今回は『生島足島神社』からほど近くで同じ市内にある『北向観音堂(きたむかいかんのんどう)』についてお伝えしたいと思います。
と言っても、前々回にすでにお伝えしているので本当に少しだけ。
まず、『西国三十三所』と言う33ヶ所の観音巡礼をし、その巡礼の『御礼参り』として、長野市にある『善光寺』に参拝すると言うものがあります。
それを模範として、鎌倉幕府の初代将軍である「源頼朝」が発願、そしてその子で3代将軍の「源実朝」が制定した『坂東三十三所』がありこれも全て巡礼し終えた後に『御礼参り』として、やはり『善光寺』に参拝するのが慣しになっています。
しかし、この『善光寺』だけだと「片参り」となってしまうと言われ、もうひとつ参拝しなければ行けない場所があるんです。
その場所と言うのが今回お伝えする『北向観音』です。
ここは名前でも分かる通り、観音様が北を向いています。
それは「北斗七星(北極星)を世界のよりどころになっているように、私(観音様)も全ての生きとし生きるものに、常によりどころになり救済しよう」と言う観音様の誓願によるものだと言われています。
また、善光寺は阿弥陀如来が本尊となっていますが、この阿弥陀如来様は南を向いて建てられているのです。
そして、北向観音は『現世のご利益』を、善光寺は『来世のご利益』をもたらすので、両寺院に参拝して、ようやく巡礼が完了するのです。
と、ここでこの寺院の歴史では「木曽義仲」の兵により、焼失してしまうがその後、従兄弟である「源頼朝」によって再興されたとあります。
そして、北極星は徳川家康も信仰しており、死後には孫である3代将軍・家光が江戸城の守護神として真北に日光東照宮を建立しました。
日本史上、最初の幕府である鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝に再興されるのと、最後の幕府である徳川幕府の初代将軍・徳川家康がここで繋がると言う歴史の面白さ。
また、前回・前々回お伝えした、武田軍が滅びた後、その残党を家康が引き取り、それを徳川四天王のひとりである「井伊直政」に預け、「井伊の赤鬼」と異名で呼ばれ、その後幕末のきっかけを作った直政の子孫である「井伊直弼」も「安政の大獄」以後、その粛正による恐ろしさから「井伊の赤鬼」と呼ばれると言う面白さ。
全てが繋がっていると感じました。
それを繋げたのが生島足島神社で、大地(日本本土)の神様と言うのが、なんとも面白く不思議な感覚です。
やはり神社仏閣・そして歴史は面白いですね!
と、ここまで生島足島神社・北向観音についてお伝えしてきましたが、次回からはまた新しい神社仏閣をお伝えしようと思いますので、是非ご期待下さい。