さて、今回も「グラバー」についてお伝えしていきたいと思いますが、彼がいなければいまの『日本』は無い!とも思ってしまうくらい、明治維新後も日本経済などに尽力した人物です。
その理由は彼と関わった人物たち。
前回は坂本龍馬や陸奥宗光、そして現在も日本を代表する企業である「三菱グループ」の創始者であり、初代統帥の岩崎弥太郎が関わっていたというのをお伝えしました。
今回はさらに奥深くに行きたいと思いますが、薩摩藩・長州藩とも深く関わっていました。
まず長州藩ですが、のちに「長州五傑」と呼ばれる5人の若い長州藩士たちをイギリスに渡航・留学をさせ、さらにイギリス留学中は『ジャーディン・マセソン商会』(グラバー商会はこの企業の長崎支店でした。)の創業者の1人の甥にあたる会長が、支援をしていました。
さて、その5人の人物とは。
1人目は「井上馨(いのうえかおる)」
→外交の父と呼ばれ、諸外国との不平等条約改正に尽力した。また、それに踏まえて欧化政策をし、「鹿鳴館」や「帝国ホテル」の建設。
また、現在の三井物産の設立するなどをしていたが、大久保利通の死後より、政治のトップとなっていた伊藤博文により、「参議」や外務卿(現在の外務大臣)に就任。
「元老」のひとりとして、死ぬまで内閣総理大臣の推薦に関与していました。
「外交の父」と呼ばれている。
2人目は「遠藤勤助(えんどうきんすけ)」
→大阪・造幣局で造幣局長として就任し紙幣を日本国民に浸透させるなど、尽力した。
また、現在でも大阪の春の風物詩である「桜の通り抜け」は、当時局長だった彼が、「大阪の市民にも楽しんでもらおう!」と言う思いから始まった。
「造幣の父」と呼ばれている。
3人目は「山尾庸三(やまおようぞう)」
→国の近代化を求め、欧米諸国に対抗する社会基盤となる「殖産興業」を推奨するための中央機関である「工部省」設立に尽力した。
また、現在の東京大学工学部の前身となる「工部大学校」を設立し、日本で初めての技術者養成機関に尽力した。
「工学の父」と呼ばれている。
4人目は「井上勝(いのうえまさる)」
→新橋〜横浜間を初めて鉄道を走らせるなど全国の鉄道事業に尽力した。
また、「小岩井農場」の創業者のひとりで、日本鉄道が「盛岡駅」まで延伸開業した翌年に日本鉄道会社の副社長「小野義眞」・三菱社社長「岩崎彌之助」・鉄道庁長官「井上勝」の共同経営ではじまった。
この3人の頭文字をとったものである。
「鉄道の父」呼ばれている。
そして5人目が「伊藤博文(いとうひろぶみ)」
→言わずと知れた「初代・内閣総理大臣」。
生涯のうちに計4回、内閣総理大臣を就任している。
また、初代枢密院議長や「元老」も歴任。
「内閣の父」と呼ばれている。
とこのように、明治に入り近代化を進めてきた人物たちばかりなのです。
さらに薩摩藩士では「五代友厚」や「寺島宗則」など、やはり明治時代に近代化を進めた人物たちを海外留学させるなどの支援をしています。
さて、明治時代の近代化の礎を築いた(特に長州五傑)に資金援助をしていた、『ジャーディン・マセソン商会』。
実は前身はあの『東インド会社』なのです。
以前、『ベンジャミン・ディズレーリ』首相の時にスエズ運河を買収し、それによって『大英帝国』を帝国を築き上げたとお伝えしました。
そしてアジアの拠点となったのがこの『東インド会社』なのです。
また、このスエズ運河を買収する資金を援助したのが、
『ロスチャイルド家』
ここまで来るともはや必然としか思えませんね。
『ロスチャイルド家』
と
『フリーメイソン』
この2つが完全に関わってきているんですね!
さらに、『ジャーディン・マセソン商会』と『ロスチャイルド家』は婚姻関係を結ぶなどその関係はどんどん深くなっていったのです。
このように、薩長などの明治政府は、実は幕末の時代から『ロスチャイルド家』と深く関係していたのが分かります。
しかし、そのおかげで近代化が出来たと言うのも事実であり、その後も経済大国として発展していった『日本』。
良い、悪いでは無くこのような事実とともに世界を動かしているのは誰なのかを改めて知る必要があるかも知れませんね。