとも分かっていてここに建立をし、33番目の礼所にしたのか。
考えるだけで、不思議で面白いですよね!
皆さんもこのような数字に注目して、神社仏閣を回ってみるとまた新たな発見が出来るかもしれまへんよ。