今回は思考を変えてみて、日本にある伝統漁法のひとつである『長良川鵜飼』についてお伝えしたいと思います。
これは、毎年5月11日から10月15日まで行われる漁法で、『中秋の名月』など満月の日や川の増水以外にはこの期間中、毎日行われているそうです。
なぜ、今回これを記事にしようとしたかと言うと、たまたま自宅にある録画用のHDDの整理をしていて、毎週録画をしていた神社の番組に目がとまり、ある神社を見たところから始まりました。
その番組というのは『ごりやくさん』という地方番組です。
毎週、違う神社を紹介し、30分番組ではありますが、神社の由来やその周辺の特産物なども紹介しているので、なかなか為になりますし、より参拝してみたいという気持ちを駆り立てる番組になっています。
さて、今回その番組で気になってつい、見た神社とは岐阜県岐阜市にある『金神社(こがねじんじゃ)』です。
以前からこの神社は気になっていた神社のひとつでもあったのですが、この番組をみるとまさかの長良川の鵜飼・織田信長・さらに美濃という知名が出てきて、「あれっ⁈」と思いました。
さらに、この番組を見たのもちょうど「斎藤道三」と嫡男である「斎藤義龍」の合戦である『長良川の戦い』の放送日だったんです。
これも何かの巡り合わせかなと思い、調べてみるとまさかの本日、5月11日から鵜飼が解禁するという奇跡。
ただし、今年は新型コロナウィルスによる影響で、延期しているみたいですが、他にも色々と調べていくうちに、面白いことがたくさん出てきました。
まず、はじめに日本で唯一『皇室』御用の鵜飼であり、宮内庁が管理していること。
という事は、長良川の鵜匠は国家公務員になるわけですね。
ここで獲れた鮎はまさかの『皇居』に納められるそうです。
少し余談ではありますが、この「鮎」という感じの成り立ちは、第15代天皇『応神天皇』=『八幡神』様(日本全国にある八幡宮の主祭神)の母親である『神功皇后』がアユを釣って勝敗を占ったと言うところから、この漢字になったという説があるんです。
(他にも諸説有り)
また、初夏から夏にかけてが旬の魚なので、「鮎」「鵜飼」は夏の季語として、「若鮎」はは春、秋には「落ち鮎」、冬は「氷魚」と四季折々で使われています。
古来から「鮎」は日本人にとって慣れ親しんだ、食用魚だったんですね!
話は戻りまして、『長良川鵜飼』の歴史は1300年以上前の第42代・『文武天皇』の時代から行われていて、それ以降、時の権力者にそれ自体を贅沢なものとして重宝されてきました。
日本初の幕府を開いた「源頼朝」や、「織田信長」、また「徳川家康」などにも大変好かれていました。
また、明治時代以降も『天皇陛下』が天覧鵜飼をされており、今では観光としても、大変人気なものとなっています。
これからどんどんと暑くもなって来ますので、このいまの新型コロナウィルスの騒ぎが落ち着いたら、是非こどもたちを連れて体験してみたいものですね!